第百二十話 拙者、参上

 総旗艦"オーデルバンセン"の通路を、輝星とヴァレンティナが走る。そんな彼らを、武装した憲兵隊が大慌てな様子で追いかけていた。


「お待ちください! 殿下!」


 軍用カービンを構えながら走る憲兵がそう叫んだ。コトの起こった尋問室は艦の最奥部にあり、ディアローズが殴られて気絶している現場はあっという間に周囲に露見してしまった。こうなればもう、下手人であるヴァレンティナには逃げの一手しかない。捕まれば下手をしなくても死刑だ。


「はあ、はあ、うっぷ……」


 が、こうした状況では輝星の体力のなさが足を引っ張る。ぺたぺたと素足のまま走っていた彼は、真っ青な顔をして口元を抑えた。


「むっ……失礼!」


 あわててヴァレンティナが輝星をひょいと抱え上げ、お姫様抱っこの姿勢になる。すでに体力の限界だった輝星としてはありがたいことこの上ないのだが、それはそれとしてかなり恥ずかしい。


「う、う……申し訳ない」


「なんの! 淑女たるもの、これくらいなんということはないさ」


 輝星の知る淑女は男を抱きかかえて全力疾走などできないのが普通だが、そこはヴルド人である。しかも彼女の言葉は強がりでもなんでもなく、走る速度はまったく変化がないのだから驚きだ。


「く、くそ……なんてうらやま……けしからん真似を! 隊長、発砲の許可を!」


「馬鹿! あの男にケガでもさせたら、ディアローズ様に処刑されてしまうぞ!」


 ディアローズの輝星に対する溺愛っぷりは、帝国軍の中でも広まっていた。なにしろ、軟禁場所として自室を明け渡したくらいなのだ。艦隊の最高責任者である彼女は、当然自室も一番上等の部屋を用意されている。それを輝星に渡して、自分は来賓用の客室に移るのだから大概だ。


電気銃テイザーを使え! 多少感電させるくらいならば、許してくれるだろう」


「了解!」


 憲兵は腰のホルスターから拳銃を抜いた。暴徒鎮圧等に使われる非殺傷武器だ。慣れた手つきでその銃口をヴァレンティナに向ける憲兵だったが、そこに横やりが入った。


「ふんっ!」


「ぐわーっ!」


 真紅のポニーテールを揺らしながら現れた長身の麗人が、手に持った木剣で憲兵を殴りつける。予想もしない乱入に憲兵は対応もできず、悲鳴を上げながら吹き飛んだ。


「テルシス殿! やはりきてくれたか!」


 ヴァレンティナが歓喜の声を上げた。そう、乱入者はあの"天剣"ことテルシス・ヴァン・メルエムハイムだった。大物の登場に怯んだ憲兵隊は、おもわず足を止めた。


「テ、テルシス様! ヴァレンティナ様は反逆罪の容疑がかけられているのです。邪魔はしないでいただきたい!」


 隊長が非難の声を上げるが、テルシスの対応は無情なものだった。「問答無用!」と叫ぶなり憲兵隊に飛び掛かり、木剣であっという間に叩きのめしてしまった。憲兵も当然対人戦の訓練は積んでいるが、剣術に関しては帝国最強の誉れ高いテルシスに接近戦で勝てるはずもない。


「テルシス? あ、あの剣と盾だけ持った機体の」


「おお、覚えていただけておりましたか!」


 破顔したテルシスは、木剣を肩に担ぎながらヴァレンティナたちに歩み寄った。


「あの女狐に手籠めにされかけていると聞き、居てもたってもおられずはせ参じました。ずいぶんと出遅れてしまったようで……大変申し訳ありません」


 その言葉に、周囲で様子をうかがっていた一般兵たちから動揺の声が上がった。帝国軍内では英雄視されているテルシスの言葉だから、疑うものなど全くいない。


「で、殿下……いくら相手をされないからって無理やりは駄目よ……」


「いつかやると思ってたけど、あんな可愛い子を毒がにかけるなんて!!」


 こちらに手出しもせずに好き勝手言う一般兵たちの様子に苦笑しながら、輝星が首を左右に振った。


「いや、そんな……まさか虜囚の身になっておきながら、こうも周りから助けてもらえるとは思いませんでしたよ。お二人とも、ありがとうございます」


「騎士として当然のことをしたまでです。……さあ行こう、ヴァレンティナ殿下。手はず通り、格納庫に機体を用意している」


「随分と準備が良いですね、そのままストライカーで遠くへ逃げる感じですか?」


「いいや、わたしの艦隊を使う。配下たちにも事情は説明しているから、安心してほしい」


「か、艦隊ごと離反するつもりなの!? 準備良すぎってレベルじゃあ……」


 突発的な行動にしては、あまりにも準備が整いすぎている。帝国軍から離反することを前提に以前から計画を練っていたとしか思えない周到さだった。


「ははは、気にしないでくれたまえ。細かいことは、どうでもいいじゃないか」


「う、ううーん……」


 輝星は唸ったが、しかし今は助けられた身である。文句など言えるはずもない。


「とにかく、今は脱出が最優先だ。外に出れば我が"プロシア"の支援も受けられる」

 

「"プロシア"といえば、あの高速戦艦の……」


 輝星が初めて戦った帝国軍が、ヴァレンティナの指揮下の部隊だった。彼女が座乗していた大型戦艦のことは、輝星もよく覚えている。


「ほんのこの間戦った艦に助けられるわけか……因果な」


 敵味方が容易に入れ替わる傭兵稼業とはいえ、こんな事態はそうそう起こらない。運命のいたずらに、輝星は思わずため息を吐いた。

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