第百十七話 余計な配慮

 食事が終わっても、ディアローズは部屋から出て行かなかった。椅子に座ったまま、上機嫌な様子で輝星を眺めている。不気味なものの、今のところ襲い掛かってくる様子はなかった。


「……」


 何をするつもりなのか聞きたいところだが藪をつついて蛇を出すわけにもいかず、輝星は本を読むことにした。驚くことに地球の……それも日本語で書かれた本まであるのだから、準備が良いにもほどがある。彼が手に取ったのは、ストライカー関連の雑誌だ。ベッドに座り、紙面を開く。


「……」


 が、集中して読書が出来るような精神状態ではない。ちらりとディアローズの方をうかがうと、顔を紅潮させ息も荒いというまるでお預けを喰らった猛獣のような様子だ。さしもの輝星も恐怖を覚えずにはいられない。


「あ、あの」


「なっ、なんだ!?」


 輝星の声に反応して、ディアローズはバネ仕掛けのおもちゃのように椅子から勢いよく立ち上がった。おもわず輝星はびくりと震えたが、勇気を奮い立たせて言葉を続ける。


「何か、ゲームでもしません? 暇ですし」


 放置しているとそのまま飛び掛かってきそうな雰囲気があったため、時間を稼いで落ち着かせようと考えたのである。幸いにも、この部屋には暇つぶしの道具はいくらでも用意されている。


「ふむ、ふむふむふむ。わらわを退屈させまいと思ったのか。なかなか良い心がけではないか」


 違います、とはさすがの輝星も言えなかった。ディアローズは嬉々とした様子で部屋の隅にある棚へと向かい、一枚の板と箱を取り出した。


「日系の地球人テランならば、将棋は出来るだろう?」


 そう言って彼女がテーブルに置いたのは、確かに輝星も良く見慣れた将棋盤だった。地球製のボードゲームでヴルド人にも人気なものといえばチェスの方なので、輝星は少し驚いた。


「ええ、まあ。駒の動かし方くらいは知ってます」


 頷いて、ディアローズの対面に座る。彼女は嬉しそうに小さな箱を開き、中に入っている駒を盤に並べ始めた。


「手加減してくださいよ、はっきり言って俺は弱いですから」


「ふん、どうだか。本当の戦場でわらわを負かすような相手に、手加減が必要とも思えぬが」


 愉快そうに笑うディアローズだったが、輝星の言葉は謙遜などではなかった。


「うむ……まさか、まさか八枚落ちで勝ってしまうとは……」


 ひどい状況になった盤上を眺めながら、ディアローズが呻く。対戦を始めてから十局目となるこの戦いでは、ディアローズは歩兵と金将、そして王将のみを使って戦うというかなりのハンディキャップを輝星に与えていた。にもかかわらず、彼は完全に詰みの状態になっている。実力差があまりにも大きすぎるのだ。当然、現在の戦績は輝星の十敗零勝である。


「い、いや、いくらなんでもこれは……いくら俺が弱いからって……強すぎませんかね貴女」


 輝星は腕組みしながら唸った。無論輝星は素人なので、歴戦の指揮官である彼女にまともに勝てるとは最初から思っていなかった。とはいえ、駒落ちまでしてボロ負けするのはさすがに予想外だ。


「そ、そうか? くふふふふ、まあ将棋やチェスで負けた経験など、ほとんどないがな?」


 豊満な胸を張り自慢げに笑うディアローズに、輝星も釣られて笑顔になった。こうしてみれば、可愛げのある相手だ。こういう状況でなければ、友人になってもいいような気安さを感じる。少なくとも、前評判で聞いていた鬼畜サディスト指揮官という印象は完全に霧散していた。


「しかし、こんなワンサイドゲームばかりだと楽しくないでしょう? すみませんね」


「なに、気にすることはない。こうやってのびのびと将棋を指せることなど、あまりないからな。なかなか楽しめておる」


 明らかに本音で言っているとわかる態度で、ディアローズは首を左右に振った。次期皇帝ともなれば、なかなか気楽に羽を伸ばす機会もないのだ。あまり歯ごたえのない相手とはいえ、目の前でウンウンと唸りながら駒をいじる輝星を見ているだけでディアローズは満足だった。


「……さて、そろそろよかろう」


 そこでふと、ディアローズは懐から出した懐中時計で時間を確認した。そして笑みを深くしながら立ち上がり、輝星の肩に手を乗せる。


「では、そろそろメインディッシュに移るとしようではないか。」


「えっ」


 そう言うなり、ディアローズは輝星の後ろにさっと回って彼の体を持ち上げた。お姫様抱っこの状態だ。


「な、なんで!? いきなりなんで!?」


 何を思ってこのような行動に出たのか、それは輝星にも理解できる。ディアローズの目に明らかに情欲の炎が燃え上がっているのが見えたからだ。とはいえ、このタイミングというのはいまいちよくわからない。


「さっきまで普通に将棋指してたじゃないですか! 襲うなら最初から直球で仕掛けてくるでしょ、常道なら!」


「食後すぐに激しく・・・したら、身体に悪いではないか! だからこうして、貴様が落ち着くまで待ってやっていたのだ!」


「そんな配慮ができるなら別の方向にも配慮してほしい!! 主に俺の人権方面で!!」


 文句を言いながら大暴れする輝星だったが、残念ながらディアローズのホールドは完璧だった。彼女は鼻歌を歌いながら、彼を部屋から連れ去った。

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