第五十話 エゴ

「俺はなんで戦場に居ると思う? 借金は返し終えた。実家も今回の仕事の前金で買い戻せた。それでも俺は傭兵をやめるつもりはない。それはなぜか」


 とても静かで穏やかな声で、輝星が聞く。涙を流したままのシュレーアは、その言葉を頭の中で反芻する。しかし、答えは出なかった。よもや、金のためであるはずもない。むしろ彼は金には頓着しない方だろう。短い付き合いだが、それくらいはわかる。


「……わかりません」


 ひどい鼻声で答えるシュレーア。輝星は苦笑して、フライトジャケットのポケットから出したポケットテッシュを手渡す。受け取った彼女は、おずおずといった様子で鼻をかんだ。


「結局のところ、俺のエゴを押し通すには傭兵という立場が一番いいんだ。だから俺は傭兵を続ける」


「エゴ……?」


「そうだよ。自分勝手な欲望と言い換えてもいい」


 思いもしない単語が出てきたせいでシュレーアは絶句する。欲望と聞けば生々しいが、どういう内容なのかはさっぱりわからない。まさか、戦場にありがちな捕虜に対する役得・・などではあるまい。


「前にも何回も言ったけどね。俺は人が死んでるところに遭遇するのが滅茶苦茶嫌いだ。なんといっても、俺は双方向ブレイン・マシン・インターフェースi-conを通して人の感情の発露を見ることが出来るから」


 窓の外に視線を向け、輝星は語る。シュレーアは口を挟まず、無言で鼻をすすった。


「戦場ってのはやっぱり生き死にがかかってるからさ、みんな必死だ。死力を尽くして戦ってる。そういう人間の出す感情というのは……強く、激しく、そしてとても面白い」


「それは……」


 思った以上に悪趣味な話だった。だが、それを語る彼の表情はあまりにも静かで、シュレーアは何も言えなくなってしまう。


「その激しい感情の発露が、死ねば一瞬で消える。あまりにももったいないじゃないか。その人間の心の熱と刻んできた人生の重みが、あっけなく弾けてなくなるんだぞ? 俺はそれが許せない」


 視線をシュレーアに戻し、輝星は微かに笑った。


「傭兵という立場はいいよ。不殺のエースなんて存在が許容される。どんな荒唐無稽な目標を持っていたところで、結果を出し続ける限りは文句をすべて封殺できる。組織人じゃあ、そんな勝手は言ってられない」


「殺させないために、輝星さんは戦っていると」


「そう、一人でも多くね。俺は強いからさ、戦えば戦うほど彼我の死者を減らせる。パイロットを殺さないまま相手を無力化し続ければ、味方側の被害も減るじゃない」


 それは、輝星ほどの規格外でなければとても通用しない話だった。しかし彼は実際に負け戦をひっくり返した。あそこまでやって文句を言うことが出来るのは、相当の恥知らずが部外者だけだろう。


「しかし、だからといって……無茶をしすぎですよ。あなたは自分を削るような戦い方をしています。正直、見ていられないんです」


 絞り出すような声でシュレーアは言った。思い出すのは、敵艦が沈んだ時の輝星の反応だ。明らかにひどいショックを受けていた。さらに言えば特攻じみた帝国主力艦隊への攻撃。勝ちはしたものの、彼は自機の加速力に肉体がついていかず生死の境をさまよう羽目になった。


「あなたは……戦うことに向いていない。心も、身体も……。そんなあなたを、私は……」


 その発言がいかに空虚なものかは、シュレーア自身が一番よくわかっていた。全力で戦ったところで、自分は輝星の足元にも及ばないのだ。ぼろぼろと大粒の涙が彼女の目からこぼれる。


「それは理解してるんだけどね、止められるもんじゃあないんだよね。自分の本当のエゴってやつはさ」


 そんな彼女を慰めるでもなく、輝星は笑う。下手な慰めなど、むしろ失礼にあたるだろうと彼は考えていた。


「殿下もさ、自分の心を言葉にしてみてほしい。きみは本当は何をしたいの? 何をなしたいの? 正直に、率直に応えてくれると嬉しい。それがどんな内容でも、俺は受け止める」


「……」


 しばし、シュレーアは考え込んだ。そしてゆっくりと口を開く。


「私は、あなたを守れる人間になりたいです」


「違うな」


 きっぱりとした口調で輝星は彼女の発言をぶった切った。思わず目を見開くシュレーア。


「繕っちゃだめだよ。汚くとも、醜くとも! それが自分の本当の願望ならばそれから目をそらしてはいけない。自分の心とは一生付き合っていなきゃいけないんだ。こんな自分は自分じゃないと逃げ出したところで、死ぬまで追いかけまわされることになる。真正面から受け止めた方がいいんだよ」


 シュレーアは黙り込んだ。目を閉じて、浅い息を何度か繰り返す。そして深く息を吸って、ゆっくりと吐き出した。


「私は……私はあなたに、自分が強いということを見せたいんです。それで、『すごい! 格好いい! 結婚して!』って言われたいです……!」


 とんでもなく情けない発言をしている自覚はあった。こんなことを言われれば、百年の恋でも冷めてしまうだろう。さざ失望されただろうと、おずおずと輝星をうかがうシュレーア。だが、彼は満面の笑みを浮かべていた。


「そうだ! それでいい! いいじゃないの、それでさ」


「で、でも」


「でもじゃないよ。自分でも信じていないような、耳触りの言いお題目を唱えるだけのヤツよりさ……どんな内容であれ自分のエゴに正直なヤツの方が強いんだよ。己の本当の願望を知っている分、それだけ一生懸命になれるからね」


 輝星は体を乗り出して、シュレーアの肩をパンパンと叩いた。


「ということはだ。殿下は今、少しだけ強くなったワケだ」


「私が……強く?」


 おずおずとシュレーアが呟く。いつの間にか、涙は止まっていた。


「そうだ。そうやって一歩ずつ強くなっていくしかないんだよ、人間は。目標を達成するには、どんな内容であれ障害を乗り越える力が必要になってくるからね」


 輝星の言葉にシュレーアは何かを言おうとした。しかし、それよりも早く突如部屋の襖が音を立てて勢いよく開かれた。


「話は聞かせてもらった!」


 そして響き渡る大声。びくりとして二人が視線を向けた先には、なんと漆黒の軍服を纏った長身の金髪女が居た。ヴァレンティナだ。


「な、なっ……! 何故あなたがここに……!」


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