IQ84
しいな らん
IQ84
3月31日に生まれた椎名純は、学年では最後、一番の早生まれで生まれた。
早いと言ったら、その生まれる瞬間もまさに早生まれで、純の母、凪は高齢出産で突然の帝王切開となり、母子共に命の危険に晒され、生き残る可能性は0.1%だったが、奇跡的に無事元気で生まれた。
純は問題のある家庭で育った。
身体も貧相で、おどおどとしていた純はいじめを受け、塞ぎ込み一人考え込む子供になった。
純文学や私小説を好む暗い子供だった。
純は物語が好きだった。
物語はいくらでも、どんなものでもでっち上げられるからだ。
書こうとまではしなかったが、頭の中で適当な楽しい妄想をよくしていた。
そっちの方が楽しいからだ。
周りからは完全に浮いた。
同じ学年の生徒と丸々一年年齢が違う。
勉強には一切ついていけなかった。
中学校に上がり、他の生徒とは一回り遅く、身体も男に近づき始め、異性への興味も沸き始めた。
純は草薙花火という同じ学年の少女に恋していた。
何がどう好きとは、言葉にはできなかった。
その日は純の人生において最も特別な日だった。
決定的に人に人生を変えられた瞬間だった。
何事も動きのとろい純は誰もいない教室に一人だった。
そこに忘れ物をした花火が一人戻ってくる。
花火は純をじっと見た。
純は固まった。
それを分かって、花火は優しく話しかける。
「帰るところ?」
「う、うん」
それが初めての個人的な会話だった。
純は緊張して言葉が出てこない。
花火は純の言葉を待っているのだが、それが出てくる事が無さそうだと分かると、スマートフォンを取り出す。
Webで適当な記事を見かけると、それを開いて純に見せる。
【ネットで簡単! IQテスト!】
別に話題は何でもよかった。
純のIQを測ってみる。
【あなたのIQは84です】
純はアホだった。
でもこのIQテストの数値も適当なでたらめだったのでどうでもよかった。
どうでも良いだが気まずいので、花火は明るく話かけた。
「れ、連絡先教えてよ」
純はよくスマートフォンを落とすので落として安心、軍も使用している角ばった真っ黒の耐震ケースにはサンリオのキャラクターシナモンのシールがケースの黒をすべて覆い尽くし何枚も色んな格好のシナモンが貼られていた。
とてもアホっぽかった。
【IQ18】の画像ページは即座に閉じられた。
IQ18と言ったら平均値より大分下である。
中央値は100である。
ネット辞書、wikipediaには、
知能段階 ウェクスラー式IQ この段階の割合
非常に高い 130以上 2.3%
高い 120–129 6.8%
平均の上 110–119 16.1%
平均 90–109 49.5%
平均の下 80–89 16.1%
低い(境界域) 70–79 6.8%
非常に低い 69以下 2.3%
と乗っている、つまり「平均の下」。
下の下でもない。
ダメダメ〜とギャグにもならない単なるダメ。
重なり合ってピカソの絵のようになっているシナモンのシールを見つめながら、純は己のアホさに悲しくなった。
教室二人以外誰もいなかった。
夕暮れの教室に二人、花火が純に向いて言う。
「じゃーね、バイバイ」
「バイバイ」
「早く帰りなよね、まともな人間にならないぞ」
「…………」
そもそもどうあがいてもまともな人間なんてなれるはずがないと、勝手にそう思い込んでいた。
でも、まともな人間に”成らなきゃ”いけないのだ。
ハッとしてクラスメイトの草薙花火の顔を見る、笑顔が可愛かった。
その可愛さに当然のお説教をそのまま受け入れなければならなかった。
まともになろう、そう心に誓った。
言い残して教室を出て行った花火、そこには花火の死体。
教室の廊下部分で倒れていた草薙花火は、外傷無く、そのまま死んでいた。
純はそれから警察署で相当長い尋問を受けた。
長年にわたってメディア、マスコミからも注目のまとになった、
純は腐りきっていた。
好きな女の子が突然死に、その容疑を疑われ、人生の大半をそれに費やしてしまった。
完全なる不条理だった。
純はもうじき30歳になろうとしていた。
総てがどうでもよかった。
純は恋をした。
初めてのまともな交際は一年で終わった。
実は彼氏がおり、ぶん殴られて愛は量子分解(クォンタムブレイク)した。
総てを呪い堕落していた純は、最後まで堕ちる事に決めた。
インターネットで出回っていた「合法ドラッグ」に手を出した。
捕まったって構わないと思っていた。
だがこのドラッグ、合法なのだ。
既存のドラッグの枠からはあまりにかけ離れていて、法規制が間に合っていなかった。
そのドラッグは通称「パラレル」
人間が化学式を作り出し創造したいわゆるデザイナーズドラッグだが、実態はない。
その画像ファイルを見るだけで、その瞬間、見た者はトリップする。
画像ファイルには、一見意味不明な数列が書かれているだけだ。
その画像は、見た者がそれが「デザイナーズドラッグ、パラレル」であると知っていて見ないとトリップできない。
世に出回り、知れ渡った瞬間に規制された。
これを作った者は特定されていない。
画像に書かれている数列を特定のソフトで変換して見ると、曼荼羅のような画像になる。
絵を見ても誰もそれを理解できないし、描いた者の正体は分からず終いなのだが。
その曼荼羅は、可能世界総てを二次元に落とし込んで表現された絵である。
絵を見ても、それは各々の想像力でいくらでも解釈できた。
だが、それが数値化されてしまうと、そのまま視覚に入った数列は無意識が脳で処理してしまう。
それは呪いという想像力のドラッグだった。
純は「パラレル」を見た瞬間、言語化できない感覚に陥った。
すべての可能世界のすべての場所と時間を同時に味わった。
無限のような一瞬、一瞬のような無限の数秒。その中で、何度も純にとって一番大切だった瞬間を何度も思い返した。
長い長い一瞬、一つだけ、当時できなかったことを思い出した。
別れ際に書こうと決めたラブレターの書き出し。
それはまだ思考に浮かぶ前に正気に戻った。
実際の純の脳では今何が起こったのか理解することはできていなかった。
ただ、最も幸福な瞬間だった。
本当の幸福だった。
だが、それも一瞬。
その直後、スマートフォンの着信が鳴る。
草薙花火からの着信と表示されている。
その名前に覚えは無かった。
IQ84 しいな らん @satori_arai
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