5-04
帰宅してから間もなく。
レイラは誰とも口をきかずに自室へ籠り、心の整理をした後にレイをバルコニーに呼び出した。
相も変わらず雨は降り続き、まだ夕方だというのに空は薄暗い。
レイラはレイに背を向け、降り続く雨を目で追っていた。
鼓動がはやい。それは焦燥であり、不安であり。
雨が降っていてよかった。この異常なほどの心音も、この雨の音に掻き消される。
レイがぽつりと呟いた。
「今朝は早起きされたようで」
「……うん、なんかそういう気分だったから」
「心配いたしました」
いつもと同じ会話。
ただ違うのは自分の気持ちだけ。
「ごめんね。私主なのに、いつも心配ばっかりさせてた」
「いえ。気になさらずともいいことです。主を守り、いついかなるときでもお傍にいるのが私の役目ですから」
役目。
再びの沈黙。
レイラは口を開く。そうでもしなければ叫び出してしまいそうだった。
「私、……べリアスを選ぶことに決めたから」
唐突に話を始めた理由は誰よりも自分がよく分かっている。
怖かった。
結論を先に言ってしまわなければ、また迷ってしまいそうだった。
震える息を吐き出し、ゆっくりと振り返った。
雨の中にけぶるように佇んでいるレイの麗しい顔に浮かぶのはいつもと同じ表情。
どこまでも静かな血色の瞳に全てを見透かされてしまいそうな気がして、レイラは再び背を向けた。
つぶれてしまいそうだ。
「考えてみたらね、別に悪い話じゃなかった」
不自然かもしれない明るさでレイラは気持ちを逸らす。
「べリアス、性格はちょっと困ったところもあるかもしれないけど、見た目はよすぎるくらいだし」顔を上げていられない。「……私のこと、大事にしてくれるって、言ってたし」
声が震えた。
この先は口にしたくなかった。
それでも言わなければならない。そうしなければ彼はずっと縛られたままで。
悟られてはいけない、決して気付かれてはならない。
「それで、さっき、そう言ってきたの。そしたら、私に護衛をつけてくれるんだって。だから」
胸がひどく軋んだ。
言いたくない、言ってはいけない。でも言わなければならない。どうしても。
「あなたはもう、いらないの」
そばにいてほしい。
「だって、そうでしょう? べリアスが守ってくれるのに、わざわざあなたに守ってもらう必要はないもの」
守ってほしい。
「短い間だったけど、ありがとう。あなたたちのおかげで、すごく素敵な出会いができた」
もっと一緒にいたい。
うつむいた。
泣いてはいけない。これは自分で決めたことなのだから。最後まで貫かなければいけないのだ。
動こうとしない口を無理に開き、レイラは告げる。
「あなたとコウを、使い魔の任から解放します」
胸が、痛い。
「……さよなら」
……もっと、そばにいたかった。
「それが、あなたの望みですか」
しばらくの沈黙の後、レイが無表情な声で静寂を破った。
「そうだよ」
レイラは頷く。
「……仰せのままに」
最後まで聞くことはできなかった。
うつむいたままレイの隣をすり抜け、早足になり、気がつくと駆け出していた。
自室に飛び込み背中でドアを閉めてくずれおちる。
噛み締めた唇の隙間から漏れる嗚咽に体を震わせ、膝を抱え、レイラは腕に爪を立てる。
知らなかった。こんなに離れるのが辛いなんて。
知らなかった。こんなに別れを口にするのが苦しいなんて。
知らなかった。
私はこんなに、レイのことが好きだったんだ。
彼を思うと、体の中に満ちていた何かが欠けているのが分かる。
契約の力が、欠けている。
もう、私とレイをつなぐものはどこにも存在しない。
胸が張り裂けそうで、苦しい。
こんな痛みを、かつての彼も感じていたのだろうか。
とめどなく涙を流しながらレイラは思う。
止めてほしかった。
そばにいたいと、言ってほしかった。
でもそれはできないこと。レイラだって分かっていた。自分が自ら彼を突き放したのは、怖かったからだ。いつか彼が去ってしまうのが怖かったから、自分から別れを告げた。
彼のためだと自分に言い聞かせて。
結局は、自分に踏み込む勇気がなかっただけなのに。
我ながら理不尽だとレイラは笑う。
私にはできないことだから。
どうか、どうか誰よりも優しい彼が。
強くて弱い、危うい笑顔で自分を隠す、彼が。
幸せになりますように。
それだけを願いながら、薄暗い部屋の中。
降りしきる雨とともに、レイラはいつまでも涙を流し続けていた。
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