ダブル

白玉ぜんざい

ダブル



 ドッペルゲンガーって聞いたことある?

 有名な話なので聞いたことはあるだろうけれど、それでも聞いたことのない人のために簡単に説明すると、もう一人の自分である。

 まるで鏡に映した自分かと錯覚するほどに同じ姿をした何か。


「私の友達の友達が聞いたらしいけど、ほんとに見たんだって」


「ドッペルゲンガー?」


 わたしがぼうっと外の様子を眺めていると友達の宮子が話しかけてくる。

 宮子は長い髪をポニーテールで纏めるバスケ少女だ。


「そうそう」


「ふーん」


「なに、沙也加は興味ないの?」


「んー、まあね。だって非現実的過ぎるでしょ。映画とか漫画とか、フィクションの産物だよ、あんなの」


「冷めてるなあ」


「宮子はいると思うの?」


「そりゃあね! だって、そっちのが面白いでしょ?」


「面白い、かなあ」


 ただ自分に似た存在が目の前に現れるだけなら、別に何てことない。いや、もちろん怖いは怖いけれど、これほどまでに噂になるほどではない。

 しかしドッペルゲンガーの話は広まる一方だ。

 それはつまり、ドッペルゲンガーはただ目の前に現れるだけではないと言うことだ。


「ドッペルゲンガーってね、らしいよ」


「もうすぐ死んじゃう人ってこと?」


 わたしが言うと、宮子は豪快に頷く。何をするにも動作が大袈裟なのが、宮子のいいところであり悪いところでもある。


「てことは、そのー、なんだっけ……宮子の友達の友達? は死んじゃったってこと?」


「友達の友達が聞いた話だから当事者はまた別の人だね」


「もう限りなく他人なんだね……」


「だから情報も絶対ってわけじゃないけど、少なくとも人が死んだとかは言ってなかったかなあ」


「結局、ただの都市伝説ってことか」


「そーなんだけどー! 最近クラスでもよく聞く噂でしょ? そういう流行りには乗っておきたいのは若者の性じゃない」


「わたしは別にそういうのないよ」


 そう。

 最近教室の中もそうだけど、いろんなところでこのドッペルゲンガーの話を耳にする。

 何でもないただの都市伝説の広がり方ではない。

 

「沙也加はドライだなー。ドライフルーツよりもドライだよ」


「なにそれ……」



■□■□■□



「アイス食べたいんだけど」


 わたしがリビングでテレビを見ていると、姉の早紀が気怠げに言ってくる。


「買いに行ったらいいじゃん。あ、わたしバニラのがいい」


「分かんないかなー、愚妹よ。さっきのは暗に、買いに行ってこいって言ったのよ?」


「サキ姉こそ分かってないね。さっきのわたしの言葉は、面倒くさいから自分で行ってきてって意味なんだよ」


 わたしがしたり顔で言い返すと、サキ姉はひどくかったるそうな顔をしながらわたしを睨む。


「いいから早く言ってこい。私、最中のやつね。お釣りはくれてやるから仕方なく行ってきな」


 そう言いながら、サキ姉はわたしに千円札を渡してきた。

 え、千円? アイスなんてせいぜい百円とちょっとくらいでしょ? いいやつ買っても五百円はお釣りがある。貧乏中学生には大きな臨時収入だ。


「まったく、仕方ないなあ」


「何て分かりやすい妹だ……」


 呆れ顔のサキ姉を放っておいて、わたしはさっさと出掛けることにした。

 ついこの前までは日も長かったけど、気温が下がるにつれて暗くなるのも早くなる。

 アイスを買いに行くといっても近くのコンビニまでなので歩けば五分程度で到着する。


「ん?」


 暗くてよく見えなかったけれど、ふと視界に入ったものが気になってわたしは足を止めた。


「宮子?」


 今、その角の辺りに宮子がいたような気がした。家はこの辺じゃないけれど、何か用でもあるのかな。もしかして、わたしに用事があるのかも……なら早く帰らないと。

 とはいえアイスは食べたいのでさっさとコンビニに向かい、ご指名のアイスを買って駆け足で家に帰った。


「おー、えらい早いね」


 わたしが家に戻ると、サキ姉はリビングでくつろぎながらドラマを観ていた。わたしもそのドラマ最初から観たかったのに。


「ねえ、さっき宮子来た?」


「宮子ちゃん? いや、来てないけど?」


「そか。コンビニ行くときに見かけた気がしたんだ」


「気のせいでしょ。そんなことよりさっさとアイスをちょうだいな」


「んもう、冷たいなあ」


「アイスだけに? ちょっと寒いよ?」


「……」


 ■□■□■□


「昨日? 家でテレビ観てたけど。それがどうかした?」


 翌日、宮子に昨日のことを尋ねると、眉をへの字に曲げて返事をくれた。


「近くで宮子に似た人を見かけたから気になっただけ」


「あれかなー、もしかしてドッペルゲンガーってやつじゃない? この辺にいるのかも!」


「またその話。そんなワクワクする内容じゃないでしょ」


「ワクワクするでしょー? そんな超常現象が身近に迫ってるんだよ! これがテンション上げずにいられますか!」


 宮子は立ち上がり、ぐいっと顔を近づけて熱弁してくる。どうしてそこまで熱くなれるのか、不思議でならなかった。

 ほどなくして担任の先生が入ってきて、チャイムが鳴ったのでわたしは自分の席に戻る。

 宮子は噂に敏感というか、そういう話が特に好きで、都市伝説とかUMAとかの特集雑誌をよく買っては、話を聞かされる。

 逆にわたしはそういった類の話には興味が持てないのだけれど、楽しそうに話す宮子を見ていると無視もできず、何だかんだと最後まで付き合っている。

 もし、目の前に自分そっくりな人が現れたらわたしはどうするだろうか? 仲良く、はさすがになれないだろうし、逃げ出すかな?

 そもそも、死期の近い人の前に現れるって言ってたけど、現れてどうするんだろう?

 考えても答えはない。

 当然だ、都市伝説なのだから。ふわふわした噂に実態はなく、どれだけ考えようと、正解はない。結局最後に残るのはそうかもしれないという曖昧な結論だけ。

 だから、好きじゃない。

 身にならない話全てを否定するわけじゃないけど、中でもその類の話は特に好きじゃない。別に怖いとかそういうのでは決してない。

 もしこの目で見たならば信じるしかないけれど、そうでもない限りわたしはそんなバカみたいな話に振り回されたりはしない。


 ■□■□■□


「一緒に帰ろーぜー」


 放課後、わたしが帰り支度をしていると、にこにこ笑顔で宮子が言ってきた。


「部活は?」


 宮子はバスケ部所属の活発系部活女子なので、放課後はいつも練習だ。いつも遅くまで練習しているのだから結果が伴えばいいけど、この前の大会も一回戦負けだって言ってたな。

 それに比べ、わたしは帰宅部。学校が終わると寄り道もせずに家に帰り、復習もそこそこに録画していたドラマを消化するだけ。

 何かに熱中できる人が羨ましいと、実は心密かに思っているの。


「よく分からんけど今日は休みだって連絡回ってきた」


「そうなんだ。じゃ、帰ろっか」


 宮子と一緒に帰るのはレアだ。

 せいぜいこうしたたまたま部活が休みの日かテスト期間くらい。

 宮子と帰らない日は基本的に一人で帰るので、実は楽しみだったりするのだけれど、それを口にすると彼女が調子に乗るので言わないでいる。

 別に宮子以外に友達がいないわけではない。


「クレープでも食べて帰ろうよ」


「お、いいねぇ。その話乗ったぜ」


 ビシッと親指を立てて元気よく返事をしてくる。宮子は感情が表に出やすいので非常に分かりやすい。友達として、これほど絡みやすい相手はいないと思う。


「それでね、その時先生がさー」


 クレープを食べながら、宮子が部活の愚痴をこぼす。八方美人というと、宮子のイメージとは少しズレるけど、彼女は誰に対しても平等に優しい。

 そんな彼女にだって不平不満はあるのだ。しかし、周りからのイメージが災難し、吐きどころを見失いつつある彼女は時折こうしてストレスを発散する。

 わたしと違って誰とでも仲のいい宮子だけれど、人気者には人気者の悩みがあるんだなと思わされる。


「それじゃねー、また明日」


 帰り道を歩いているとやがて分かれ道へとたどり着く。いつも長く感じる帰り道も、誰かと一緒だと短く思える。

 楽しい時間というのは、いつだってあっという間だ。


「うん、また明日」


 手を振りながら別れる。

 別に今生の別れというわけでもないのだし、寂しいという気持ちはあっても感傷に浸るほどではない。明日学校に行けばまた会えるのだから。


「あ、そういえば借りてた漫画返すために持ってきてたんだった」


 以前借りた漫画を返そうとカバンの中に忍ばせていたのをすっかり忘れていた。

 カバンの中を覗くと、返していない漫画がしっかりと入っていた。

 今ならまだ間に合うだろうと、わたしは歩いてきた道を駆け足で戻る。宮子の家も知っているので最悪家に行けばいいだけだ。

 さっきの分かれ道まで戻ってきたわたしは、そのまま宮子の家の方に進む。

 どこにでもある住宅街。

 見慣れた道で迷うことも当然ない。

 だから、どの道の先が行き止まりだとか、この先は何もないとかも把握している。


 ドサッ。


 気のせいだと思うくらいの小さな音がした。

 大きな荷物を置いたような音で、別におかしくもない日常の中にありふれた音。

 わたしが気になったのは、その音が聞こえてきた場所だ。


「ここから、だよね……」


 家と家の間にある細道。一度通ったことがあるけれど、この先には何もない。

 行き止まりだ。

 あるとしても、せいぜい小さなスペースくらい。間違えて入ることもないし、もしそうだとしても何か荷物を置くことはしないと思う。

 怖い、という感情に好奇心が勝ってしまう。それは別に構わないのだけれど、好奇心の赴くがままに行動するのは良くないことだ。

 時には一度立ち止まり、冷静になることだって大切。でもわたしはこのとき、そんなことは考えもせずにその細道を進んでいった。

 日の光は両隣の家の屋根が邪魔をしていて差し込んでいない。それに加えて夕方の暗さで足元はほぼ見えていない。

 引き返そうかな、と不安に思う気持ちはあったものの、やっぱり好奇心が前へ進む足を止めさせてくれなかった。


「わっ」


 歩いていると、何かに引っかかって転けそうになった。

 咄嗟に横の壁を持って転倒だけは避けた。横の壁は少しトゲトゲしていて手のひらが痛かった。

 何が置いてあるのだろう、わたしはそう思いながら足元を目を凝らして確認する。


「……………………え」


 肌色の何か。

 これは、手だろうか?

 わたしはその手からなぞっていくように視線を動かす。肘から肩、胸元、そして首を見る。

 わたしは思わず、口に溜まった生唾を飲み込む。

 顔はまだ見ていないけれど、さっき一瞬嫌なものが視界に入った。胸元を通過したときに見えたその何かが着ている服。


 わたしが今、着ているのと同じもの。


 つまり、制服。

 見るべきではない。

 これ以上は知るべきではない。

 分かっている。

 けれど、わたしの好奇心がそれを許してはくれなかった。

 胸元から再び首、そしてわたしは恐る恐る顔を見た。



「…………宮、子?」



 瞬間、わたしの目の前は真っ白になった。



■□■□■□



「行ってらー」


 サキ姉の言葉に返事をする元気もなかった。

 昨日、あれから慌ててあの場所を離れた。息を切らしながら家まで走り、ご飯も食べずに震えながら眠った。

 全部夢だったかもしれない、そう思いながら起きたけど、昨日手のひらについた傷がまだ少し痛んだ。

 学校に行くのが怖かった。

 もしもあれが本当に宮子だったならば、もう学校に宮子はいない。それを知ってしまうと認めるしかなくなる。

 でも、行かないわけにはいかない。

 それが学生であるわたしに課せられた仕事だし、もっと言うならば全てを知ることが、今のわたしに課せられた使命のように思えたから。

 学校に到着し、ドアの前で一度深呼吸をする。ドアの前で緊張するのなんて入学した時以来だけど、緊張度合いは比べ物にならない。

 意を決して、わたしはドアを開いた。


「あ、沙也加。おはー」


 わたしは目を疑った。

 だってそこに、宮子の姿があったから。

 安心したのだと思う。わたしは膝から崩れ落ちて、瞳を濡らした。さすがにここで涙を流すわけにはいかないと、泣くのだけは何とか堪えた。


「どったの、朝から変な沙也加だね」


 そして、宮子はいつものようにケタケタと笑うのだった。



 ■□■□■□



 今日の帰りは一人だった。

 宮子が元気なのは確認した。

 それで安心したのは確かだ。

 でも、まだ心のどこかに残っている不安をどうしても解消したかったわたしは昨日の場所へとやってきた。

 足が震えているし、呼吸も荒くなっている。昨日の光景を思い出して、頭がくらくらする。

 今、わたしの体を支配しているのは間違いなく恐怖だ。

 でもこの恐怖をずっと残さないためにも確認しなければならない。

 宮子は元気だったんだから、これ以上は何もないに決まっている。そう、これは不安解消のための、ただの確認だ。

 わたしは細道を進む。


「…………」


 昨日の場所には、何もなかった。

 まるで昨日わたしが見たのは幻覚だったのではないかと思えるほどに、きれいさっぱり何もない。

 わたしはそれを見て、ようやく安堵の息を漏らす。

 良かった。


「帰ろ」


 それを見れば、わたしの中の不安は解消されると思った。

 なのに、それは一向に消えず、どころか次第に膨れ上がっていく。これはどうすればなくなるのだ、どうすればわたしは楽になれるんだ。

 分からなかった。

 暗くなった道をゆっくりと歩く。いつも通っている道なのに、今日は全く違う場所のように思えた。

 気持ち一つで、見えている景色はいくらでも形を変えるのだ。


「…………ん?」


 何となく、後ろに人の気配を感じたわたしは、足を止めて振り返る。

 けれどそこには誰もいない。

 気のせいか、そう思って再び歩き始めたのだけれど、やっぱり後ろが気になってわたしはもう一度後ろを振り返った。



「ようやく見つけた」



 わたしがいた。

 目を疑った。けれどそれは本物だ。本物、というと語弊が生じるかもしれないが、そこにいたのはわたしそのもの。似ているとか、そういう話ではなく、本当にわたしなのだ。


「どういう、こと?」


 実際に目にしたものは信じるしかない。

 そう思っていたけど、いざ目にしてみれば自分の目の方を疑ってしまう。

 けれど、これは本物だ。


 ドッペルゲンガーだ。


 何となく分かる。

 これは直感としか言えないけれど、向かい合うと伝わってくる異様な違和感。

 この現象に遭遇した人はみな、こんな気持ちだったのか。

 たぶん、宮子も……。


「あなた、何が目的なの?」


 口にしてみたけど、本当はもう分かっていた。

 彼女を目の前にしたとき、わたしは全てを察した。

 ドッペルゲンガーの都市伝説において、誰もが重大な勘違いをしている。

 死期が近い人の前に現れるのではない。

 

 ドッペルゲンガーの手によって、命を奪われる。

 そして、目の前の紛いものが、本物に成り代わり生きていくんだ。


 どうしよう、逃げなきゃ。

 このままじゃ殺される。

 昨日の宮子のように。

 誰にも死んだことを気づかれないまま。

 わたしはこの世界からいなくな―――


 ――――――


 ―――――――――


 

「さようなら」

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