四
「本当に?でも私は、その大沢エリナで間違いないと思う。だからこそ、市井くんの前に出てきて念押しというか――背中を押したんじゃないかって思う。そもそも、こんな偶然はあり得ないよね。それで――何か、話した?」
「いや、話すも何もめちゃくちゃ怒ってたよ。なんであんなキレてんだよ。大丈夫?ついてきたりしてないか?後少しだって言うのに、なんか間違えてるのかおれ?」
「大丈夫、ついてきてはない…かな。それに、間違えってことはないと思う。あのラバーベイサイドの四○九号室に、母親を連れて行く。これは絶対にはっきりしているし、間違えなんかじゃない」
新山くんと話し終わった後、とりあえず一旦自宅へと帰った。西野に報告もしておきたかったし、着替えたかったし、これからエリナの母ちゃんを捕まえにいくけど、西野を勝手においてけぼりにできないなと思ったからだ。
「それで――」
おれは西野が煎れてくれたコーヒーを飲みながら、さっきのことをあらためて報告した。西野は黙ったまま頷くようにおれの報告を聞いていたけど、一個だけ確認をする。
「父親は――捕まっているって?」
「ああ、詐欺かなんからしいな、居たらブン殴ってやろうかと思ったのに」
「そう――。市井くん、前にも言ったけど、エリナとは率先して関わろうとか、会いたいとか、話したいとか思わないようにね。ぎゅっと呪いが進んでしまう可能性があるから。霊感がほとんどない市井くんでも、直接にエリナの姿を見たってことは、かなり世界が重なってしまっているってことだし…」
「わかってる。後もう少しだからな、ここまで来て運とやらを削り取られてもたまんねーしな」
おれはそう言って笑ったけど、西野ははにかむような――いや、少し悲しそうな笑顔を浮かべながらコーヒーを口にしていた。
「それで、どうするの?すぐに行く?」
「ああ、絶対確定ってわけじゃないけど、行くしかないよな。こんな偶然あり得ないしよ。自宅行ってから、最悪働いてるって店の前で待っててもいいし。時間もなさそうなんだろ?今日にはもう動いてさっさと解決できるならしたいでしょ。西野はどうする?」
「行くに決まってる――」
西野はそんなおれの言葉に、強く頷いた。来るなら来るでいいんだけど、おれもエリナの母ちゃんには容赦をするつもりはない。行くたくないとか知らないとかごねるようであれば暴力行使をするつもりだし、なんでもするつもりだ。できれば――そういうところを西野には見せたくなかったな。
「わかった。最初に言っておくけど、エリナの母ちゃんが素直にすべてを認めて協力をしてくれるならおれは何もしないけど、そんなことはないと思う。ごねたり、しらばっくれたりしたら容赦はしない。それを見ても、驚いたり、止めたりしないでほしいんだ」
「わかってる。市井くんだけにはそんなことさせない、私だって協力するから」
「いや、西野はいい。何も言わず見ていてくれるだけで」
おれはそう言い残して自分の部屋に戻り、着替えた。なんでわざわざ着替えるんだろうなんて思ったろ?これはね、すごい大切なことで、これから何か暴力沙汰になるなぁと思うときは、必ず黒い服に着替えるのが基本。
なんでかって言えば、黒い服は暗いところでの喧嘩だとマジで見えにくくなるし、返り血とかがついても目立たなくなるから。服にたくさん血が付いてたらおかしいだろ?だから、おれと亮介は必ず喧嘩する時は黒い服を着ることに決まってるんだ。
黒い長袖のシャツに袖を通しながら、軽くため息というか、息を吐く。
憂鬱な気分だ。そして少し緊張している。
これから、まったく知らないおばさんを脅し、ごねるなら暴力を振るう――。
エリナを思えば、暴力だろうがなんだろうが、何をされても文句を言えないし、そうなって当然の運命と言えばそうだ。でも、やっぱり女を脅したり、殴ったりするのは気が進まない。どんな理由があっても。
それと、本当にうまくいくんだろうかという不安。今日、夢ではなく、エリナが目の前に出た。それはきっと、おれに残された時間がもうあんまりないんじゃないかっていうプレッシャーと、脅したって、ブン殴ったってマジで嫌がる人一人を移動させるのは大変だ。
逃げられたりすれば、そこですべてが終了。どれだけ時間が残されているかわからないけど、もう時間には間に合わないだろう。そこにあるのは、呪いという運を削られた先にある死。
だけど、やらなければ確実な死――。
やるしかないという決意が、徐々におれの身体から憂鬱と緊張を抜けさせていく。そうだ、やらなければならない。やんなきゃ駄目なら、最善を尽くしてやるだけだ。
拳をぎゅっと握って、力を抜く。これを繰り返す。おれが勝てるかどうか微妙な喧嘩をする時の、緊張をほぐすためのルーティーン。
やんなきゃならねーとはわかっていても、緊張を完全にほぐす。失敗はマジで許されない、誰に言われたとかではなく、完全に自分自身の為に、マジで最善を尽くす必要がある。
「ふぅ――…」
大きく息をついてから着替えるとゆっくりと、一歩一歩踏みしめるように階段を下りた。
玄関で、西野はもう待っていた。西野は少し緊張したおれに気付いたのか、唇をきゅっと引き締めたまま軽く頷いた。おれも同じように頷き返す。
思っていることは多分――大体一緒。
これで最後、ここが一番大事。だから、気合い入れていこう。多分、そんな感じだと思う。
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