■05: 対抗訓練(4)

 林を進むイリスとアネット。

 そこへ奇襲をかけるヤン。真っ先に「旗持ち」であるアネットを狙う。

 刃がアネットに迫る。そこへパルサティラが横から飛び込んでくる。ヤンを思い切り蹴り飛ばす。

 パルサティラがアネットの前に立ち、多節剣をヤンへと向ける。

 「頼んだ」とイリスは言い、アネットを連れてその場を去った。


「あ、あなたの相手はわたしです」弱々しく声を震わせながら告げた。


「テメエ、またやりやがったな。ちょうどいい、さっきのお返しだ」


 自分を蹴り飛ばしたのが、パルサティラだと気付いたヤンは俄かに頭に血が上った。ついさきほども、ヤンはパルサティラに蹴り飛ばされていた。二度も同じ人物に同じように蹴られては、憤らずにはいられなかった。


「死なねえ程度に痛めつけてやる。こっちは新型なんだ、そいつをわからせてやる。旧型のお姫さま方に負けるかよ!」



――――

 ――、

 鞭にも似た多節剣対双剣の戦い。

 周囲の樹木を利用した三次元機動で翻弄するヤン。そのヤンを網に掛けようと剣を展開するパルサティラ。

 ヤンは一撃離脱を繰り返す。パルサティラは瞬く間に傷だらけになっていく。


「伸縮自在ってか、だとしても、そんなもんに当たるかよッ」


 なおも高速で飛び回るヤン。うねる多節剣の間隙を難なくすり抜けていく。高い機動性こそがヤンの神器の機能だった。


「うらあッ」


 ヤンが刃の檻の中心へ突っ込み、中心のパルサティラへ刃を振りかぶる。

 ニヤリと口角を上げるパルサティラ。

 パルサティラは、ヤンが斬りかかる瞬間、多節剣を収束させた。網のようにヤンに迫る。人間の通れる隙間はない。


「な――ッ」


 緊急回避するヤン。

 明らかに多節剣の網に捕らえたように見えたが、ヤンは無傷で躱していた。ヤンの神器はただ高速で動き回れるだけでなく、多少の障害物なら瞬間的に透過できる機能もあった。


「ぅ、くっ……」弱々しく喘ぎ、右腕を見やる。


 パルサティラの、剣を握る右腕の前腕と右肩に新しい刀傷ができている。回避する一瞬の間に斬りつけられていた。


「いまのは、ちっとヒヤッとさせられた」ヤンが軽い口調で顎を上げる。


 肩で息をするパルサティラ。だらりと垂れた右腕から、血が滴る。

 それを見て、勝ち誇ったように告げるヤン。


「もう降参したらどうだ? こっちは何回も攻撃を中ててる、そっちはゼロ。実力差は明らかじゃないか?」


「嫌、絶対に諦めません。何があってもわたしはあなたをここで足止めします」声を震わせながら、剣を構える。


 普段のパルサティラとはいくらか異なる気色を発している。「聖女」たちなら違和感を抱いただろう。しかし、初対面のヤンには気付く余地はない。


「言ってろ」

 降参する気がないなら、気絶させる。これ以上、手負いの雑魚に構っている時間はない。


 ヤンは一直線にパルサティラへ正面から突っ込んだ。

 パルサティラが剣を振る。

 それを躱し、一気に背後に回る。


「遅え」


 柄頭でパルサティラを殴打しようと構える。

 肉薄するヤンのほうを、パルサティラが振り向いた。

 パルサティラの目が光を放つ。


「捉えた――」


 瞬間、ヤンは地面に押しつけられた。見えない平面状の何かに上から押されている感覚。全身の骨肉が軋む。


「なん、だ、これは――」


 何が起こっているか理解できないまま、パルサティラを見るヤン。

 地に伏したパルサティラが、ヤンのほうへ手を伸ばして、笑っている。眼鏡の外れた表情は、さきまでの少女とは思えない蠱惑さと冷酷さを滲ませている。


 二人が地面に押しつけられているのは、パルサティラの異能によるものだった。

 パルサティラを中心とした数メートルと、〝彼女に傷をつけた相手〟を対象として、重力場を形成する。その重力場はパルサティラ本人にも作用する、いわば自爆技に近いもの。再生機能を有する神器〈果てしなき強き炎への献身〉とは、パルサティラの私見では相性が良い。パルサティラがヤンの攻撃を受け続けていたのは、異能を必中にするためだった。


 自らにもかかった重圧に逆らい、立ち上がるパルサティラ。パキパキ、と関節の軋む音が響く。

 ヤンには、パルサティラの腕から垂れ落ちる血滴が地面にぶつかる音が、鐘の音の如く聞こえていた。それが己の心臓の拍動と重なって、恐怖に似た感情が全身を巡る。


「さっきまでのは演技。ああいう感じなら食いついてきそうかなって」


「――あ、が――」意識が遠のいていく。


「でも、ちょっと敵意が眠いかな。わたしに実力差をわからせてくれるんでしょ? あと何歩か踏み込みが足りないよ。倫理規定が改定されてるんだから、本気で殺しに来てもらわないと」険しい表情で告げた。


 そこでヤンの意識は途絶えた。心身が重圧とストレスに耐え切れなかった。

 パルサティラは、能力を解除し、地面に落ちた眼鏡を拾った。樹脂製のフレームは欠けており、レンズにも大きなヒビが入っている。


「割れちゃってる。まぁ仕方ないか」


 ポーチから予備の眼鏡を取り出して、かけ直した。今度は金属フレームの丸眼鏡。

 元々パルサティラの眼鏡のレンズに矯正器具として使えるほどの度は入っていない。なくても視力に影響はない。

 それでも着用しているのは、眼鏡をかけていたほうが静かな女の子っぽく見えるかも、という考えからだった。はじめはファッションだったが、いまでは眼鏡なしでは落ち着かない。専用のゴーグルには劣るものの意外と粉塵や風を防いでくれるのも、ちょっとした利点だった。


「しばらくは休憩させてもらいますよぉ」空へと呟いた。





   ◆


「逃がさないわ」


 イリスとアネットの前に、一人の少女が立ちはだかった。およそ傘としての機能を果たしていない骨組みのみの傘を差している。

 ルクシュテルンの新型神器兵、シモーネ。微笑み、傘型神器をくるくると回している。


「見逃してくれないか?」両手を上げる。


 イリスは、隣のアネットに目配せした。アネットは半歩下がり、イリスの後ろに隠れた。


「『賞金首』が目の前にいるのに? 見逃してもわたしの得にならないでしょう?」


「――だろうなッ、と」


 言うや否や、イリスは戦術刀を抜き放ち、勢いのままシモーネへ斬りかかった。

 激しい衝突音。

 光の壁に刃が阻まれている。


 光の障壁――シモーネの神器〈幽光の憐花〉の機能。戦車砲の直撃に耐える強力な盾。



「へぇ」イリスが笑う。


 微動だにしないシモーネ。

 イリスは、障壁を圧し斬ろうと体重を乗せていく。

 そこへアネットが背後から、封印布の巻かれた神器で殴りかかった。

 またもや衝突音。防がれるアネットの奇襲。

 飛び退るアネットとイリス。


「すみません」アネットが謝る。


「構わない、それより――」


「なんでって顔してるわね」したり顔のシモーネ。親骨の間からイリスを見る。「教えてあげる。わたしには死角からの攻撃は通用しないの。後ろからかかってきても、見てから余裕で防げるわ」


 シモーネの異能――俯瞰視点。周囲を肩越しの三人称視点で見回せる。


 加えて、神器による防御。鉄壁の守り。

 余裕綽々といった様子で、優雅に骨傘を揺らしている。


「それで、質問なのだけど――」顎に指を当て、上を見る。「神器ソレ抜かないの?」


「コイツは格上専なんだ。あんた相手じゃあ、一ミリも鞘から動いてくれないぜ」


「あ、そう」


 シモーネはつまらなそうに、イリスとアネットに背を向けた。

 その瞬間、アネットを光の壁が取り囲んだ。



――

 光の壁に囲まれたアネット。

 自身が薄灰色の箱に閉じ込められたこと。それがシモーネの神器の能力によるものだと気付くのに、数秒の時間を要した。


「え、なに……これ?」


 内側にいるアネットからは外の様子は一切窺えない。外の音は全く聞こえず、自分の発する音もほとんど反響せず吸い込まれるように散ってしまう。独りぼっちになってしまった。

 逃れようと壁を叩くもビクともしない。


「助け――、あっ」


 アネットは、差し迫った異変に気付いた。この箱の中は完全に外とは隔絶されている。それは空気も同じ。

 早く抜け出さなければ、呼吸を満足にできず命を落としてしまうだろう。

 両の手に握られた封印布の巻かれた神器を見る。


「でも、わたしにできるかな――」



――

 シモーネがイリスへ笑いかける。傘を閉じ、イリスを指す。


「これも防御の応用よ。槍持ちがいないのであれば、この障壁を破るのは容易ではないわ。可哀そうだけど、あっちの子は窒息して死ぬかもね」楽しそうに言う。「――不幸な事故」


「なら、あんたをぶちのめせばいいだけだろ」


「あなた、状況わかってる? あなたの攻撃じゃ割れないの、さっき見たでしょう?」


「わかってないのはそっちさ。あんたをぶちのめすのはわたしじゃあない」


 障壁破壊において、特効機能のある槍型や鎚型の神器が有用なのは事実。

 しかし、唯一の手段ではない。

 力押し以外で壁を崩せる手段、それを有する「聖女」がこの場に存在する。


 白い影が走った。

 両手に小剣を握った白い影――アネットが、シモーネの側面方向から肉薄する。

 シモーネの異能〈俯瞰視点〉ではアネットの姿は視えていなかった。数分前の同じ状況では視えていた。


「は? どうやって――」動揺しつつも、障壁を展開。


 察知が遅れたが、すんでで間に合う防御。しかし、


「――掻き毟れ」低い声で告げるアネット。


 キィィィ、とアネットの呼びかけに答えるように高い音を発する双剣。


 ささくれ立った刀身が障壁を噛む。喰いちぎられるように、泡が割れるように、光の膜が溶けていく。戦車砲砲弾の直撃にも耐える光盾が、いともたやすく取り払われた。


 アネットの神器〈時荒びの謡眸/翅韻〉の機能――腐食。万物を朽ち崩す、滅びの剣。


 光壁を突き崩し、突っ込むアネット。両手の剣を地面に刺し、それを軸にバネのように蹴りを放った。

 シモーネはとっさに頭を庇ったが、蹴りは頭部ではなく、腹へと吸い込まれていった。

 受け身もままならず、地面を転がった。

 シモーネは、嗚咽を漏らしながらも、アネットを睨み、傘を振り上げようとした。その右腕を、アネットが跳びかかり、踏んだ。骨を折らぬ程度には加減がなされているが、シモーネの腕力では抜け出すには至らない。


「くっ」抵抗を諦めず、左手で拳銃を抜いた。


 しかし、狙いを定める間もなく、アネットの空いている右足によって銃把を握る手が踏み抑えられた。

 それでもなお、抗う。


「黒……いや紫」アネットのスカートの中を仰ぎ見て告げた。「意外と大胆ね」


 アネットは呆れた様子で溜息を吐き、シモーネの首を挟むように剣を突き刺した。暴れれば、刃が触れるように。


 シモーネの顔が強張った。いまのいままで崩さずにいた微笑みが消えた。断崖から突き落とされたかのように、一瞬のうちに目の奥に絶望と懇願が浮かぶ。全身が硬直し、冷や汗が噴き出る。

 殺される――、シモーネは思った。


「――ぇ、嫌……」


 アネットのあどけない顔が、却ってシモーネを恐怖させた。この瞬間、アネットはシモーネにとって死の化身だった。

 目を閉じる。あり合わせの死の覚悟とともに、処刑の一太刀を待つ。

 シモーネは、いま行われている戦いが模擬戦闘であることを忘れてしまっていた。


 一方、眼下で一人勝手に覚悟を終えた少女を見つめ、アネットは強烈な吐き気と悪寒に耐えていた。緊張と忌避感からくる強烈な不快感、そして少女の命の手綱を握っていることへの昏い情動が、悪い酒のように五感を揺らす。


「うっ――」口を抑える。


 長くは堪えられず、小走りにその場を離れるアネット。

 うずくまり、藪の下へ嘔吐する。ひとしきり吐き出したあと、声をあげて泣き出した。


 シモーネも異常に気付き、目を開けた。目の前には銃口。イリスがシモーネの拳銃を奪って突きつけている。チラと横目で、アネットの方を見る。アネットは項垂れ、苦しみに喘いでいる。


「ぁははは」力なく笑いが零れた。


 シモーネには、あまりにも自分が惨めに思えた。想像以上の屈辱だった。反抗心が燻ってくる。



「大丈夫か?」


 イリスの視線がアネットに向いた隙を逃さず、シモーネは腰のポーチに収めていた信号拳銃を取り出した。


「こいつッ、まだ――」


 信号弾が撃ち上げられた。青白い閃光が、彩煙の尾を引きながら、昇っていく。


「信号弾……まずい、アネット、退避だ――何か来るぞ!」


「ふぇ?」


 げっそりしたアネットが振り返る。



――

 アロイスは信号弾の合図を、樹上から確認した。指示された地点に、「砲撃」するのが、アロイスの役割だった。


 握るコンパウンドボウは弓と呼ぶには大きすぎるサイズで、身長の半分近い長さのスタビライザーと飾り程度の役目しか果たせないだろう防盾が異様さを強調している。


「僕は要請に応えるだけだ。悪く思わないでくれよ」


 宙に手をかざす。燐光を放ち、矢が現れていく。アロイスの身長ほどの長さの漆黒の矢。「杭」と言い表したほうが適切だろう無骨さと無機質な圧力。


 呼び出した矢を弓に番え、引き絞る。狙いを空へ向ける。

 張り詰めたエネルギーに大気が震える。

 閃光とともに、矢が放たれた。



――

 一筋の光が空に煌めくのが、イリスとアネットの目に映った。

 退避が間に合わないと悟ったイリスが刀の柄に手をかける。


「来る――!」


「ははは、そんなんじゃ打ち落とせないわ――」シモーネが言う。


 漆黒の矢が空気を裂き、降ってきた。

 ふっと、アネットがイリスの前に躍り出た。くるくると、舞うように剣を振る。

 矢と刃が触れる。

 超高密度の矢が、砂で出来ているかのように崩れていく。切り刻まれ、瞬く間に砂塵と化した。


「でき、た」天を仰ぎ見、感じ入る。「できた――」


 数秒前までは矢だった塵が陽光に煌めく。アネットの白い装束が光に滲んでいる。


「……何が起こったのよ、いま。嘘でしょ、これが『本校』の聖女の力だっていうの」


 あの矢は砲撃に匹敵する火力。地面に命中して、その衝撃で一帯を吹き飛ばすはずだった。直撃すれば、人体は当然耐えられない。

 神器で斬ったことはわかる。やってやれないことはないだろう。しかし、それをやってみせたのは寸前まで吐いていた少女だ。とんだバケモノじゃないか、とシモーネは思った。



「よくやった」


 イリスは、アネットに近寄り、肩に積もった塵を払った。


「はい」



 そのとき、訓練終了のアラームとサイレンが鳴った。


「え、わたし失敗しちゃいました?」


「いいや」


「じゃあ――」安堵の表情。


「他のチームがやってくれたってこと」


「よかったあ」


 アネットは、ぺたんと、その場にへたり込んだ。

 ケモノに殺されるかもしれない実戦よりも、緊張するものがあった。それから解放された。さっき吐いていなければ、いま吐いたかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る