第30話 叩けば叩くほど、いや、叩かなくても・・・

 これはまだいいほうですけれど、もっと困った話もいくつか入ってきました。


 2009年の、民自党から勤労党に政権交代したときがありましたよね。

 そのとき永野さんは、岡山県の2区、つまり岡山市の朝日川より東を中心とした選挙区ですけど、そこで出馬された市民新党の黒松清隆候補の選挙に選挙参謀で入っておられました。

 その頃私は永野さんと面識がなかったので、詳しい話は分かりません。

 実際、生前の永野さんからも、この話をお聞きしたことがありませんので、谷橋さんからお聞きした情報からのお話になりますが。

 この岡山県2区は民社連と勤労党がものすごく強い場所でもあり、勤労党公認の村津啓太候補と民自党公認の山上盛一候補が、選挙ごとに議席を争って熾烈な戦いをしていますが、この時は、村津候補が山上候補を抑えて小選挙区当選されて、山上候補が比例復活で当選という結果になりました。肝心の黒松さんはと言いますと、こんな選挙区で当然勝てっこなく、また、どちらかの票を大きく割るようなこともできず、法定得票数はおろか、供託金没収点にも至りませんでした。

 そうなると、ポスター代やらガソリン代やら、その他何やらの公費負担は、一切なくなりますから、その分は当然、候補者の自費になります。当て込んでいたはずのものがなく、払えないので、結果的に裁判にまでなりました。公費負担が見込めたものだけならまだしも、それがそもそも見込めない決起集会のためのホテル代とか、選挙カーの看板代とか、そういうものも一切含め、最終的には黒松候補が親族に肩代わりしてもらって、とりあえず支払われました。ここにも永野さんは絡んでいて、様々なトラブルを起こしていたようです。具体的な詳しいことはわかりませんが、黒松候補の得票は少なくとも供託金没収点は超えると当て込んでやったが、ものの見事に、その当てが外れた。選挙前と選挙後も含めて、黒松さんから報酬を予定通りもらえたのかどうかは、私にはわかりません。

 選挙の収支報告書を作成したという人から谷橋さんが聞いた話で、まさに刑事訴訟法でいう「伝聞証拠」でしかないですが、選挙期間中の運動員としての報酬に関する限りは、永野さんは法廷範囲内の目一杯の額を受け取っていると言われていました。それは確かに、収支報告書に記載されている事項ですので、確認しようと思えばできないことはありません。

 ただ、その前後に関わる報酬については、第三者の私には一切わかりません。


 そんなこんなの時期、永野さんは一部では有名な備讃ガイドという岡山県内を中心に出している新聞があって、その購読料を「ネコババ」していたようです。その手口というのは具体的にはよくわかりませんが、要は、集金していた新聞代やら広告代の一部を、自分の懐に入れていたということらしいです。ただこれは、刑事告訴などされることなく終わりました。こちらも、永野さんの知人が肩代わりしてやったからだともいわれています。黒松さんの件では、後に肩代わりしてもらった親族に黒松さんご本人が支払われたようですが、永野さんはというと、立替えて払ってもらって、それっきりです。立替えをしてくれた油井さんという方が葬儀の帰りがけにおっしゃっていたから、間違いないでしょう。結果的に、その「ネコババ」した金額、調べたところ数十万円に上ったようです。

 ただ、詐欺事件は、立件が非常に難しいですからね。口先で「詐欺だ」とわめくのは馬鹿でも何とかでもできます。そこらへんの、いささかませたジャリタレ程度にだってできましょう。ですが、そんなもの、無銭飲食とかキセル乗車とか、証拠も挙がってすぐわかるようなものならいざ知らず、本当に大掛かりな「詐欺」的な行為は、「いや、これは経済行為の一環でして・・・」と言い切ってしまえば、それまでの話ですからね。とてもじゃないが、そうそう刑事事件に仕立て上げるなんて、よほど悪質でもない限り難しい。

 民亊なら幾分そのハードルは低いでしょうけれど、それでもうかつに判決で「被告の行為は詐欺である」と名指しもできない。だから、裁判所としても、そんな事件はある程度証拠が出そろったら、当事者に和解を勧めて、和解させて終わらせます。実際、ある先輩のお仕事を手伝っていて、そういう事件の対応をしたことがありましたけど、そんなものです。永野さんにしても、そんなことぐらいは先刻承知でいろいろされていたはずですよ。


 他にも、永野さんのお父さんが、その選挙の翌年に相次いで亡くなられていて、お坊さんに、それこそ「何とか院カントカ居士」なんて大層な戒名を作っていただいたにもかかわらず、そのお布施も払っていないとかね。そのあたりの相場はよくわかりませんけど、聞けば、普通なら最低でも10万円は払うものだろうという戒名をつけてもらったそうです。しかしそれを、なんだかんだで、封筒に包んでお坊さんにお渡ししたわけでもなければ、振込もされていなかったとか。北林さんのお話では、結局、永野さんが亡くなられたときに奥さんがそのお坊さんにその件を謝って、結局、5万円ほどお支払いされたようです。お坊さんも呆れながら、折角なので永野修身さんにも戒名を、ということで、付けていただいたとか。まあそれは、ある意味、厄介払いのための戒名という気もしないではないですけどね。実質無料の割には、御大層な戒名だったようです。

 これまた、谷橋さんからの情報ですけれども、永野さんに4年前の選挙の頃に50万円ほど貸していた宇野市内の知人がおられて、返してくれと再三言って、南西区の自宅まで行ったこともあったそうですが、そのときは何とか、10万円返してもらえて、その時に口座番号を教えていたおかげで、たまに5000円とか、1万円とか、何度かは振込んではもらえていたのが、2年も過ぎたころには、そういったこともなくなった。まだ30万円ぐらい借金が残っていて、確か昨年の夏ごろ、南西区の自宅に行ったら、すでに転居されていなかった。で、携帯の電話番号にかけても、着信拒否にされていたわけではないけれども、なかなか出ない。ようやく、去年の10月初めごろにつながったものの、その後はもう、なしのつぶて。12月初旬にかけたら、電波が通じないなんてアナウンスがされていてね。もう、しょうがないかな・・・と思って年明けの1月末頃、谷橋さんの親族の方とお会いして聞いてみたら、1月の初めごろに亡くなられてしまった、って言うので、一応念のためにその番号にかけてみたら、すでに、「この電話番号は、現在使われておりません」なんてアナウンスになっていて、やっぱり、亡くなられていたのか、ということで、ショックでしばらく立ち直れなかった、なんて人もおられます。

 実際、谷橋さんの選挙の前後から、永野さんの生活がかなり苦しくなっていて、それまで以上に借金が返せなくなっていました。最後まで、油井さんや田井市議のようなある程度応援してくれる人は何人かいましたけど、その人たちにしても、すべてを肩代わりしてやって・・・、というわけにもいきませんからね。常木との関係も、実際のところは多少なりとも個人的にはつながりが持てていたものの、名簿横流しの件もあって、表向きには絶縁と言ってもいいところにまでなっていましたから。


 何といっても、谷橋さんが県議選に落選してから以降、つまり、4年前の一斉地方選挙が終わって以降、ってことになりましょうけれど、それ以降、永野さんは金銭的にもさらに困窮がひどくなってきただけでなく、選挙参謀としての声もかからなくなり、その分、金回りもますます悪くなるし、また、周りでサポートしてくれる人も徐々にいなくなっていった。能力面については、2013年9月の岡山市議補選の頃まではしっかりされていましたが、2015年の谷橋さんの選挙の前後には、能力的な面においても衰えが見えていました。それも、年齢からくるものというよりは、金銭的に余裕がなくなって生活面で困窮が極まっていたことからくるもののほうが大きかったのかもしれません。あとで聞いてみると、丁度その頃、御自身の生活費の基盤になっていた伯母さんやご両親が相次いで亡くなられていたということも、あったと思います。その人たちの年金にすがって最低限度の生活費が保てていたのが、保てなくなった。その代わり、御自身は年金をもらえるようになったはいいが、それだけでは足りないし、これまでのような選挙などによるまとまった金の入りも期待できなくなってしまった。そんなところだと思われます。

 私にはそのあたりのことは一切おっしゃっていませんでしたけど、その頃にはもう、御家族からもかなり愛想を尽かされていたのでしょうね。


 話は少しずれますが、田井市議から紹介された北林信哉さんという方がおられて、その方、「地域社会育成会」と銘打った団体名を使って、あちこちに行っては理想論を説いているものの、それで何か実現されたなどということはないのですが、この方が晩年の永野さんの世話をしつつ、いろいろ永野さんから「指導」を受けていました。私も常木の事務所で永野さんを通して知合いになって、いくらか接触がありますが、亡くなられてこの方、あまり連絡を取ることもないので、今はどうされているのかはわかりませんけどね。

 北林さんは、永野さんの話を聞いていても、話の題材となる相手の話を聞いたわけではないし、何より、人の話を素直に聞きすぎるところが見受けられる人ですから、いささか割引いて聞く必要がありますけれど、彼が言うには、もし、谷橋さんが4年後の県議選でもう一度お世話になりたいと言ってくれていたら、永野さんもまだまだ元気に生きられたのではないかと思う、などとおっしゃっていましたが、谷橋さんからお聞きした話からすれば、そんなこと間違えても頼めたものではないという雰囲気でしたね。

 谷橋さんの話では、選挙期間中でも、永野さんに現金がある場所を教えないようにしろとか、情報が近藤陣営はもとより、住友陣営にさえも漏れている、特に近藤陣営にはこちらの動きがダダ洩れだ、永野さんに気をつけろ、彼に下手に情報を与えてはいけない、などと、創明党筋の親戚の方やその知人の方で選挙を手伝ってくれている人から、散々聞かされていました。創明党筋とは仲の良くないはずの協産党の関係者でさえ、特に選挙で応援されていたわけではないですが、永野の噂はこちらも聞かされているが、あまりにもよくないことばかりだ、気をつけろ、って、永野さんがおられないときに事務所にまで来て情報を提供してくれたほどです。その情報の中には、創明党筋の人でも知らなかったようなことまであって、皆さん、唖然としておられましたね。現に、情報が近藤陣営に行っているとしか思えないことが、選挙期間中にもその後にも、何度となくあったそうです。


 ちなみにこの選挙、「創明党の裏切り」によって谷橋陣営に票が入らず、近藤陣営にほぼすべて流れて、それ故に谷橋さんは当選できなかったと言われていて、それは他の陣営の人たちも同じ見立てをされているのですが、肝心要の永野さんはと言えば、なんせ、選挙当日の開票速報を見るまで、そのことに気づいていなかったと、谷橋さんは言っておられたぐらいですからねぇ。もっとも、選挙後に永野さんとお会いしたときに聞いた話では、そんなことはすでに選挙の3日前にはわかっていた、とおっしゃっていました。ただし、それに関連してどのようなことがあったかについては、墓場まで持っていく、君だけでなく、誰にもそれはしゃべらないと、いつになく、きっぱりとした口調で言われました。

 何が真実なのかは、私にはわかりません。ひょっと、そのように仕組んだ中の一人だから知っていたというのが本当なのか、だとすれば、投開票日には知っていてもあえて、知らなかったフリをして見せていただけかもしれません。逆に、知っていても既に手が打てない状況で、あえて黙っていたのかもしれません。実際、選挙前数日間は、私は同時に行われている常木の選挙に入っていましたし、とてもではないが永野さんと連絡を取れるほどの余裕もなかった。

 何度か電話で話はしましたが、今思うと、投票日2日前の金曜には、いささか伸び悩んでいるようなことをおっしゃっていました。ただそれは、選挙事務所の常で、最終盤に向けての追込みで陣営の引締を行っている最中での発言と考えれば、必ずしもその言葉通りに受けられないところもありますので、それをもって、永野さんが「創明党の裏切り」をすでに把握していたという証拠にはならないでしょう。

 もっとも、私の見立てでは、投開票の結果が判明するまでわからなかった、なんてことはさすがになかったと思いますけどね。恐らくは、終盤に既に何かを感じていた、もしくは、知らされていたのだとは思いますがね。もし「仕組まれたもの」というなら、「創明党の裏切」に積極的にかかわったどころか、それを演出さえしていたのかもしれませんがね。その分、裏で近藤陣営からも金をもらっていたのかもしれません。もっとも、そんなたいそうな金をもらっていたら、金に困っているなんてことを永野さんがあちこちに公言するわけがないと、谷橋さんは親族の人たちに言っていたそうですがね。

 とはいえ、すでに永野さんご本人も亡くなられていますし、もはや、その真相がどこにあったのかは、もうわかりません。

 それを関係者に尋ね歩いて真相に迫ってみても、今更、しょうがないですからね。

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