第4話 ベテラン参謀の手腕
私が最初に永野さんと会ったのは、2012年の秋だった。当時私は隣のH県のA市に住んでいたのだが、仕事の度に岡山市に週何日か戻っていた。そんな折、常木市議より連絡が入った。「選挙を手伝え!」とのことだ。さっそく、手伝うことになった。
岡山県知事選に伴う岡山県議会議員の中央区補選で、前回まで岡山市議を4期務めていたものの、前回の本選(2011年に行われた一斉地方選挙)に五選を目指して出馬したものの僅差で落選してしまった丹生芳香さんという女性候補が立候補することになった。
岡山市入りした私は、常木市議に場所を聞きつつ、早速丹生事務所に向かった。そこには永野さんという早稲田大の後輩で選挙参謀歴の長い人が来られているから、早速挨拶しろと言われていた。丹生女史の事務所には年配の男性が一人と、私より少し年長の女性が一人おられた。女性は丹生さんの大学の後輩の女性で、田上さんという事務の手伝いに来られている方だった。そのうちの男性のほうが、常木市議の早稲田大の後輩となる選挙の「プロ」、永野修身さんだった。
なんせ海軍元帥と同姓同名というぐらいだ。海軍の軍服を着て・・・ということはもちろんなかったが、第一印象からは、本で読んだことのある海軍士官のようなスマートさが幾分感じられた。「高原列車は行く」を歌っていた岡本敦郎さんを思わせるような眼鏡が、昭和のおじさん観を醸し出していた。服は、もともとはいい「つくり」の服なのだろうけど、いささかくたびれた様相を呈していた。とはいえ最晩年のようにぼさぼさ頭ということはなく、きれいに散髪されていた。話をして、この人はかなりの教養のある人であることはすぐ分かった。それに加えて選挙経験も豊富な人だということも。とはいえ、日頃お会いする常木市議と比べてどうかという話になると、それは候補者として何度も選挙に出て議員を何期も務めた人と裏方の参謀を長年務めてきた人との差があるとはいえ、いささか、見てはいけない領域を少なからず持っている人だなと感じた。常木市議のように誰でも受入れる人物というより、受入れる人物を強烈に選ぶ人だ。
幸か不幸か私は「選ばれた」人になったわけだが、それがよかったのかどうかは、ちょっと答えに窮する。ありがたさが半分を超えるものの、ちょっと・・・という気持ちも。
やがて選挙が始まり、10日の選挙戦を終えた。丹生女史は県議選に当選した。
この時の選挙に出たのは保守系のベテラン元市議の息子と改革の会系の若い男性だった。保守系が割れて協産党も創明党も独自候補を立てなかった。
それに加えて、こちらは女性ということも手伝ってか、それなりに票が入ったことも勝因のひとつだった。別にそれを逆差別とか何とか、声高に正面切ったことを述べるつもりはないが、女性であるということ、ましてそれが20代や30代の若い人であればなおのこと、それだけで票が動くことはよくある。もっとも丹生さんは、50代後半であったが、それ以上言うとあまりに失礼なので、やめておきます(苦笑)。
とはいえ、この選挙で他候補の票が割れて、その分丹生陣営が漁夫の利を得るような動きになることなど、ベテラン選挙参謀の永野「元帥」にしてみれば初めからお見通しの話。常木市議も、そんなことは先刻承知で知合った永野さんに選挙事務を任せたわけである。この時の丹生事務所には、国政レベルでの与党系も野党系も、いろいろな層の人たちが出入した。おかげで私も、これまでお付合いのなかった筋の人たちとも知合いになったし、いろいろ学ぶことも多かった。丹生さんはもともと野党系の人だったが、いろいろあって与党系の人とのお付合いもあったり、そうかと思えばその筋からも距離を置かれていたり、立ち位置が絶妙なというかご本人の資質が何というか、とにかくいろいろな要素があって、それでかえって様々な立位置の人を呼び寄せていた。そのことは、丹生さんにとっても常木さん経由で手伝いに入った私や常木さんがらみの人の一部、さらには永野さんはじめ選挙期間に事務所に来られた人それぞれに、いろいろな「化学変化」をもたらした。その変化は良くも悪くも、当時その事務所で出会った人たちに今なお影響を与えている。
永野さんは癖のある人ではあったが、選挙で応援に入った(依頼を受けた)候補者を当選させるためなら何でもする人。ご本人曰く「悪魔とでも手を結ぶ」というのが口癖。まあ、それはこの手の仕事をする人の一般的な口ぶりではある。目的達成のためなら悪魔とでも手を結べるぐらいでないと、この手の仕事はできないというほうが正確なところではないか。選挙に出るほうも、それを裏で動かすほうも。かくいう私だって、目的達成のためなら悪魔とでも手を結ぶぐらいのことはする。永野さんと常木さんの間に交流があったのは結果的に7年弱だけだが、その間、私たちの間においてもいろいろあった。ここで詳しく述べることは控えるけれども、永野さんの「悪魔とでも手を結ぶ」姿勢ゆえにある選挙がらみで常木さんに御迷惑がかかったことも。ただこれはまだ「時効」とするわけにはいかない話だが、差障りない範囲で、後に詳しくご紹介しよう。
その一方で、よいこと(?)もないわけではなかった。
常木さんがらみの選挙となる度に出てくる人は多いが、その中に、元社会保険労務士の男性がいた。仮にBさんとしておくが、この人を快く思っていない人たちもそれほどでもない人も含めて、いつの間にか、力道山のライバルだった悪役プロレスラーの噛みつきブラッシーことフレッド・ブラッシー氏にちなんで「ブラッシーさん(先生)」と呼ばれるようになった。その由来については、ブラッシー先生の名誉のために、ここではあえてご紹介しないことにしておきます。
この人が出入すると、どうも、選挙事務所内の雰囲気がもう一つよくないことが多かった。丹生さんの選挙の時も、それまで通りブラッシー先生は出てこられた。
詳しいことはここでは言えないが、あまりにその事務所の雰囲気を悪くするからというので、永野さんが出入を実質的に禁じた次第。
その兆候は最初からあって、ブラッシー氏は永野さんの目をかすめて私のほうに来ていろいろ話していて、永野さんも私に対応を丸投げする形で処理していたのだが、他のことでどうにもならない状況が発生し、さすがの永野さんも最終手段としてそういう手を打ったのです、はい。
永野さんは候補者の当選のためには何でも利用し何でもする人だが、そういう人の目からすれば、これほど出入されて困る人間はいないとのこと。保守系のきつい選挙をいくらも潜り抜けてきたという永野さんだからこそ、できたことである。それまでの常木さんがらみの選挙では、ブラッシーさんに出入禁止まで言い切る人はいなかっただけに(野党系で、人柄のいい人が内外に多い事務所だからね)、長い目で見ればよい方向に向かうきっかけになったともいえる。
ブラッシー先生、この丹生さんの選挙を境に常木さんがらみの選挙には来られなくなった。常木さんの先輩・後輩筋の事務所へは今もたびたび出入されているが、最近お会いしていないので、私も詳しい状況はわからない。
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