悪役令嬢は学園生活を謳歌したい!

白咲実空

第一章 バカばっかり

1

すっかりオレンジ色に染まった教室には、未だに生徒達の賑やかな声が聞こえてくる。

外では運動部の掛け声や笑い声が響き渡っており、廊下もまだまだ騒がしい。吹奏楽部が奏でる楽器の音色や、立ち話でもしているのであろう女生徒の集団がチラホラ伺える。

そしてそれらを見て、羨ましいだの、早く帰りたいだの宣う我が教室、1年2組の男子諸君に、私は手をパンッと叩いてお喋りを中断させた。

「いいかげんにして。私達だって早く帰りたいんだから、これ以上話の進行を止めないでよ、頼むから」

「んだよ宮間。おまえの進行が悪いから、早く帰れないんじゃねーの? 俺達は別に悪くねーし」

男子の1人が唇を尖らせてそう言うので、私はそれに思い切りの睨みを返してやる。

「は? あんた達がゲームの話ばっかして、こっちの話を全然聞かないから止まるんでしょ? 責任擦り付けないでくれる? 」

「うわ、宮間が怒ったー! こっわー! 」

本当に腹が立つ。残って静かにしてくださっている他の皆に申し訳ないとは思わないのだろうか。

「いいから! さっさと決める! 希望だけでも言ってくれない? なんか言わないと、リレーのアンカーにするからね! 」

「げっ、それは勘弁……」

リレーのアンカーという単語で、皆さんもうお分かりだろうか?

外から聞こえる運動部の掛け声。

廊下に響く楽器の音色、甲高い女子の笑い声。

そう、今は放課後という時間のはずだ。

もう学校はとっくに終わっているはずで、私のような帰宅部であれば、もう家に帰っていてもおかしくない時間帯のはずなのだ。

それでもこうして、この1年2組の教室には、未だ30人の生徒が残っている。

それは何故か。

私は、黒板に白チョークでデカデカと書かれた、「体育祭」の文字を、右の掌でバンッと叩いた。

「どうすんのよ!? もうこの話し合い、2時間も続いてんのよ!? 」

因みに、話し合いが始まったのは6時限目からで、もうすぐ5時を迎えようとしている。

「私だって帰りたいのに! あんた達皆パン食い競走か良いだの綱引きが良いだの大玉転がしが良いだの言って、走る系の競技全然やろうとしないから! リレーだってまだ決まってないし! 」

「そういう梨花だって、玉入れの方に手、挙げてたじゃん」

叫ぶ私に、親友であり、同じく司会進行役を務めていた玲ちゃんがそう言った。

「うっ……。わ、私は良いんだよ。玲ちゃん」

「たぶん今、この教室にいる全員が、何でだよって思ったよ」

いやだって、誰もやりたがらない体育祭実行委員に、私が立候補してあげたんだよ? 玉入れくらいさせてほしい。

「おーい……なんでもいいから早く決めてくれー……。先生この後職員会議があるんだよー……」

いつまで経っても決まらないこの体育祭会議に、1時間ぶりに先生が口が挟んだ。

「俺はこの役決めには口を出さない。皆のことは皆で考えなさい」と言っていた先生も、そろそろ限界がきたようだ。

「あーもう! じゃあ、くじ引きで決めるよ! 良いね!? 」

直後、クラスメイト全員から「えぇー!? 」と悲鳴のような声が挙がった。

「そんなぁ! 梨花ちゃん、それだけは勘弁! 」

「宮間様! それだけはぁ! 」

「おい、誰かリレーいけって! かけっこでもいいから! 」

「うるさい! もうくじ引きで決める! 決定! もう何も受け付けないから! 」

玲ちゃんがくじ引きを作り始める。さすが、友達ということもあって、素直に私の提案を受け入れてくれた。

暫くして、白い箱の中に入れられた30人分の紙を、30人の生徒が順々に引いていく。

「あれ? 梨花、引かないの? 」

「私は残ったやつでいいや。それか、玲ちゃん引いといてよ」

「おっけー」

そして私は後悔した。余り物なんかじゃなく、最初の方にクジを引いておくべきだったと。




「あっははははは!! で、見事に自爆したってわけか! 」

私の手元……掌サイズの小さな紙に書かれた「リレー(アンカー)」と書かれた文字を見て、親友の1人、夏樹が爆笑していた。

金髪で顔に化粧まで施した半分ギャルのようなこの少女は、今私が置かれている状況に、必要以上に盛大に笑っている。そんなに笑うことでもないだろうに。

と思ったのだが、隣では玲ちゃんと彩葉も爆笑していた。それはそれは大きな声で、帰路を急ぐサラリーマンや小学生の子達が、こちらを凝視しながら去っていくほどだった。

「くそっ……、しくじった……」

「まぁまぁ良いじゃん。梨花、足早いし」

「良くない……あーもう! もー! 」

「また、牛の癖出てるよー」

ふんわりショートに負けないふんわりした性格の彩葉に窘められるも、私の気は一向に収まらない。

なんで私がリレーで、しかもアンカーなんだ。

確かに足には自信があるけど、他にも適任はいたはずである。

「いやー、梨花がリレーで走るのかー。おばさんに連絡しとくね」

「殺すよ? 」

睨みとドスの効かせた声でそう言うと、玲ちゃんは黙った。

ポニーテールのよく似合う美人さんの玲ちゃんは、高校で知り合って初めてできた友達で、遊びに来るうちに私のお母さんとも仲良くなっていた。そのため、体育祭のことを連絡されるのは非常にまずい。

「夏樹ー、代わりに出てよー」

「やだよ。クラス違うし。私はパン食い競走で忙しいんだ」

「えっ、夏樹パン食い競走出るの!? いいなー……。じゃあ彩葉ー……」

「ごめーん、私もパン食い競走だから。それに、クラス違うし」

「玲ちゃーん」

「ごめん。私もパン食い競走」

「え、いじめ? 」

「なんでそうなる」

いやだって、皆してパン食い競走パン食い競走って、新手のいじめじゃん。

なんか私だけハブられてるみたいで、酷い疎外感を覚えてしまった。

「じゃあ梨花、また明日ー! 転ぶなよー! 」

「明日からの体育祭練習、楽しみにしてるからね~」

「バトンミスだけはしないように、気をつけなさいよ」

「余計なお世話!! 」

ぷいっと顔を背けて、皆と別れる。

紙に書かれた「リレー(アンカー)」の文字を暫く睨みつけた後、「ま、いっか」とそれを制服のポケットにしまった。決まったものはしょうがないのながら、今更うじうじ悩んでも時間の無駄だ。

それに、体育祭は結構楽しみにしていたから、やる気だってそれなりにある。

さっき友人達と別れたばかりの、曲がり角を見つめる。茶化してはいたが、応援はしてくれているみたいだった。なら、俄然頑張らなければならない。

私は、学校が好きだ。

授業は苦手だけど、体育祭や文化祭などの学校行事は大好きだ。

学校行事なんてなくても、友達と喋ったり、昼休みにおかずの取り合いっこをしたり、そういう何気ない時間も大好きだ。

今しか楽しめない、大切な時間。

リレーのアンカーに選ばれた時、クラスの皆も応援してくれていた。それは決して、自分が選ばれなくて良かったなんていう安心からくる応援ではなく、心の底から私を応援してくれているようだった。

『梨花ちゃんならできるよ! 』

『宮間なら安心だな』

『アンカー宮間だってよー! 他の走者、転んでも安心していいからなー! 』

そう言ってくれた皆の顔を思い出して、簡素な住宅街で1人、私は笑っていた。

「頑張らないと……」

1人そう呟き、帰り道を歩く。

何万回と目に映してきた見慣れた景色を通り抜け、自宅のドアを開けた。

「ただいまー」

「あら、お帰りなさい。体育祭、リレーでアンカー走るんですって? やったじゃない! 」

帰ってくるなり、お母さんはウッキウキな顔でそう言った。

瞬時に死んだ魚の目になった私は、低い声で呟くように尋ねる。

「……なんで知ってるの? 」

「ちょうどさっき、玲ちゃんからメッセージがきたのよ」

あいつは本当に私の親友なのだろうか。

え、これ怒っていいやつだよね? なんなら絞めてもいいやつだよね?

「お母さん、楽しみにしてるからね! ……って、どこ行くの? 梨花ー? 」

「晩御飯まだでしょ。部屋にいるから」

「またゲーム? ほどほどにしなさいよ? 」

「はーい……」

聞いているのか怪しい返事をして、2階に上がり自室に籠る。

電気をつけて、ゲーム機にカセットを入れ、テレビ画面に映し出された「Colorful」という文字をぼーっと見つめること数十秒。

わざとらしいため息を吐いて、ゲームの選択画面の「続きから」を選ぶ。

そこには、攻略途中となっていたイケメン王子ルイスが、こちらにニッコリと微笑んでくれていた。

「さ、サクッと攻略しますか」

これは、俗に言う乙女ゲームというやつだ。

内容は至ってシンプルなもので、平民の少女が貴族ばかりの学園に入学し、王子やお仕えの執事、騎士、謎のミステリアス男子と恋に落ちるという普通の、何の変哲もない乙女ゲームである。

クラス……いや、学年でもけっこう明るい部類に入る友達が多い私は、これらの趣味は1人でひっそりと楽しむことが多い。

別に秘密にしているわけではない。

玲ちゃん、夏樹、彩葉と友達になりたての頃、ドキドキする胸を抑えながら打ち明けると、3人は「ふーん」とだけ言って、別になんでもないことのように受け入れてくれた。

あの時の胸のドキドキを返せと当時は言いたくなったが、本当に、今でも、皆と友達になれて良かったと思う。

だから私はこうして隠すことなく、趣味にどっぷり浸かることができた。

後ろめたい気持ちなんて微塵も感じずに、ただまっすぐに、このゲームが好きだと、そう言えるようになったのだ。

『あの、これは我儘かもしれませんが……。俺のことだけ見ていてはもらえませんか? 』

「うぉっ、マジか。我儘ではないけど、ちょっと束縛強いなこの王子……」

なんてことを言いながら、30分ほどが経過した頃。

「あ、きたなこいつ……」

こういった恋愛ゲームものにはよくいる、悪役令嬢、セルシアが登場した。

このセルシア、なかなか厄介な人物なのである。

主人公をいじめるだけでなく、物語の中盤では無理矢理主人公の目の前で王子にキスをしたり、権力を使って主人公を元いた田舎に帰したりと、とにかくやりたい放題のお嬢様。

例に挙げたこれらの悪行を防ぐには、どうしても攻略対象の好感度が重要になっており、好感度があまり溜まらずこれらの行為が行われてしまった場合は、全てバッドエンドに直結するため、とにかくハッピーエンドが難しい。

特に王子のルイスルートでは、このセルシアは頻繁に登場する。

だから1番難しいルートは後回しで良いやと、こうしてルイスの攻略を最後にしてしまっていたわけだが……。

『あら、なあに? そのドレス。貧相で、いかにも平民って感じね』

「平民なんだよ。良いだろ、似合ってるんだから」

早速主人公のドレスを馬鹿にしてきた悪役令嬢、セルシアのシナリオを飛ばし飛ばしに眺めていく。

度々出てくるルイスに、何となく好感度の上がりそうな台詞をチョイスしながら進めていると……

『ごめん。俺はもう、君の傍にはいられない。ほんと、ごめん……』

と、横にセルシアをおいたルイスが、悲しそうにそう言うイラストが、テレビ画面いっぱいに表示された。

「えっ嘘!? なんで……!? 」

他の攻略キャラは一発で落としてきた私が、ルイスルートでだけバッドエンドなるものを経験してしまった。

これでも、私は乙女ゲームはそれなりに嗜む方だ。

棚に並んだ乙女ゲームの数々、女性向け恋愛小説や、漫画……。

ありとあらゆる乙女的創作物をこれでもかと堪能してきて数年、バッドエンドは、久しぶりだ。

「マジか……」

この時、私の心に火がついた。

私のやっすいプライドが、絶対にルイスを攻略してみせると叫んだのである。

「見てろよ悪役令嬢セルシア! 絶対に、今日中におまえを倒してや……」

「梨花ー、ごはーん! 」

1階から聞こえてきたお母さんの声によって、私の心についた火は、ものの一瞬で消えてしまった。





「お、終わった……」

え、今が何時かって?

午前8時である。そう、翌朝の。徹夜したのかって? したに決まってんだろ。

チュンチュンと朝の合図を告げる小鳥達に「おはよう」を言う気力もなく、私は目の前で結婚式を繰り広げる主人公とルイスを眺めていた。

「むっずかしかったぁ~」

言って、ベッドにダイブする。

本当、こんなに難しい乙女ゲームはいつぶりだろう。

昨日、夕食を食べ、風呂に入ってから約12時間もの間ずっとテレビ画面だけを見続けていた目は、疲労がピークに達している。

『あなたを一生愛すると、ここに誓います』

「あーサンキュ……、私はこれから眠ることを、ここに誓います……」

なんて馬鹿なことを言いながら、布団に篭って眠りにつく……なんてことにはならず、私はベッドから勢いよく身体を起こした。

「学校!! 」

時計を見る。さっきまで8を指していた長針は、そこから少し進んだ先、8と9の間を指していた。

「梨花ー? いいかげん起きなさーい? 」

「お、起きます! 今起きます! 」

HRが始まるのは8時45分。現在時刻、8時30分。

ここから全速力で学校まで走ったとして、信号の都合込で10分はかかる。

そして、着替え、身だしなみに5分。

……どの道もう遅刻である。

「梨花ー!? 」

「はーい! 」

だが、急ぐに越したことはない。

手早く着替えを済ませ、朝食は要らないと言って、ささっと髪をツインテールに結ぶ。

もこもこした髪が鬱陶しいが、いつものことなので気にしない。

「いってきまーす! 」

「いってらっしゃい、気をつけてね」

そういえば、1時限目は体育で、早速体育祭の練習だった。

今から走って体力が残っているかは心配なところだが、それより1時限目に遅れるほうがよっぽどまずい。

徹夜した人間が全速力で道を駆け抜けていると……信号で捕まった。

私が来た途端、急に赤に変わりやがったのである。絶対に許さない。

「あーもう! 急いでるのにー! 」

叫んで、一旦冷静になる。

「まぁ、いっか」

どの道もう遅刻は確定しているのだし、HRが終わってからも、1時限目の体育までは10分の休み時間がある。たぶん間に合う。いけるいける。

諦めることにした私は、ぼんやりと青い空に視線を映した。空、綺麗だなぁ。まるでルイスの瞳のよう……なんて馬鹿なことを考えながら。

今日は、何をしようか。

とりあえず先生に怒られて、玲ちゃんと夏樹に笑われて、彩葉に慰められて……。

お昼ご飯はどこで食べよう。今日は良い天気だから、中庭でも良いかもしれない。屋上は使用禁止で、使えないからな。

そういえば今日、家庭科があったんだっけ。確か、エプロン作りの続きだったような……。あ、私ミシン使えないんだ。玲ちゃんに教えてもらわないと。

あー、数学の教科書部屋に置きっぱなしだ。夏樹に借りるのはなんか癪だから、彩葉にでも借りよう。

今日は寄り道しても良いな。カラオケ行って、時間あったらゲームセンターでプリクラ撮りたい……。

なんてことを考えて、チラリと信号の方に視線を戻す。

信号は、まだ赤色のまま。もう青になることはないのではないだろうか。

「……ん? 」

と、前方に、ランドセルを背負った小さい男の子を見つけた。

この少年も遅刻なのだろうか、目には涙をためている。

大丈夫だ、少年。遅刻なんて人生で何回かは必ずするし、先生に怒られたところで、その先生だって君が思っているほど怒っているわけじゃない。

先生は今までに何百回と遅刻してきた生徒を見かけてるわけだから、君の遅刻くらい、きっと見逃してくれるさ。だから大丈夫、泣かない泣かない。

声には出さずにそんなことを思っていると、なんとその少年、赤信号のまま横断歩道を渡り始めたではないか。

私ももう信号無視しちゃおっかな……なんて悪い考えが頭を過ぎった、その時だった。

すぐ近くで、トラックのアクセル音が聞こえたのは。

「は……? ちょ、あぶな……」

気づけば、身体が勝手に動いていた。

勝手に両手が前に伸びて、こちらに向かっていた男の子の身体を突き飛ばす。

突き飛ばされた男の子は、こちらを見て、酷く驚いた顔をしていた。

当然だ。

酷く焦った顔をした私、と、その真横には、大型のトラック。

鞄が飛んだ。ついでに、靴も飛んだ。

空を飛ぶなんて、初めてだった。

血だらけの手が、太陽と重なって視界に映る。

え、これ、私の手……? 全く感覚ないんだけど。

身体が軽い。

なにこれ、どういうこと……?

それが、どんな音だったのかは分からない。

ぐちゃ、だったのかもしれないし、ドサッという音だったのかもしれない。

とにかく、私は落ちた。

「お姉ちゃん! お姉ちゃん! 」

目は見えないけど、耳が少年の安否を確認してくれる。良かった、無事だったんだ。

「おい! しっかりしろって! おい! 」

あれ? この声たぶん、夏樹だ。

夏樹も遅刻、だったのかな……?

あ、1時限目、遅れちゃう。

せっかくの体育祭練習なのに、せっかくリレーのアンカーなのに。

やだな。皆に迷惑かけちゃう……。

「梨花!! 」

走りたかったなぁ。

たぶん、それが私の、最後に考えたことだった。

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