祓戸大神ー1ー
一夜明けた日曜日、朝一で僕と唯さんは病院――というか、高橋さん曰く町医者――へと行くことになった。高橋さんが昨日の内に話をつけてくれていたみたいで、休診日らしいけど特別に、しかもすぐに診てくれるらしい。
失礼かもしれないけど、高橋さんってちょっとがさつそうな印象だったけど、根は繊細で気を遣うタイプだったらしい。病院まで手配されるとは思っていなかった。
人は見た目に寄らないと言う言葉を思い出し、ちょっと反省。今後の応対では、もっと細かい部分にも気を配った方がいいのかも。
そんなわけで、十時になってもいないのに、僕と唯さんは高橋さんの車に押し込まれてしまう。……ただ、ワンボックスカーのお守りが、前回よりも明らかに増えてるのには、少し苦笑いが浮かんでしまったけれど。
「でも、私の時は結局ダメだったよね?」
信号待ちのタイミングで、唯さんが不信感を隠さない声で高橋さんに訊いている。
そういえば、病院もいくつか回ったって唯さんは前に言っていた。
「ああ、オレもそう思ったけど、コイツの場合は外傷じゃないだろ? なにか分かるんじゃねえかな?」
と、返事しつつも、確証はないのか、高橋さんは今日は自信なさげだ。トントン、と、ハンドルを人差し指が漫ろに叩いている。
僕としては、心配してくれたのは素直に嬉しいしありがたいけど、いまいち病院って言葉に身構えてしまいそうになる。もしなにか検査で引っ掛かったら、色々とお金が掛かるだろうし、その場合、あの廃屋が原因かもしれないので、御二人が気を回すんだろうな、と思ってしまい、少なからぬ引け目がある。
「その先生の専門は、なに科なんですか?」
あまり良い雰囲気とは言えない間を持たせるように、尋ねてみる僕。
「内科も外科も、なんでも」
何気ない様子で高橋さんが答えてくれた。
でも……。なんでも、って?
そう言い切られてしまうと、逆にどこか不安になってしまう。
僕も詳しくないけど、病気ってもっと専門化した知識で処置するものじゃないんだろうか? 薬の種類だって膨大なのに、広範に把握できるのかな?
だけど、僕のそんな疑問はお見通しらしく、高橋さんはちらっとバックミラー越しに僕を見て、でも、運転中なのですぐに前方に視線を戻しながら言った。
「オカルトが好きでこの町にきた医者で、変人だけど、腕は確かなんだ。風邪、腹痛から白内障の日帰り手術までなんでもやってるよ」
ううむ。
余計に不安が増してしまった。
様子を窺うように唯さんの方を見てみると、僕よりは不信感の無い顔をしていた。一度診てもらっているって言ってたし、そう悪い先生ではないのかな?
そうして辿り着いた病院は、本当に町医者といった感じの、こじんまりとした病院だった。
歯科のように、ビルの一階部分が全て病院になっている。内装も、概ね予想通り……かと思いきや、外から見た印象とは裏腹に、内装はかなり機械化されているようで、レントゲンなのか放射線の注意マークのある重そうなドアがあったり――MRI? とかだと思う大型の機械や、ガラス越しに見える手術室のような部屋など、かなり特殊な造りになっていた。
おどろおどろしくは無い。マッドな雰囲気でもない。
でも、清潔で整然とした研究所のような設備が、ありふれたビルの一階に収まっている。
そのアンバランスさが、どことなく不安を掻き立てた。
「おう、先生! コイツがそうだ」
高橋さんの声に向き直ると、三十代ぐらいの若い白衣の男の人が奥のドアから出てくるところだった。
短めの髪のオールバックにし、ハーフフレームの眼鏡をしていて……眉が太い。あと、角顔で色白で、まさに理系って雰囲気だけど、腕の太さや足運びを見るにスポーツマンといっても充分に通用しそうな人だった。インドア派っぽいけど鍛えている雰囲気がある。
ううん。色々とアンバランスなんだけど、顔の印象で――ほとんど全部眉毛が持っていってしまうので、善し悪しは別として細かい部分を気にさせない人だな。
「はじめまして、キミが――、来栖君?」
開口一番に訪ねられ、頷くと意外と人懐っこい笑みを向けられた。態度も丁寧で、顔を見た際の印象がまた少し変わった。
「そうです」
よろしく、と、伸ばされた手を取り握手をする。やっぱり、がっしりとしていて鍛えている手だった。
「それじゃあ、さっそくはじめようか」
診察室の方へと進む先生に、少し慌てた僕は「あの、まだ保険証を――」と、現実的な問題を尋ねてみるけど、すぐに取り出そうとする動きを遮られてしまった。
「ああ、いい、いい。半分以上趣味だし、高橋経由でいくらでも用立てられる。あのクソ市長の土地がらみの仕事だから。……金を引っ張る口実は多いんだ」
先生は、僕に配慮してくれたのか、それとも素がそうなのか、随分と気安く言い放った。それから、少しだけ表情を変え、ふん、と、軽く顎を上げて高橋さんの方を見据える先生。
高橋さんは、少し不満そうにしながらも、実は政治家の私利に近い仕事だったという引け目があったのか、僕と目が合うと申し訳なさそうな顔になった。
ふむ。
いや、まあ、確かにもっと重要ななにかじゃないと割に合わないような気はするけど、でもそれは、リスクがあるってことを知った後でのことなので、高橋さんに責任は無いと思う。僕自身でさえ、祓うことにリスクがあるって知らなかったんだし。
そもそも、そうした政治家って中身は子供なので、相手してあげないと大変だろうし。
診察室に入り、あの良く見る黒い丸椅子に座る僕。
子供向けの夏風邪に関する啓発のポスターが壁にあったけど、それ以外には不必要な装いはなく、どちらかといえば飾り気は少ない診察室だった。
ちなみに、椅子はもうひとつしかなかったので、それには唯さんが座り、高橋さんはベッドに腰掛けていた。看護師さんはいないみたいだ。流石にこの規模の施設をひとりで維持しているとは思えないし、今日は休日なので休みなんだろうと判断する。
「まずは、問診からだけど、なにか自覚症状は?」
警戒心を抱かせない表情と声。
確かになんでも対応するなら子供やお年寄りの相手も多いだろうし、これは、どちらかといえば余所行きの表情なんだろうな、と、思った。作っている感じではないけど、素でもなさそうだし。
「特に体調の変化は……。あ、いえ、軽くですけど頭の芯が重いな、っていう感覚はありました」
ほとんど問題ない程度の痛みではあったけど、変化は変化なので、診察の足しになれば、と、僕は頭痛の事も付け加えた。
「ずきずきした痛みではない?」
「そうです。鈍くて……痛いといえば痛いんですけど、そういうほどのことでもないような」
「痛む部位は?」
「頭の本当に中心ぐらいです」
「額とか、そうしたところではない?」
「はい」
ふうむ、と、ひとつ唸ってから、先生は「椅子を回すよ」と、言って僕のむきを百八十度変えた。今は、先生に背中を向けている。斜め前で僕を見ている唯さんと目が合った。僕よりもはるかに不安そうなその表情に、少し苦笑いが浮かんでしまう。
「ちょっと失礼」
そういう声が背後から聞こえたかと思うと、耳の後ろ、それから、首筋の頚動脈の辺り、そして、顎のやや下辺りを触診された。
「リンパに異常なし。髄膜炎ってわけでもないのか……?」
「あの」
「なにか?」
所詮夢の話、と捉えられてしまいそうで、話そうかどうしようか少し迷ったけど、ほかに僕がはっきりと因果関係があるとわかることは少なかったので、あの夢について僕は話してみた。
一笑に付されるかとも思っていたけど、予想に反し、先生も唯さんも高橋さんも真剣に話を聞いてくれた。
「ううん。こちらとしては、なんらかのトラウマがそうした像を描いているようにも思えるけど……」
「トラウマですか?」
訊き返すと、先生は少し困ったような顔で僕を見たので、話してください、という意味で小さく頷いた。
中途半端にされると、なんだか気持ち悪い。
「来栖君の表情なんかを見ると、アスペルガー的な兆候があるのかな、と、思ったんだ。表情の乏しさが、前に見たそうした患者さんと似ていたから。アスペルガー症候群については?」
「名前だけは」
と、僕が答え後ろを振り向くけど、お二人はシンクロしたような動きで首を横に振っていた。
「とても簡単に言うなら、知能レベルは人と同じか高めで、稀に特異的な能力――記憶力や、計算能力なんかを持っていたりもするけど、総じて少しコミュニケーション能力が弱い傾向がある人のことなんだ」
先生は、多分、僕に配慮して言葉を選んでくれたんだと思うけど、後ろからちょっと無遠慮な高橋さんの声が被さってきた。
「あー、確かに、最初そんな感じだったよな、お前」
もっとも、先生にじろりと睨まれ、高橋さんは失言を自覚したのかすぐに縮こまったけど。
ただ、高橋さんが静かになると、今度は唯さんが身を乗り出すようにして主張してきた。
「でも、一緒に生活していて特に変な所とかはないですけど」
先生は苦笑いで、補足説明を始めた。
「症候群とは言っても、異常性を伴う疾患じゃないよ。個性の一種さ。問題があるケースは、それを無理に型に当て嵌めようとしたフラストレーションからだから、悪いのは病気と決め付けて追い詰めた周囲だ。診断されない限り、普通の人として一生を終える場合の方が多いし、逆に合う職さえ得れば、かなりの成果も出すからね。それに――」
先生は、僕たち三人を順に見回してから続けた。
「あくまで、そうかもな、と思った程度で、君達は良好な関係を築けているんだろう?」
「そうで――」
「もちろんです!」
そうですね、と、言おうとした僕を遮って唯さんが固く請け負った。
あまり主張し過ぎると、余計な誤解を与えそうな気もするんだけど……。
事実、高橋さんも先生も、苦笑いというか生暖かいような視線を向けてきているし。
「っていうか、唯の方が危ないだろ」
高橋さんが、胸を張っている唯さんに茶々を入れてきた。
「どこが?」
と、突っかかっていく唯さんだったけど「ストーカー気質というか、愛が重過ぎる傾向というか」と、高橋さんの底意地の悪そうな笑顔ですぐに撃沈された。
ただ……。
「格は、それでいいって言うもん」
意固地になった顔の唯さんに、ねー? と、可愛らしく小首を傾げて訪ねられると、僕としては答えられることはひとつなのだけど。
「もちろんです」
ごちそうさまです、とでも言いたそうな視線を集めても、どこか誇らしそうにしている唯さん。
先生は、ちょっと困ったような笑みを浮かべてからゆるゆると首を横に振って話題を変えた。
「まあ、取り合えず、それは置いておくことにしようか。超能力と脳の疾患は関係があるって人もいるけど、疑似科学のレベルだからね。で、次の質問なんだけど……」
その後も幾つか……というか、微に入り細を穿つような質問を――もちろん、下世話な話題ではなく――重ねられ、それが終わっても、謎の機械を頭に当てられたり、横になってベッドごと回されたりしてから、ようやく僕は再び自由の身になれた。
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