第47話 目撃者は語る
「小春〜! こうくん来てるわよ〜」
私は階段の下から響く声で、夢から覚めた。
さっきまでの勇気とか希望とかが全て消え去り、底無しの不安だけが残る現実へと引き戻される。
握りしめていた鉛筆を手からこぼし、崩れるように椅子に座る。
「ウソ……でしょ…………」
思わず口をついた言葉は、震えていた。体って震えているし、心だって震えている。
何も反応できないでいると、階段の下からは急かすような声がする。
「ねぇ、聞こえてるの??」
ぶっきらぼうに大きいこえが、私の不安を無闇に煽る。イライラした私は、文句をぶつける。
「今だるいから、動きたくない!」
状況とか言葉とか考えている余裕はなく、ただ恐怖だけを抱えていた。でも、母はそんなのお構いなし。
「せっかく来てもらったんだし、部屋にあげてもいい??」
「いいわけないじゃん!! バカなの!!!」
「じゃあ、降りてきなさい」
「何でこうくん来たの?」
そこで「えーと……」と最も聞きたくない声が聞こえ、体がぴたりと硬直する。
「なんでって? 最近小春元気ないじゃない? だから、こうくんに相談してみたらと思って?」
俗に言う大きなお世話だった。もちろん、私を痛ぶるためでも、いじめるためでも、心を折るためでもないことはわかる。
でも、何に悩んでるかも知らないくせに、そんな勝手なことしないで欲しい。それは、私に対する最悪の嫌がらせなんだから。
階段の下からは、「ごめんね、小春が」「いえいえ」なんて会話が聞こえてくる。そうかと思えば、階段をドンドンと一段ずつ上がってくる音が聞こえてきた。
私の背筋に悪寒が走る。
今。そう今だけは、絶対にこうくんと顔を合わせたくない。ほんのひと握りの勇気を、潰してほしくなかった。
それでも、足音は容赦なく近づいてくる。この部屋にはあいにく鍵はついていない。普通だったら、入るなと言えば入ってこない。だけど、今日はお客様だ。無理矢理開けるに決まってる。
私はとりあえずドアノブを押さえた。外からの押し戸であればバリケードでも張れたけど、あいにく引き戸だ。
たぶん母の方が力が強いから、すぐに開けられてしまう。どうしよう。
私は必死に部屋の中を見渡した。何か使えるものはないか。必死に見渡し、あるものが目についた。
それは、特別なものじゃなくて、毎日のように目につくもの。だけど、決してそうしようとは思わないようなものでもあった。
だんだんと足音が近づいていてきている。あと数歩で部屋に来る。迷っている時間なんてなかった。ドアノブから手を離し、必死にタンスをあさる。
「小春、いい加減にしなさい! 入るわよ」
ガチャっとドアが空いた時には、カーテンがひらりと揺れる。
スカートをふわりとはためかせ、ドスっと少し大きな音を立てた。土がだいぶ衝撃を吸収してくれたし、体育館シューズを履いていたのもあって、痛みはあまり感じなかった。
私は軽々と立ち上がり、そのまま走り出す。
「ちょっと! 小春???? な、何してるのよ!! あっちょっと、待ちなさい!!」
さすがに窓から飛び降りるなんて行動は、予想外だったのか、窓から叫びはしても、降りてくる気配はなかった。
「もうほっといて!」
私はそう叫ぶと、どこか遠くへ、もう追いかけてこない場所を目指した。
そして、しっかりと怒られた。
* * *
私は目の前のパンをただひたすらに眺めていた。
康太が藍沢さんに告白するといった翌日。私はまだまだ気持ちを切り替えられていなかった。
昨日は沙奈が来てくれて、だいぶ心が軽くなったけれど、昨日の今日でたぶん来てくれないと思う。
「愛は、もっと自分のことを考えたほうがいいと思うわ…………」
沙奈が昨日言った言葉は、私の耳に残って離れなかった。
人の世話を焼いて、人の問題にばっか手を出して、そのくせ自分の面倒な問題からは目を逸らす。今回だって、ほとんどの確率で藍沢さんが振ってくれるだろうから大丈夫だなんて思ってるし、最悪藍沢さんとお話をすれば確率は上げることさえできると思っている。
結局私の中に、私が向き合う考えはなくて全部人任せ、環境任せ。沙奈が言いたかったのは、そう言うことだと思う。
人が告白するからと諦めるのではなく、ちゃんと自ら当たって砕けろと。
「まあ、でも振ってくれると思うし…………」
私が逃げるように口にしてから、パンに手を伸ばす。
「愛!! 一大ニュースよ!!」
声の主である二人は教室の入り口に立っていて、私はとても嫌な予感がした。デジャブに似たような感覚で、思わず悪寒に震える。
彼女らは私を見つけると、駆け寄ってきた。
「なんで愛は、こういうとき居ないかな〜」
「それでね……」
片方がチラリと奥側を見て、空席なことを確認する。
「昨日、藍沢さんの家に伊藤が入って行ったを見たらしいの」
「えっ!!」
私は思わず大声が出た。今の私に周りをみる余裕なんてなくて、大惨事になっていることに気づかない。でも二人は私が乗り気に見えたのか、ますます盛り上がる。
「やっぱそんな反応になるよね! はい!! 行くよ!」
彼女らはまた私の両腕を掴んで椅子から引っ張り上げる。そして、なされるままに引きずられる。
『ウソでしょ…………じゃあ本当に藍沢さんと付き合う可能性があるってこと…………』
私が逃げ続けていた、人のことを考えることで誤魔化してきた、現実が突然目の前に迫ってきた。それは、突きつけられたナイフのようで、一切の言葉も出ない、ただ硬直することしかできない。
私は引きづられたタイヤのように、ただ廊下と摩擦を起こしながらなすがままになっていた。
* * *
私は彼女らのクラスにたどり着くと、私の反応お構いないしに話が始まった。
「今テストで帰り、早いじゃん? 私勉強しないとと思って早く帰ったの。それで……」
「え? 昨日彼氏と遊ぶって言ってなかった?」
「おっ、抜け駆けですか?」
「まあ病院だったんだけど……」
「クソみたいな口実じゃん!!」
「まあ、それは、いいの!! ここからよ! 早く帰っていたら、帰り道に伊藤がいてさ。確かアイツの家全然違うところだったし、その辺には家しかなくてさ、どこ行くか気になったわけ。そしたら……」
「藍沢さんの家に入って行ったわけと??」
「そうそう!!」
「でも別の藍沢さんって可能性ない??」
「漢字はあの“藍沢”だった、この辺りにあんまりいないでしょ。あの漢字の藍沢さんは」
「えー、違うかもしれないよ??」
「いや、それがさ、遠目にみてたら、藍沢さん似のお母さんが出てきてさぁ、病院に遅れるからそれ以上見れなかったけど、やばくない??」
「もう、女の家に行っちゃってるよ。お泊まりかな?」
「お母さんがいて??」
「お母さんも参戦的な??」
「何言ってるの?」
彼女らの話は、この辺りから耳に入らなくなっていた。
『幼なじみだから、定期的に家族ぐるみで遊んでいる』
彼女らの話を聞いた私の、最大限の都合のいい解釈だった。その他は全て、藍沢さんと康太がとても仲がいいという結論を出している。
これまでの藍沢さんを見ていれば康太と付き合う可能性が低いことはわかる。だけど、0パーセントだと思っていたものが、1パーセントになってしまっただけで、私は不安でたまらくなっていた。
「愛は、もっと自分のことを考えたほうがいいと思うわ…………」
私はハッと振り返る。だけど、沙奈は砂田を適当にあしらっているだけで、私のことを見てすらいなかった。
「愛? どうしたの?」
「あっ……いや…………ちょっと用事を思い出したの。じゃあ!」
「えっ、ちょっ、愛??」
私はそのまま廊下に飛び出した。一人になりたくて向かった場所は、人気のない階段。
一歩降りるごとに、トントンと私の足音が、最上階まで響く。
私は胸を押さえる。
嫌に高まる心臓の鼓動で、息苦しくなっていた。
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