誰かと誰かをかけ算した物語

惚狭間(ぼけはざま)

失血した世界で、君を救うということは。

その日、地球のすべてが血に落ちた。

10月31日、鮮血にも似た赤い雨がこの青い星すべてに降り注いだ。

ハッピーハロウィンなんて浮かれて笑ってる人類に、まるで後ろ指差すみたいなその天の流血は、人類を破滅に導く悪魔の雨だった。


雨は呪いを帯びていた。

雨をその身に浴びたものは、他者の血を吸う吸血鬼になってしまうのだ。

血を吸わなければ生きていけず、逆に言えば血を吸いさえすれば永遠すら生きられる存在。

それどころか身体能力だって上がり、健康体にもなれて、きっと生きるという意味ではいいこと尽くしの体になれた。


最初は吸血鬼になれたものは、その優れた肉体に歓喜し、少しの血液を国から提供してもらう形で、悠々と生活をしていた。

しかしだんだんと吸血鬼たちは豹変していった。

要求する血液の量は次第に増えだし、粗暴になり、血液を生体から直に吸うことのみに固執し始めた。

吸血鬼は人の手ではどうしようもないほどの圧倒的な力を持っている。

記憶も理性もなくし暴徒と化した吸血鬼に人類は抵抗もなすすべく、文明は終わりを迎えた。


その間も赤い雨はずっと降り注いだ。

赤い雨は降り終わると、真っ黒な水溜まりをつくる。それがそのまま蒸発して、天に干上がって、また赤い雨を降りしきらせる。

その死の循環は、本当に終わりの見えないもので、毎日夜を地獄へと染めた。


毎夜、人は吸血鬼に落ちていく。

吸血鬼と化したものは次第に自我も消えてただの獣となり果てる。

残された人類は逃げ、吸血鬼はその背中を追って行く。


魂のない鬼たち、薄汚れた存在だ。


いや

それは

俺も一緒か。



🎃🎃🎃🎃



空は果てしなく黒かった。

今日は曇りだ。

煙草に火をつけて、吸った煙で肺を蒸かせながら、車で外を走る。

腕時計は12時を指していた。


俺は吸血鬼になっていた。

なっていた、なんて他人事のような変な話だけれど。

もう自分の名前も覚えてはいない。

群がる獣ども、吸われ尽くされた死体の山、家族や親族や周りにいたものたちがすべて肉塊へと成り果ててしまったその惨状だけは覚えている。

それと

あと

ひとつだけ。


走らせる車は、風化を忘れなかった道路の凹凸に体を揺らせ、その揺れがポロリと助手席に置いてあったナイフを床に転がせる。

それを億劫に思いながら拾い上げ、けれどその刃を見つめた後に、その億劫さも勝手なものだなと思い直して、そっとナイフを元の場所に置いた。


俺は、今から人を殺しに向かおうとしていた。

ほとんどの記憶はないけれど、でもひとつだけ覚えているその大切なひとに、この刃を走らせにいこうとしていた。

降り止むことのない赤い雨は際限なく、人を吸血鬼に変え続ける。

吸血鬼は人を狩り、やがて人を忘れた獣になる。

こんな地獄のような世界じゃ、吸血鬼になるのも不幸だ、吸血鬼に追われるのも不幸だ。

幸いにも……いや不幸中の幸いにも、俺は吸血鬼だ。

普通じゃあり得ない腕力だって出る。ナイフ一本でも痛みもなく天国にいかせることができる。

そのために、俺は車を走らせていた。

窓の外は変わらず曇天だった。

見上げた太陽は分厚い雲の層に隠れて、その光を鈍らせている。

その姿が太陽みたいなあの人に見えて、自然と口が動いていた。

「ねぇさん……」



🎃🎃🎃🎃



「あれ?!けーさん!!!!なんでここにいるの?!」

偶然だった。

車を走らせている途中に、見知った顔を見て声をかけたら、ねぇさんだった。

「ねぇさんこそ、なんでここに?」

「色々あったんだけどね……日本中いろんなひとが病気になっちゃったでしょ?それで命からがら逃げてきて、ここまできたって……感じかな」

なんという幸運なんだろうか……いや不幸なのだろうか。

けれど探す手間がこれで省けた。

あとは車を降りて、ナイフで一筋斬るだけだ。

そっちへ今いくから、と言おうとした瞬間、ねぇさんの隣に違和感を感じた。

「……ねぇさん、チビちゃんは?」

「……うん」

俯いた顔は、一瞬不安げな陰る表情、を見せたのちに、すぐに笑って

「なんかここまで来る途中ではぐれちゃったみたいでさ!多分、近くにいると、思うの」

…………。

なぜだろう、俺はこのひとを殺しに来たはずなのに。

「……わかった。探そう。乗って」

そんな顔にはさせたくないと思ってしまった。



🎃🎃🎃🎃



「けーさんはなんでこんなところにきたの?なにかの用事?」

助手席に座るねぇさんが聞いてきた。

ナイフは存在がばれないように、ねぇさんが座る前にポケットに隠しておいた。

「んー、まぁそんなところ」

「けーさんの周りの人たちはその……大丈夫?」

「……」

「……そっか」

「吸血鬼なんて……本当、最低だよ……。血ばかり求めて……挙げ句の果てには思い出だって無くすし、獣染みた魂のないやつらだって思う」

「……うん。そう………だね、私のところも……結構……」

「…………あっ」

視界の隅にチビちゃんを見つけた。

路上に倒れている。古びた建物は倒壊はせずとも、寂れ落ちていて、荒廃した雰囲気をそこにかもちだしていた。


車を止めて近寄る。

ねぇさんがチビちゃんの名前を呼んでも、起きる気配はない。

脈と呼吸を確認する限り、生きてはいるようであった。

「よかった……生きてる……ううっ……」

「とりあえず、車に戻ろう」

車に戻って、チビちゃんの外傷を確認したところ、右脇腹のところが赤黒く変色していた。

「これって……」

どうみても大丈夫な怪我ではない。というか、一大事だ。病院にすぐにつれていく必要のある重傷だろう。

「……病院にいこう」

「病院……」

「こんな状況だけど、どこかひとつくらいはやってるだろうから……それを探してみよう」

自然とハンドルを握る手に力が入る。ポケットに収まるナイフの先が、ちらりと俺の足に刺さった。まるで、なにかを責められているような気持ちだ。

……いったい俺はなにをしにきたんだったか。


病院はなかった。

どこもかしこも手当たり次第に行き当たったが、ひとっこ一人いなかった。

車窓から見える景色は、真っ黒に染めあがり、もうすぐ赤い雨を降らせる時間に変わっていた。

「……」

「……」

「……」

車内には残酷なまでの静寂がそこにはあった。

「……明日、また探しにいこう。今日は一度寝て、起きたらすぐに」

「うん……」

俺は何をしているんだろう。

殺しにきたんじゃなかったのか。

けれど、その葛藤もコーヒー色に落ちた窓ガラスと瞑る瞼の誘惑には敵わなかった。



🎃🎃🎃🎃



静かな雨の音がする。

微睡んだ俺の意識には、周りの静かな雑音だけが耳に届いていた。

雨の音、風の音、そして俺の寝息と…………そして………………。

……………………。

「ねぇさん?!」

飛び起きるようにして目を覚ました。

横には誰もいなかった。

後部座席の方も振り返ったが、寝ていたチビちゃんもいなかった。

助手席のドアは、閉めきれておらず少し開いていた。

「ま……まさか……」

その先はもう口に出ずに、俺はとっさに外に繰り出していた。


降りしきる雨がうるさい。

漆黒の闇と赤い雨のせいで、前も見にくい。

それでも走らずにはいられなかった。

どうしようもいられなかった。

俺は泣いてたんだろうか、それもわからない。自分の表情も分からなかった。

もしねぇさんが吸血鬼になっていたら、もしねぇさんが獣になっていたら、もしも、もしも、もしも。


「……?!ねぇさん!!!」

そんなに遠くにはいってなかった。

走らせた足の先には、ねぇさんの後ろ姿があった。

チビちゃんを抱き抱えているのが背後からでも見えた。

「……え?!けーさん?!」

「……ねぇさん……どうして」

降りしきるのは赤い雨だ。

この真夜中に外に出るっていうことは……つまりそういうことなのだ。

「……けーさんも外に出ちゃったか……ごめん。けーさんまで巻き込んじゃった」

申し訳なさそうなその表情の、その口許にはくっきりとした牙があった。

抱き抱えているチビちゃんにも口に牙があることが見てとれた。

「こうしないと、もううちの娘は助からないと思ったから…。ごめん…けーさんまで……そうしちゃった…」

こんなときにでもまだ俺の心配をしている。

そんな様相の、そんな有り様の、そんなねぇさんにもう堰が切れた。

「なんでこんなときにまで俺の心配するんだよ!!!」

「けーさん……」

「だって……俺は……俺は!」

ポケットの中のナイフをまさぐった。明確な凶器を、殺意の意思を、取り出した。

「ねぇさんを殺す気でここまできたんだ!!!!それに、巻き込まれてなんかいない!!!最初から!そう!!!あの路上であったときからもう俺は!!!!!」

口を開いて俺は俺の牙を、証を、人類ではない汚点を、ねぇさんへと見せた。

俺は泣いてるのだろうか。怒ってるのだろうか。もうどうにもわからない。ただねぇさんを魂もない鬼に変えてしまった。その事実に耐えきれず、俺の肺は酸素を見失ったかのように、荒々しい動悸を見せていた。

「……けーさん……優しいね」

「殺されるところだったのに、なんでそんなこと……!!」

「ただの殺意じゃないことは分かるから。けーさんだし。私のこと考えてくれたんだってのはわかるから」

「でも……!!」

「うぅん。でも大丈夫だよ、吸血鬼になっちゃっても、きっと大丈夫」

「大丈夫なんかじゃない!!!吸血鬼ってのは、魂なんてなくて、心もないただの獣で!俺だってそんなやつらを何人も見てきて……!だから!」

「違うの、けーさん」

まるで諭すように、堰の切れた俺をなだめるように、優しい声でねぇさんは俺に言葉を告げた。

「けーさんが吸血鬼に対して嫌悪感があるのは知ってるよ。なんとなく…車で話してて感じたし。でもね、違うの。私、良い吸血鬼さんを知ってるの」

良い吸血鬼……?そんなのがこの世界のどこにいたんだ……?

怪訝な表情の俺に、ねぇさんは自慢するような口調で言う。

「私のー、旦那様っ!私がここに逃げて来るまで無傷で来れたーなんて虫がいいって思わない?」

旦那様?ねぇさんの?

「助けてくれたの××が。吸血鬼のその姿で、身を呈して守ってくれたの」

知ってる名前の気がしたが、けれどなぜかこの耳では聞き取れなかった。吸血鬼になったからだろうか、黒いもやのようなものに覆われてしっかりとは聞き取れない。

けれどその名前は聞いたことがある。たしかその名前は。


するとねぇさんが近寄ってきて

「それにさ」

と言いながら、俺の口に指を当てて言葉を続けた。

「吸血鬼になって、獣になって、お互いにお互いを忘れてしまっても、ならそのあとにまた友達になればいいじゃん。私は吸血鬼が悲しい生き物なんて思わないよ。

「だって、何よりけーさんがそうだから。吸血鬼になったけーさんを可哀想だなんて私は思えないんだもん。

「なにもかも忘れてしまうその先にも、きっと今の私たちはいるし、幸せにだってなれるって信じてる」


だから大丈夫!

そう言いながらいつもの笑顔でねぇさんは俺を見た。


俺は泣いていたんだろうか、怒っていたんだろうか。

激情にも似た感情は通り過ぎていた。

「……ははっ、ねぇさんらしいや」


いつの間にか雨は止んでいた。

チラリと雲間から見える陽光が、俺の頬を照らす。

夜ももうすぐ終わりを迎えるようだ。

東から真ん丸の太陽が登ろうとして、空を暖めていた。

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