第2話

※※※






 夕食の後は、キャンプファイヤーまで2時間ほどの自由時間。


 といっても、ここには川と、その川を覆うように茂っている森しかない。その川も、前日の大雨による水嵩みずかさの増量で入る事を禁止されている。


 まだ明るいとはいえ、森へ入るのはやっぱり怖い。また何だかよくわからない虫がいるかもしれないし、熊なんかも……もしかしたら、いるのかもしれない。

 そう思うと、余計に森へは入りたくなくなる。


 とどのつまり、何もする事がないのだ。


 トイレに行くと言う優雨ちゃん達を待つ為、今、こうしてテントで1人待っているのだけど……。



(……何だか、眠たくなってきちゃったなぁ。昨日は楽しみすぎて、あまり眠れなかったから……)



 外に出ればまだ蒸し暑さがあるというのに、テントにいると日陰のせいかちょうどいい温度に感じる。

 吹き込む風が、気持ち良いーー



(あぁ……本当に、眠たくなってきちゃった……)



 我慢できない睡魔に、少しだけ横になってみる。



(トイレ、混んでるのかなぁ……)



「優雨ちゃん達、まだかなぁ……」



 ポツリと小さく呟くと、重くなってきた瞼をそっと閉じた私は、睡魔に身を任せるようにしてそのまま意識を手放したーー





ーーーーーーーー



ーーーーーー



ーーーー






「ーーめ」



(ん……っ。何……?)



 なんだか、ユラユラと身体が揺れてとても心地が良い。



「ゆーー」



(……誰かが……私を呼んで……るの?)



 心地良い揺れに身を委ねながらも、ボンヤリとした意識でそんな事を思う。

    


(何……??)



「……ゆーめっ」



(……あっ。……そうだ、私……)



 手放していた意識を懸命に手繰たぐり寄せると、何とか覚醒しようと頑張ってみる。

 やけに重たい瞼をゆっくりと開いてみれば、そこには視界いっぱいに広がる笑顔の涼くんがいた。



「……っん。寝ちゃってたぁ」



 覚醒しきれていない頭で、そんな事を言いながら瞼を擦る。



「うん、知ってる。そんな風に寝てると、風邪ひくよ」



 いつもの笑顔でニカッと笑った涼くんは、言いながら私の頭をわしゃわしゃと撫でた。



「……夢。今から、凄い所に連れてってあげる」



 相変わらずの笑顔で、今度はくしゃくしゃになってしまった私の髪を整えてくれる涼くん。



「凄いところ……?」


「うんっ。夢、きっと気に入るよ。行きたくない?」



 ちょっぴりイジワルそうな笑みを見せられれば、不思議と興味は湧いてくるもので……。



「……行きたいっ!」



 興奮気味にそう告げると、涼くんはアハハと可笑しそうに笑って私の頭をポンポンと優しく撫でた。


 せっかくだから皆も誘おうとの事で、勿論、その提案に異論などなかった私は、その後、皆んなが集まるのを待ってから涼くんの後へ着いて出発したのだったーー。







※※※







「……も、森に入るの? ちょっと……怖いな……」



 目の前に広がるジャングルのように鬱蒼うっそうとした森は、まだ陽が沈んでいないというのに怖がるには充分な暗さでーー


 今にも消えてなくなりそうな声で、小さく訴えてみる。



「大丈夫だよ、夢ちゃん。皆んな一緒だから」


「何かあったら、俺がついてるから安心して」


「私だっているから。大丈夫だよ、夢」


「夢ってばぁ〜。まだまだ暗くないから、大丈夫だって!」


「懐中電灯も持って来たし、大丈夫だよ。……ね? 夢だって、凄い所見に行きたいでしょ?」



 森を見て怯んだ私に、皆んなが口々に説得を始める。



 ーー確かに、ここまで来て1人でお留守番は嫌だ。

 むしろ、こんな森の入り口で1人待たされる方がよっぽど怖い。


 何も考えずに着いて来ただけなので、帰り道なんてわかるはずもなく……。確か、ここへ着くまでに10分くらいは歩いた気がする。


 ということは、まず1人でテントまで帰るのは難しいだろう。かといって、自分1人の為に皆んなも行かないでとお願いするのも申し訳ない。


 チラリと目の前の涼くんを見ると、自信満々に右手に持った懐中電灯を見せてくる。



「一緒に行こう、夢っ!」



 ニカッと満面の笑みで笑いながら、空いている左手を私の目の前へ差し出した涼くん。

 私は躊躇ためらいがちに小さくコクリと頷くと、差し出された左手に自分の右手をそっと重ねた。






※※※






「きゃーーっっ!!!」



 意を決して入った森の中は外から見るよりも真っ暗で、足元には道なんてものはなかった。

 頼りない足元を注意深く進んでいると、動物によるものなのか、風なのか……。時折、カサッと葉が擦れ合う音が聞こえてくる。



ーーーカサッ



「いやぁーーっっ!!」



 森の中はとても恐ろしくて、もう帰りたいと、ここまでに何度も心の中で思った。


 怖くて怖くてーーもうそろそろ、限界だ。


 森へ入ってからずっと叫んでいるのは、私ーー

 ではなくて、朱莉ちゃん。私は、恐怖で声すら出せないでいた。



(今叫んだら、絶対に泣いちゃう……っ)



 右隣にいる涼くんの腕にキュッとしがみつくと、必死にこらえる。



ーーーガサッ



「きゃあぁぁーー!!!」


「ちょっ……朱莉。腕がもげるっ」



 そんな声が、右隣から聞こえてくる。


 あぁ……。朱莉ちゃん、涼くんの右腕に掴まってるんだな……。なんて思う余裕も、今の私にはない。


 朱莉ちゃんの叫び声を聞けば聞くほどに恐怖心は増してゆき、ついに私の足はガクガクと震え始めた。



「……夢、大丈夫?」



 そう言って私を気遣う涼くんの声は、酷く心配そうな声をしている。


 顔を覗き込まれているような気配を感じるも、今の私には目を合わせる余裕などなく、コクリと小さく頷くので精一杯。



「ちゃんと目を開けて歩かないと、危ないよ? ……ほら、夢」



 言われて初めて気が付いた。

 恐怖のあまり、無意識に目を閉じてしまっていたらしい。


 確かに、目を閉じたまま歩くのは危ないので……。怖いけど……凄く、怖いけど。

 薄っすらと瞼を開くと、徐々にその視界を広げてゆく。


 ゆっくりゆくっりと、固く閉じていた瞼の力を緩めているとーー突然、ヒュンッと勢いよく何かが目の前を横切った。


 その突然の出来事に驚いた私の目は全開になり、左から右へと走り抜けていったモノは一体何だったのかと、無意識に目で追いかけてしまった私。


 その視線の先にはーー

 懐中電灯に止まる、黒々とした変な虫。バタバタと動く、気持ちの悪い羽根。



「ひゃっ……やぁぁー!」



 大の虫嫌いな私は、今までずっと我慢していたせいもあったのかーー


 ついに叫び声を上げると、その場から後ずさった。

 そして、足元にあった窪みにハマって体勢を崩すと、そのままドサリと尻もちを着いた。


 もう、これ以上の我慢はできなかった。とっくに限界は超えていたから。



「いやぁー……っぅ……こわい゛ぃぃ……ぅぅぅっ……おうちっ……かえりたっ……いぃぃ……」



 限界を超えた私は、とうとう泣き出してしまった。

 泣きたくなんてないのに。こんな姿、皆んなに見られて恥ずかしいのにーー


 そう思うのに、一度泣き出してしまったら止められなくて……。



「……ぅ……こわっ……いよっ……ぉぉっ……ゔっ……こわいっ……ぃぃ~っ……」



 怖い怖いと、泣く事しかできない。



「「「「「夢!」」」」ちゃん!」



 近くにはいたものの、バラバラだった皆んなが一斉に私の元へと集まって来る。



「……ほら、夢。そんなところにいつまでも座ってちゃ駄目だよ」


「夢ちゃん、痛いところない?」



 奏多くんが私を抱き起こすと、楓くんが心配そうに私の手や身体に付いた土や葉っぱを払ってゆく。



「夢……大丈夫?」


「こめん、夢。光につられて、虫が寄ってきたのかも。……夢、虫嫌いだもんね。ホントにごめん」



 心配そうに見つめる朱莉ちゃんと、申し訳なさそうな顔をする涼くん。

 涼くんのせいじゃ、ないのに……。



「っ……ぅ……っ……こわっ……ぃぃ」



 涼くんのせいじゃないよって伝えたいのに、それ以上に怖くて怖くて……。

 私の口からは、相変わらず怖いしか出てこない。



「ほらぁ……、夢。もう泣かないで? 怖くないから……ね?」



 ポケットから取り出したハンカチで、私の頬に流れる涙を優しく拭いてくれる優雨ちゃん。

 その声はとても優しくて、なんだかとても安心する。まるで、ママみたいだ。


 拭っても拭っても溢れる涙を、優しく何度も拭いてくれる。



「皆んなで一緒に行くんでしょ?」



 優雨ちゃんに優しくそう問われ、涙を流しながらも小さく頷く。



「夢……。本当に、大丈夫?」



 心配そうに私を見つめる涼くん。



「大丈夫だよ、夢。俺がついてるから」


「じゃあ……こっちは俺ね?」



 奏多くんが右手を、楓くんが左手をそれぞれ握ると、「これでもう、怖くないね?」って笑顔で楓くんが言うから……。

 本当はやっぱり怖いけど、コクリと小さく頷く。



「あと少しだから、頑張ろう。夢」



 いつもの笑顔に戻った涼くんが、ポンポンと優しく私の頭を撫でてくれる。


 未だ涙でグチャグチャの顔のままの私は、涼くんのいつもの笑顔が嬉しくて、それにつられるようにして大きく頷いた。




「じゃあ、行こうか」という涼くんの言葉を合図に、改めて出発となった私達。


 明かりがある方がいいからとの事で、朱莉ちゃんは涼くんと。

 私の右手には奏多くん。左手には楓くん。

優雨ちゃんは、優しく私の頭を撫でながらずっと側にいてくれた。


 何故か、さっきまで感じていた恐怖に比べるとそこまで怖くないのが不思議だったけど、私はまた別の意味で苦しむ事となった。


 もう、涙は止まったのに……。なかった事にしたいのに……。



「夢ちゃん、泣いちゃったね。……でも、可愛かったなぁ~」



 なんて、妙にご機嫌な楓くんが何度も言うからーー


 私は赤面した顔を俯かせると、暫くの間楓くんによる公開処刑に黙って堪えながら歩く事となったのだったーー




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