弱小天文部員、星野エリの放課後

プリン

第1話 天文部員、星野エリの放課後

 十月も下旬となった。


 放課のチャイムと同時に、生徒が教室からのろのろと流れ出ていき、各人の行き先へと向かう。

 先週までは「十月だというのにこの暑さはまるで夏だ」と思っていたが、今日の気候は立派な秋のそれである。廊下には長袖のシャツを着た生徒に混じって、早速セーターを着用している生徒がいる。

 下の二隅の画鋲がとれた廊下のA4版の掲示物は、生徒が通り過ぎるたびにゆらゆらとゆれている。

 夕方、四時の西校舎の四階にはオレンジの夕陽が充満していた。


 西校舎の二階にある渡り廊下を歩きながら、星野エリは考え事をしていた。

 今日は月曜日。週二日の貴重な休みが終わってしまったことを痛感させる月曜日が、エリにとっては一週間のなかで最も嫌いな曜日である。


 アイロンでパリッとしたシャツに袖を通して、私服のそれよりも重いスカートを、プリーツが崩れないように片足を入れる。スカートの金属製のホックが先週と同じ位置で止まるか。つまり、ウエストが太くなっていないかを確認しながら、三段階ある内の一番きついところにホックをとめる。先週とウエストの増減がないことに少し安堵し、紺のハイソックスに手を伸ばす。両手の親指を片方のハイソックの中に突っ込んで、他の指を使って素早くつま先の部分まで生地を手繰る。ギャザーの寄ったハイソックスに自分の右足をつま先をちょこんとあてがって、するすると膝下まで引き上げる。同じ作業を左足にもする。ハイソックスを履き終わると、スカートの中に手を入れて、下からシャツを引っ張って、皺を伸ばす。全身鏡で前後をなんとなく確認してから、紺色のブレザーを羽織る。左胸の「東高」の文字の校章のずれを指で直す――これでやっと制服が着られた訳だ。


 いつもなら、何でもないこの作業が、二日やっていないだけでひどく面倒臭く感じてしまう。そんな月曜日が、エリは嫌いである。


 ただ、そんな憂鬱な月曜日も、放課後になってしまえば今日がそんな陰鬱な日だってことも忘れてしまう。

 

 月曜日。今日は天文部の活動日だ。

 学級の教室がある西校舎とは雰囲気の異なる東校舎は、部室と特別教室専用の校舎だ。西校舎よりも若干暗い印象をもつのはおそらく、東校舎が木造だからであろう。だが、東校舎はマイナスな意味での古い、ではなく、もっとプラスな意味での古い、つまりどこか親しみやすい空間である。時折きしむ床も開閉に労を有する窓も、生徒たちにとってはここが自分たちの居場所なのだと感じさせてくれる、要素のひとつだった。


 そんな東校舎二階の一番奥の小さな部屋、「天文部」の札がかかっている教室が、エリの所属する天文部の部室だ。

 部員総勢五人の弱小部。いつ廃部になっても文句は言えないような部活だった。実際、一年生のエリ以外、全員二年生であるため、その先輩たちが引退してしまうと廃部はいよいよ現実となるだろう。


 だが、そんな状況でも、部長の雑賀宙は悠々とした姿勢でいる。雑賀は今いる部員で、今を楽しく過ごしたいという想いがあるのだ。もともと、天文部としての活動はあまりなく、長期休暇に箱根に家庭用望遠鏡で夜空を観る程度のものだ。放課後の時間には星は見えない。よって、自然と天文部の活動はお菓子とつまみながら談笑したり、授業の課題を各自がしたりする時間になっていた。全員が黙々と各々の作業をしているときもあれば、一つのスナック菓子をみんなでつまみながら、他愛もない話で盛り上がるときもある――そんな天文部が、部員たちにとって心休まる居場所だったのだ。


 エリはそんなのんびりとした雰囲気の天文部に惹かれて入部したのだった。

 日常生活でも学校生活でも、多忙なエリにとっては、天文部のような息抜きの場所が必要だったのだ。


 エリはスカートのプリーツが崩れていないことを確認してから、天文部部室の引き戸をがたがたと開けた。

「こんにちはー!」

 今日一番の笑顔を窓辺の椅子に座る人物に向けた。

「やあ。こんにちは」

 

 わずか六畳ほどの広さの部室は、首をふって見渡さずともその全貌を捉えることができる。


「今日は雑賀センパイしかいないんですかー?」

 エリは自分の肩掛けのスクールバッグを指定の席に置いた。別に「指定」というほど、大それたものではないが、部員五人の各人の席がなんとなく決まっているのだ。生徒用机を四つくっつけてあるうち、窓に近い二つが部長と副部長。引き戸に近い二つが他の二年生の先輩。そして、エリの席は部長が座っている席に近いところの、所謂誕生日席のところにある。誕生日席と言いつつも、机はない。

 

 だが、エリにとってはそのほうが、都合がよかった。

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