君に伝えたいだけの言葉

小鳥遊 蒼

好きな子ほどいじめたくなるものだから

「いいよ」


 付き合おっか、という彼女の言葉に頷くと、心底驚いたような顔をしていた。

 俺がそれを承諾することが、そんなに意外なのだろうか。


「あ、でも、あい朝陽あさひくんの結婚式が終わるまででいいよ」


 その頃には大和やまとも落ち着いてるでしょ、そんなことを嘲笑ぎみに口にする彼女に、俺は表情を崩さず、先ほどと同じように頷いた。


 それでいいよ。は、それでもいい。

 勘違いしているさくらを見ているのは、それはそれで楽しい。なんて、性格が悪いだろうか。


「ありがとう、桜」


 俺は少しだけ笑みを浮かべたその口で、そんなことを言ってしまった。

 今思えば、これが桜へのとどめの一言になってしまったわけだけど、すでに届いてしまった言葉を取り消せるわけもなく、こうして俺と桜は付き合いはじめたのだった。


 ***


 長針が12をさしたところで、きっちりとした性格のその教授はそこで講義を終えた。

 教室にいた学生が一斉に片付けを始めるので、ガチャガチャという音がその場に響いた。


「大和、この後もう講義とってなかったよね? 遊びにいこ!」


「ごめん、先約」


「えー! この前もそんなこと言って遊んでくれなかったじゃん!」


 俺が座っていた席までやってきた香奈かなが喚いていると、ぞろぞろといつものメンツが集合していた。


「しょうがないよ。大和は最近できた彼女にご執心なんだから」


「え! 大和、彼女できたの?! 聞いてないんだけど!!」


「言ってないからな。……と、悪い。俺急ぐから」


「ちょっと、大和ー!」


 叫ぶ香奈の声を無視し、俺は急いで大学を出た。



————————————————————

————————————


 捕まっていたせいで、少し時間をロスしてしまった。

 とりあえず、連絡は入れておいたけれど、桜からの返信はない。

 俺は先ほどの時間を思い出しながら、心の中で舌打ちををすると、いつもの待ち合わせ場所まで走った。


「あ、大和……って走ってきてくれたの?」


 急がなくても、ちょっとくらい待ってるのに。

 桜はそう言って、鞄の中からペットボトルを取り出すと、俺の前に差し出した。


「約束してたし、連絡しても桜から返事ないし、」


「え……あ、ほんとだ。連絡きてた」


 ごめん、と手を合わせて謝る桜に、俺は聞こえないように小さくため息をついた。

 呆れていた、とかそういうのではなく、安堵のため息だ。


「ごめんな、遅くなって」


「言うほど、待ってないよ。でも、ありがとう」


「何が?」


「走ってきてくれて」


 桜は笑ってそう言った。

 その言葉の後ろに、「私なんかのために」という心が見えて、俺は思わず笑ってしまった。


「当然だろ」


 頭を撫でると、桜は照れたように笑っていた。


***


「大和、おかえり」


「ただいま……ってどっか行くの?」


 俺が帰宅すると、鞄やら紙袋やらを携えた朝陽が玄関付近を彷徨いていた。


「大和も準備して。今日は大塚家に夕飯誘ってもらってるから」


「そうなんだ?」


 珍しいな、と思いながらも、俺は鞄を自分の部屋に置き、必要最低限のものを持つと朝陽の元まで向かった。


「朝陽、その紙袋なに?」


「ん? あーこれは桜に。お礼?」


 何で疑問形? と思いながら、朝陽の言葉を待った。


「ほら、藍との間を取り持ってくれたの桜だろ? 結婚を機にお礼しようって藍と準備したんだよ」


 嬉しそうに、本当に幸せそうに話す朝陽に、こちらまでその幸せな感情が移ってくる。

 よかったな、と心の中で言葉を紡ぐ。

 その幸せな気持ちとは裏腹に、これを俺がいる前で渡された時の桜の心情を察した。その時に浮かべる表情までもが、鮮明に想像できた。


「これで、大和と桜も結婚したら、もっと幸せになるなぁ」


「え……?」


 急に何を言い出すのかと思えば…

 幸せボケなのか、いつもの天然を発揮しているのか…


「大和は昔から桜のこと大好きだもんな」


「……ふっ。はははっ…」


 そのおかしさに俺は思わず吹き出してしまった。


「朝陽でさえ、俺の気持ちわかってるっていうのにな」


「どういうこと?」


「桜は、俺が藍のこと好きだと思ってるんだよ」


 まだ笑いが収まらない俺は、涙が出てきて、それを拭いながら説明した。

 その話を聞き終わると、朝陽の表情が変わった。


「藍はやんないぞ」


 そんなことを真剣に言ってくる兄に、俺はまたおかしくなって、必死に笑いをこらえる。

 さっき、自分で俺の気持ちを代弁していたではないか。

 やっぱり天然という生き物は恐ろしいな。いろんな意味で…


「いいよ。俺は桜さえいてくれれば、それで」


 その言葉は朝陽には届いていなかったらしく、大塚家に向かう準備を進めていた。


 俺は一つため息をついた。

 本当に、朝陽でさえ、わかっているというのに、どうしたらそんな発想になるんだろうか。


「あ、そうだ」


「?」


 靴を履こうと、しゃがみ込んでいる朝陽が振り返って、俺を見上げた。


「あんまり、桜いじめるなよ?」


「は?」


「お前、小学生みたいなところあるからな」


 そう言うと、朝陽は立ち上がり、まるで何事もなかったかのように扉を開けて外へ出た。


 いじめているつもりは全くないのだけど…

 何だ? 好きな子をいじめる子どもだとでも言いたいのか?

 けれど、その言葉を思い浮かべて、不思議と納得してしまった。

 そうか、そうだったのか。俺は子どもだったんだな…


 さて、どうするべきか。

 この関係は正直もう飽きた。桜が言う期限もそろそろだしな。


「潮時、か……」


 俺は先ほど脱いだばかりの靴を履くと、朝陽の後に続いた。


 ***


 朝陽と藍の結婚式が終わると、それまで幸せそうな表情を浮かべていた桜は、それを一変させた。

 そのわかりやすさに、思わず笑いそうになったけれど、バレる前に表情を戻した。


「大和がちゃんと二人のお祝いしてくれて、何だか安心したよ」


 しみじみとそんなことを言う桜に、それはこっちのセリフだと、言い返してやりたかった。

 明らかに無理をしている表情で、何をそんなに悩むことがあるのだろうか、と。

 自分でもわかりやすいほどに、桜にかまっていたつもりだった。

 マメな方ではない連絡も桜には自分でも驚くほどきちんと連絡していたし、桜に会う時間も作った。それは義務的な感情ではなく、そうしたいと思ったからしたことだ。

 それが全く通じていないことは理解していたけれど、何がそうさせているのかまではわからなかった。


 だから、今日全てを終わらせよう。

 桜もそうするつもりだろう。

 だから、そんな顔をしているんだろ?


「大和、ごめんね」


 桜が何を言おうとしているのか、わかってるよ。

 それほどに、俺たちはずっと一緒にいて、もう言葉にしなくてもわかるから。


「桜」


 でも、ごめんな————

 もう、桜の思い通りには動かない。


「今日で最後だよね?」


「……うん……」


「じゃあさ、最後に俺のお願い聞いてくれる?」


「お願い?」


 その言葉に、俺は頷いた。


 明らかに桜の表情が変わって、何かに怯えているような顔をしていた。


「……何?」


「これから俺が言うことに、全部肯定で返して」


「え……」


「いいから。“うん” しか言っちゃダメだよ?」


「………うん…」


 いまだに様子を伺うように、俺を見つめる桜から視線を逸らさないように、俺は笑った。


「桜、俺と別れてください」


「……うん……」


 桜は俯き、その目にはうっすら涙が浮かんでいるように見えた。


 まだ話は終わってないのに。

 こんなところで泣くなよ、最後まで聞けよ。と内心、悪態を吐きながら、俺は自分の手に力を込めた。


「それから、」


 軽く深呼吸をする。


「改めて、俺と付き合ってください」


「……」


「桜?」


「…………え………?」


 俺の呼びかけに、驚いたように顔を上げた。

 全く想定していなかった、というように、目を丸くしていた。

 その表情がおかしくて、俺はとうとう笑い出してしまう。


 本当に、俺の気持ち全く伝わってなかったんだな、と改めて再認識した。

 朝陽と藍のことは、当の本人たちが気づく前から率先して動いていたくせに、自分のことにはものすごく疎いんだな。それを当てられるこっちの身にもなってほしい。

 そんな若干八つ当たり的な、本日二度目の悪態を吐く。


「もう一回しか言わないから、ちゃんと聞いてろよ。

 俺は桜のことが好きだ。俺と付き合って」


「嘘……」


「こら、違うだろ。最初の文字しか合ってないよ」


 それでも、桜は何かを考えるように俯いていた。

 また余計なこと考えてるな、と桜が考えていることが不思議と手に取るようにわかった。


「桜が勝手に勘違いしてるだけだから、それ」


 もう、この関係は飽きた。

 そろそろ、本当の関係になろう。


「俺が好きなのは、ずっと桜だから。桜だけだから。

 ————ほら、返事は?」


 桜の顔を覗き込むと、ずっと堪えていたかのように、桜の目からは涙が溢れていた。

 桜の涙を見るのは、子どもの時以来で、俺は柄にもなく、あたふたしてしまった。


 どうして泣くのか。

 その涙は、どういう意味なのか。


 朝陽はあんなこと言ったけど、実は、振り回されてるのは俺の方だってこと、きっと桜は知らないんだろうな。

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