怨13 コレヨリサキハイルベカラズ 新宿区百人町

深夜の廃虚ー10年前に倒産した出版社「天空創造出版社」は、新宿の百人町に存在していた。

大衆誌「週刊スピード」は、政界の金にまつわる噂や、著名人らの不倫や薬物依存を暴き出し、時の内閣総理大臣をも失墜させたゴシップ誌で人気もあった。

そんな天空創造出版社も、10年前に巨額な累積赤字を抱えて倒産した。

夢の跡となってしまったかつての自社ビルは、今ではお化け屋敷と呼ばれ、若者達の絶好の遊び場と化していた。

5階建ての廃虚ー。

道路に面した窓ガラスにはベニヤ板が打ち付けられ、屋上の巨大な看板も無くなって骨組みだけとなっている。

1階フロアの壁は落書きだらけで、床にはビールの空き缶やタバコの吸殻が無数に散らばっていた。

使われなくなったエレベーターの扉には 「コレヨリサキ、ハイルベカラズ」と赤文字で書かれてあって、誰が何の為にその言葉を残したのかはわからなかった。

友美と次郎と雄一郎は、懐中電灯に照らされた不気味な文字を、スマートフォンのカメラで撮影していた。

雄一郎は始終興奮しっぱなしで。


「すげえ。雰囲気あるじゃん」


と、スマートフォンを片手に大声で笑った。

友美は次郎の腕を掴んで何度も「ヤダ」と呟いていた。

次郎が照らす懐中電灯の灯りは、エレベーターから天井へと向けられる。


「うわ、なんだこりゃ」


次郎は思わず叫んでしまった。

天井にも赤文字で「コレヨリサキ、ハイルベカラズ」と書かれてあったのだ。

雄一郎はまた笑った。


「これ、テーマパーク化してねえ? 狙ってんでしょきっと!」


友美は怒った口調で。


「大声出さないでよ。誰か来たらどうするの!」


と言いながら、次郎にぴったりとくっついていた。そんな2人を見ながら、雄一郎はタバコに火をつけた。


「ちょっと休憩」


煙が立ち上る。

次郎はそれも撮影した。

ゆらゆらと闇に吸い込まれる煙は、どことなく幻想的に映った。

この冒険で、特に何かを期待しているわけではない。

噂のお化け屋敷に侵入し、内部を撮影するだけが目的なのだ。

後は画像処理でどうにでもなった。

仕上がった動画を共有サイトにアップして、ちょっとした有名人になれれば万々歳。

再生数だけ稼げたら良いのだ。

3人とも、同じ考えだった。


「さて」


雄一郎がタバコを床に捨て、足で揉み消しながら次郎に目配せをして見せた。


「2階に上がっちゃう?」


雄一郎の問いかけに、次郎は少し戸惑った。

これ以上、恋人の友美を怖がらせたくはなかったのだ。

友美の震えは次郎の腕にさっきから伝わっている。次郎自身はあらゆる箇所を撮影したかったが、今日は引き上げた方が良いのではと雄一郎に提案した。こう付け加えるのも忘れなかった。


「後は画像処理でなんとでも出来るから任せといてよ。うん、絶対バレない」


「ほんとに? じゃあどうしよっか? 飲みに行っちゃう?」


雄一郎の言葉に友美が飛びついた。


「そうしよそうしよ! 早く行こ!」


その時、ガタンと大きな機械音がした。

友美は悲鳴をあげ、雄一郎と次郎も驚きの声をあげた。

滑車が回る音。

モノが動く音。

上階からこの階へと音は響いている。

雄一郎はエレベーターへカメラを向けた。

階数ランプは何も表示はされてはいない。

しかし、間違いなくエレベーターは動いている、ガタガタ音を立てながらー。

次郎の懐中電灯は、しっかりとエレベーターの扉を捉えていた。

ゆっくりと、確実に降車するエレベーター。

次郎は叫んだ。


「出よう、ヤバイって!」


雄一郎も友美も頷いた。

エレベーターの扉が開いたら、取り返しがつかない予感がした。

3人はきびすを返して走り出した。

突然、1階フロアに明かりが灯る。

バチバチと音を立てながら、天井の照明が点滅し始めた。

3人にとって、もはや怪現象などどうでも良かった。この建物から出なければ、何処かへ引きずり込まれる予感がしていた。

ガラスの砕ける音。

天井から降り注ぐ蛍光灯の破片。

火の粉も舞い始める。

雄一郎が入り口扉を蹴破って、次郎と友美も後に続いた。

3人は建物から遠く離れた場所に座り込んだ。

友美は泣いていて、次郎は咳き込んでいた。

雄一郎は振り返って、建物へスマートフォンを向けた。

ビデオカメラをズームにして、フロアをしっかりと捉えたつもりが小刻みに手が震えてしまった。

何故だ・・・。

雄一郎は、両手でスマートフォンを押さえるように握った。

レンズに指先が触れてはいるが、そんな些細な事は頭から消し飛んだ。

カメラに映るモノに眼を奪われて動けなくなった。

建物1階フロア。

闇の中舞い散る火花。

その小さな火の粉は、床に散乱していたゴミに燃え移る。

立ち昇る煙は、やがて火柱をあげる。

奥のエレベーターの扉。


「コレヨリサキ、ハイルベカラズ」


の赤文字が溶けていく。

滴り落ちる血液と似ている。

扉がゆっくりと開く。

火柱と煙の中に浮かび上がる人影。

黒髪の女が、ジーッとこちらを見ている。

雄一郎は不思議だった。

呪いとか恨みとかではない。

何故なら。女は泣いているのだとわかってしまった。

雄一郎の脳内に、直接女が語りかけてくる。


「ねえ、あたしのために泣いてよ」


と。

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