怨3 ミダレル

車のハンドルを握る高木純一の目には、交通安全祈願のお守りと、その下に申し訳程度に飾られたハリネズミのキーホルダーが、左右に大きく揺れながら、駄々をこねる子供のように映っていた。

目的地への到着を急かされている。

そう感じた高木は、助手席の鎌田静子に不安を悟られないように平然と言った。


「何処の神社だったっけ?」


「なにが?」


ぶっきらぼうな返答に高木は慌てた。

不安を帯びた声は隠しようもなく、静子も気を使ってか、あえて不愛想に応えているようにも見える。

いや、そう思いたかった。

車をコインパーキングへ停めると、高木と静子は徒歩で根本神社へと向かった。

住宅地の密集するこの一角に、ぽっかりと口を開けた異空間はひんやりとしていて空気が重たい。

高木は思った。

川崎市生田町で唯一知りうる場所と言えば、大東京テレビのスタジオと、隣接するプロ野球チームのグラウンド。

その近くに、こんなにも幻想的な空間があったなんて・・・。

しばらくの間、ふたりは車の通れない細道を歩いて、使われなくなった公民館を右に曲がった。

点在する古民家や文化住宅、学生向けの真新しいワンルームマンションを通り過ぎる。

すると、目の前に鬱蒼と生い茂る竹林が見えた。

朱色の鳥居は、現実世界と異空間との境界線。

その脇に、一台のパトカーが停車している。

ハスキー犬を連れた初老の男性が、怪訝な顔をしながら鳥居の奥を覗き込んでいる。

高木は尋ねた。


「すみません、何かあったんですか?」


男性は、背後からの声に驚きながらも答えてくれた。

ハスキー犬は吠えることもせずに大人しくしている。

動物嫌いの靜子は安心した。


「ほら、あそこの部屋でさ、学生さんが死んでいたんだよ」


男性の指差す方向に目をやると、砂利道の緩やかな坂のふもとの、黄色い規制線の貼られた開閉門の脇に警察官が立っていた。

その背後には、二階建ての大きな出窓が特徴的なコーポが見える。


「自殺らしいよ、ばあ様友達が見つけたんだけどさ、扉から血が流れてたらしいよ」


靜子が呟く。


「やだ…」


男性は、無理に笑顏を浮かべて、明るい口調で話を続けた。

非日常的な世界に存在している。そんな興奮が伝わってくる。


「いやね、あそこのアパートはダメだよ、自殺なんてこれで2人目だもん。怖いねえ、無理矢理作ったような建物だからさ」


「無理矢理ですか?」


「そうだよ。だってさ、こんな坂のさ、しかも神社の敷地内にアパート建てるかね?」


「確かに、おかしな感じですね…」


「だろう!?」


靜子はずっと黙っていた。

高木は、これ以上話が長びくのを恐れて男性に礼を言うと、静子の手をひいて神社の境内へと歩き始めた。

鳥居をくぐると、狭い山道が延びている。

木材を階段状に設えただけの路。

辺りは竹林に覆われて薄暗く、烏の鳴き声が周囲に響き渡っている。

靜子は相変わらず黙ったままで、俯きながら歩いていた。

高木は気になっていた。

申し訳ないと思っていたし、自殺現場に遭遇した必然も恐ろしかった。


「靜子、やっぱり今日はやめよう」


祠の前で高木は言った。


「うん、なんか怖くなっちゃった」


「すまない」


「あやまらないでよ・・・」


静子の脳裏に、今日の出来事は必然ではなく偶然なのよといった思いが浮かぶ。

高木は何も言えないでいた。

元々静子は、オカルトや都市伝説のたぐいに興味がなかった。神や仏も信じていないし、運命や宿命等も「疲れた大人の癒しの言い訳」くらいに捉えていた。

ところが、数日前にドラマで演じた ー浮気相手に殺されるキャバ嬢ー の台詞が頭から離れない訳を知りたかった。


「1人で生まれて、どうせ死ぬのもぼっちなんだから、さあ、殺しなさいよ!」


気がつけば、家事の途中や就寝前に呪文のように呟いている。

高木が悪夢にうなされ始めたのも同じ頃で、撮影後現場の根本神社と似た場所を彷徨い歩いていると聞いた。

そして、神社に隣接するアパートで起こった若者の自殺。

高木の夢に現れる祠と赤い鳥居。

混在する得体の知れない現実に、流石の静子も不安になって、不都合な偶然を解釈出来ないまま時間だけが過ぎていた。

そんな心根を見透かされまいと、静子はあえてせがむように言った。


「あのね、この先であたし殺されちゃったんだから、行ってみよっか!?」


「おいおい、勘弁してくれよ」


「なに怖気付いちゃって!」


「もおいいよ、死んでばっかだなあ相変わらず」


「当たり役でしょ」


ふたりは笑った。


「静子、今更だけどさ」


「なに?」


「俺が夢で見た神社じゃないみたい」


「ええっ!」


「怖がらせてごめん」


「怖くなんてないし」


膨れっ面の静子は可愛かった。

ふたりで、来た道を手を繋いで下りて行く。

互いの温もりを感じらる幸せに酔い痴れながら。

一陣の風が吹き抜ける。

遠ざかるふたりのうしろ姿を追いかける3人の子供達。

祠の陰に佇むひとりの女。

こけた頬、開いたままの瞳孔がぎょろりと光の先を見つめ続けている。

秋風の騒めきに混ざって、蟲の羽音ほどの幽かな歌声が聞こえた。


あの丘を。

いつか越えて。

帰ろうよ。

我が家へ。







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