十字架を背負ったバケモノ

有本博親

00話 切死丹


 +


 海円寺悪魔騒動事件の目撃者である田辺誠一(52)は、当時の出来事について次のように語った。


 +


 ──10年前、私は悪魔を見ました。


 そうです。


 悪魔ですよ。


 皆さんもご存知のアレです。


 全身真っ黒な体毛に覆われていて、頭にヤギのツノ、背中にコウモリの羽、両足がシカの蹄とかいう空想上の生き物ですよ。


 ……なんですか、その目。

 疑っているんですか? 私が嘘をついていると?


 いや、謝らなくて結構。

 もう慣れてますから。信じられないのも無理もありませんしね。あなたたちの気持ちはよーくわかります。


 私もそうでしたよ。


 あの頃の私はあなたたちと同じで、悪魔とか幽霊とかの類を否定していた側ですから。


 悪魔なんて、この世にいるわけがない。

 昔の人間が作り上げた空想上の生き物だ。

 そう、思い込んでいました。


 でもね。


 目の前に本物を見てしまった時は、さすがにそうもいってられなくなりますよ。いや、ほんとうに。


 そうですね。


 あれは真夜中の出来事でした。

 2時くらいだったかなぁ。たしか。

 夏の暑い夜だったのははっきり覚えています。


 ちょっとした用事で海円寺に寄った私は、本堂の裏側でタバコを吸っていたんです。

 星がきれいで静かな夜だなっと思って、ぼーっと空を見上げてました。


 そしたらね。

 突然、どんっ! と大きな音が聞こえたんです。


 なんだ?

 なんだ?

 どうやら境内から聞こえたみたいだけど、なにかあったんだろうか。

 そう思った私は境内まで歩いていき、草陰からそっと境内の様子を覗いたんです。


 はっと息を飲みましたよ、はい。


 最初は熊かと思いました。

 海円寺は山の中腹にある寺ですからね。

 熊とか猪が出るなんてしょっちゅうありますから。

 でもね、目を凝らしてよーく観察してみて、私は気づいたんです。


 あれは熊じゃない。


 悪魔だ。ってね。


 ええ、大きな身体でしたよ。

 4メートルくらいありましたかね。

 境内にある鐘楼とほぼ互角の高さはありましたから、4メートル以上はありました。間違いないです。


 悪魔の体は黒い体毛に覆われていて。

 背中にはコウモリの羽。

 頭にはヤギの角。

 真っ赤な両眼に口が耳まで裂け、唇の中にはカミソリみたいに鋭いギザギザの牙が並んで生えてました。


 まさに世間のみんながイメージしている『悪魔』そのままの姿だったんです。

 

 え?


 どうしてそんな時間に私が寺にいたのかって?

 ちょっとした用事ってなんだって?


 ………………ははは、いいじゃないですか。

 そんな野暮なこと訊かなくても。あなたには関係ないでしょ。



《どーした? カクレキリシタン! さっきまでの威勢はどこに行った? この『あすもでうす様』を斃すんだろ?》



 悪魔はいいました。

 当然、私にいったわけではないです。


 悪魔の前に立つ、人間に向かっていい放ったんです。


 作務衣姿の坊主頭。

 海円寺の住職。私の友人の黒翼円斎です。


「……ち、ちくしょう」


 ボロボロでしたね。円斎は。

 まるで刀で斬り刻まれたみたいに、作務衣のあちこちが切り刻まれていました。


 満身創痍といいますか。

 もう立っているのもやっとという様子でした。


「なんだよこれ」


 どうして円斎があんなバケモノの前に立っている?

 まさか、あのバケモノと戦っているのか?

 そんなバカな……うそだろ?


 っとまぁ、こんな感じで、私自身ひどく混乱しましてね。いわゆるパニック状態といいますか。


 は?

 なぜそのタイミングで警察に助けを求めなかったかって?


 ………………はぁ。


 わかってないなぁー、あんた。

 さっきもいいましたが。

 海円寺は、山の中腹にある寺なんですよ?

 警察に助けを求めるなら、山を下りないといけないんです。少なくとも下山には1時間かかるんだ。


 街灯なんて真っ暗な夜の山道を1時間かけて下りて、それから町の警察に駆け込んだとして、私のいうことを信じてもらえるどうか。

 いちいち訊かなくてもわかりますよね?


《クハハハハハ! ぶざまだな! カクレキリシタン! さぁどうする? これからどうするんだ?》


「黙れ! まだ勝負は終わってねぇ!」


 円斎は構えました。


 両腕を前に伸ばして、こう、手のひらを悪魔に向けたような、こんな構えです。


 中国拳法? のような構えでした。


 私は素人だからわからないですけど、円斎は何か拳法を習得しているとは聞いていたので、おそらくそうだと思われます。


「……はっ!」


 一瞬です。


 陸上の走り幅跳びの選手がジャンプするように、円斎は全力の助走をつけ、悪魔の顔面に向かって高くジャンプしました。


 右のパンチ。だったかな?


 体ごと突っ込むように、円斎はパンチを繰り出したんです。


 しかし。


 パンチは当たりませんでした。


 当たらないどころか。

 円斎の体が、悪魔の体を通過したんです。

 まるで霧や蒸気の中に体ごと突っ込んだように。


 ふわぁっと通過したんです。


 ウソだろ?

 て思いましたね。私は。

 一瞬、見間違えたのかと思いました。


《おらぁっ!》


「がはっ!」


 すごい音がしましたよ。

 ばぢっともごきっとも聞こえた気がします。

 芯に当たったって感じというか。


 パンチが空振った円斎が地面に着地した刹那。

 悪魔の後ろ蹴りが、円斎のどてっ腹にめり込んだんです。


 まるでプラスチックのおもちゃのように。

 円斎の体がぴゅーって飛ばされました。


 地面に落ちた頃には、ごろごろごろ!って凄い勢いで転がりましたね。


 相当エゲツない蹴りなんだというのは、見てわかりましたよ、はい。


 あれですね。

 馬の後ろ蹴り。知ってますか?

 百獣の王ライオンも一撃で殺すことができる馬の後ろ蹴りみたいな。そんなえげつなくて破壊力のある蹴りでした。


 でもね。


 立ち上がったんです。

 円斎はそんなエゲツない蹴りを喰らったのに。

 転がり終わる前に地面を掴んで、アクション俳優がやるような、腹筋のバネを使った起き上がりをして、立って構えたんです。


 すごいですよ、ほんと。


 自分の身の丈の3倍以上あるバケモノの後ろ蹴りを喰らって立ったんですから、生半可な鍛え方をしていないことは、素人の私でもわかりました。


《ったくよー、ほんとマジで学習しろよな、てめぇ。俺様は地獄の悪魔だぞ? てめぇらの世界とは違う世界から来たんだ。お前らの世界の物理法則に律儀に付き合うほどお人好しじゃねぇんだ。こっちは》


 さっき私は、悪魔は現実には存在しないといったの、覚えてますよね。

 実は本当の意味で、悪魔っていう生き物は『現実世界には存在していない』んです。


 ん?

 どういうことかって?


 ……んー。


 ま、ざっくりいうと、『幽霊』と似たような存在です。悪魔っていう奴は。


 投影されたホログラムみたいなもので、幽霊っていうのは物理的な肉体がなくて、この世に残る『エネルギー体』です。


 悪魔っていうのは、つまり『めちゃくちゃ強い幽霊』だと思ってください。


 悪魔は幽霊と違って、自分の意思で人間に触ることができるそうです。

 悪魔が持っている能力のひとつだとかなんとかで。

 ほんと、反則ですよね。


 へ?

 どうしてホログラムぇエネルギー体の悪魔が、生きている人間に触ることができるのかって? 

 ……あのね。

 そんなこと私に訊かれてもわかりませんよ。

 専門家に訊いてください。専門家に。


《どうするんだ? カクレキリシタン。俺様を『実体化』させられるには祝福儀礼を施した『聖具』が必要だ。だが、偽装棄教したテメェらにまとも『聖具』なんてひとつもねぇ。神に見捨てられたテメェらに俺様を斃せるのか?》


「…………見捨てられてなんてないさ……」


《あん?》


「神サマはなぁ……お前のような雑魚を相手にするほどヒマじゃねぇんだ。お前ごとき雑魚をぶちのめすのに、俺一人で十分なんだよ」


 ええ、走りました。

 円斎は悪魔に向かって突進したんです。


 パンチもキックも当たらないことはわかっているはずなのに、円斎は逃げずに立ち向かいました。

 ですが。


 がしっ! 


 って感じに捕まっちゃいました。


 鷲掴みですね。はい。

 子供がオモチャの人形の胴体を握るように、円斎の体は、悪魔にあっという間に鷲掴みされたんです。


《調子にのるな、くそ人間が》


「ぐああああ!」


 めりめりって、肉と骨が軋む音が聞こえました。

 聞くに耐えることができない私は、その場で耳を塞いじゃいましたよ。


《虫けらごときが、この『あすもでうす』を雑魚だと? ソロモン七二柱の爵位『王』の俺様を? 嘗めるんじゃねぇぞ!》


 ブチギレです。はい。

 もう悪魔の顔面が、くしゃくしゃに歪んで、激怒そのものといった表情になっていました。


 私はそれを見て思いました。


 もうダメだ。

 殺される。

 あんな人間がバケモノ斃すなんて絶対無理なんだ。

 どうして戦ってるんだ、円斎。

 さっさと逃げればよかったのに、馬鹿なのかお前。


 心の中で、何度も私は円斎に向けてそう叫びました。

 届かないのはわかっているのに、何度もそう思ったんです。


《馬鹿だぜお前ら。さっさと捨てればよかったんだ。『信仰』なんてさっさと捨てちまってよ、幕府の連中のいうこときいて棄教しておけばよかったのに……そうすりゃ死ぬこともなく俺たちに支配してもらえたものの……馬鹿だぜ、お前らはよ》


「馬鹿はお前だ」


《あ?》


「信じることを捨てなかったから、俺たちはいるんだ。ご先祖様が教えを守ってくれたから戦えるんだ……そんなこともわからねぇのか大馬鹿野郎」


 その時です。

 遠くから何か大きな音が聞こえたんです。

 エンジン音。それもバイクとか車の音じゃない。

 バババババと、風を巻き込むようなエンジンの音です。


 私は気付きました。


 あの音は。

 まさか。


《なんだあれは》


 悪魔が見上げた時、音の正体が空にいました。


 そう、『ヘリコプター』です。

 ヘリコプターが円斎と悪魔の上空にいたんです。


 ピカッ。

 って、閃光が走りました。


 ヘリの先端に備えられた『照明』が、悪魔と円斎を上空から照らしたんです。


《まさか! これは!》


 照明の中に『模様』が入ってました。

 細かい文字のような模様が円状に描かれていて、その中心部に、交差する黒い線の模様があったんです。



 十字架。



 照明が照らし出した模様は『十字架』を象っていました。


《ぐ、ぐぐぐぐ! 貴様!!!!》


 はい、そうです。

 ご存知『隠れ切支丹鏡』です。


 カクレキリシタンが幕府の目を欺くために、魔鏡の技術を応用して、鏡の中に十字架やキリスト像を仕込んだ銅鏡のことです。

 かつてカクレキリシタンたちは、隠れ切支丹鏡に蝋燭の光を当て、映し出された十字架に向かって密かに信仰し続けていたそうです。


 仕込まれた十字架は『聖具』そのものですからね。


 悪魔には効果はかなりあったみたいです。


《ぎゃああああああ!》


 獣のような雄叫びでしたよ。


 苦しそうでした。

 まるで硫酸を頭からぶっかけられたかみたいに、悪魔の体のあちこちから白い煙がもうもうと立ち上がってましたから。


「ふん!」


 円斎の両手が、容赦なく悪魔の手首に突き刺さりました。


 こう上からぐさって感じで。

 貫手でしたっけね? 空手の技にあるアレです。


《がぁ! くそが!》


 ぐりぐりと円斎は容赦なく悪魔の手首に貫手を抉り入れたんです。


 もう痛そうのなんのって。


 あまりの激痛に、悪魔は獣のような悲鳴を上げ、円斎の体を地面に叩き落としました。


 すると。


 ばぎっと音がしたんです。

 大木を金属バットで殴ったみたいな鈍い音でした。

 円斎が地面に叩き落とされた音ではないです。


 地面に着地した円斎が、悪魔の右足を蹴り飛ばした音でした。


《うぎゃああああああ!》


 悪魔の右足が、くの字に折れ曲がっていました。


 そうです。一撃です。

 体長4メートルもある巨大なバケモノの足を蹴り折ったんです。


 すごいのなんのって。


 本当にいるんだ。あんな人間が……。

 もうどっちがバケモノなのか。ははは。

 

「お義父さん!!!」


 ヘリコプターからスピーカーで音声が届きました。

 スピーカーの声には聞き覚えはありました。

 円斎の義理の息子さん。黒翼正樹さんでした。


「時間がありません! 隠れ切支丹鏡で作った結界の持続時間は『30秒』です! 30秒経てば実体化は解除されます!!」


「30秒……十分すぎるな」


 円斎がそう呟いたように、私には見えました。


《なめんじゃねぇぞ! カクレキリシタン! 俺様とテメェとじゃ体重差が違うんだ! たかが俺様を実体化したぐらいで、チビのクソ人間が俺様に勝てるわけねぇんだ!》


 悪魔は咆哮を上げ、牙をむき出して威嚇しました。


 体長4メートルもある巨大なバケモノ相手に、満身創痍で立っているのもやっとの円斎が立ち向かおうとしている。


 どっちが状況が不利なのかは、誰が見ても明白です。


 だけど、私は確信していました。

 この勝負の行く末がどうなるかを……。


「ケリをつけようぜ、バケモノ」


 それからどうなったのか。

 あなたたちが知っている通りの結末です。


 はい? 信憑性がない?


 ヘリコプターが都合よく出るわけがない?


 そんなマンガみたいなハナシがあるわけがないって?


 さぁ、それは知りませんよ。


 私はただ見たままの出来事をそのまま話しているだけです。信じるか信じないかは、あなた次第ですよ。



To be continued...

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