幼馴染は終わらない

月之影心

幼馴染は終わらない

 暗闇に包まれた中、体が動かない。

 上に圧し掛かられているような、全身に絡み付かれているような、不思議な感覚。

 体だけでなく、腕も脚も動かないのに、決して嫌な気分ではない。

 だから余計に不思議。


 俺の名前は橘秀一たちばなしゅういち

 取り立ててイケメンでも勉強が出来るわけでもなく、また何かが出来る特殊能力の持ち主と言うわけでもない、ただの大学生だ。

 実家の近くの大学へ進学出来た事は親孝行であっただろうか。


 何度かこういう感覚になった事はあるが、大抵こんな時はそろそろ目覚める前…眠りが浅くなってきて見ている夢だと理解している。


(あぁ、これは夢か……。)


 目覚めればこの不思議な感覚も消えるのだろう。

 しかし今日は大学の講義も入れておらず一日休みだ。

 であれば、今少しこの『体の上に何かが圧し掛かり体に何かが絡み付いていて何も出来ない状態』を言い訳に、惰眠を貪るのも悪くない。




「ん……ぅ……」




 明らかに物理的な『音』として耳に入る何か。

 暫しの惰眠もここまでかと、暗闇に挿し込む光は自らの瞼が開いた証。




「え?」




 顎の辺りに広がる真っ黒な塊…じゃなく毛?


 現状を把握しようと一気に脳が覚醒していく。

 完全に体の上にが乗っている。




「ふぁ……ぁ……おはよ……」


「何やってるのかな?」


「秀ちゃんの布団で寝てたんだよ……」




 俺の上で、俺に抱き付いたまま姿勢を変えようともぞもぞ動くのは高梁朱里たかはしあかり

 物心付いた頃から隣に住んでいる幼馴染で、幼稚園から大学までずっと同じ道を歩んでいる。

 小さい頃は一緒に寝たり風呂に入ったりしたものだが、そんな二人ももう思春期を通り越し、性の知識もしっかり持った大人だ。

 俺もそれなりに男の体になっているように、朱里もそれなりに女の体になっているわけだ。

 しかも朱里は、一般的に見てもかなり可愛い部類に入るし、何よりスタイルが相当良い。

 その顔立ちのせいか、或いは体目的か、高校に入ってからは学校でも学年を問わず幾度と無く告白されていたようだ。

 その都度、やれ面倒だとかやれ鬱陶しいとか愚痴を聞かされていたのも良い思い出である。


 そんな朱里も、幼馴染という警戒感を持たずに済む関係の俺に対しては度々こういう事をしてくる。

 俺も多少は慣れてきたが、やはりそこは一人の大人の男としてそれなりに意識はする。




「朱里……何でまた俺の布団で寝てるの?」


「何で……って……『そこに布団があるから』かな……」


「ジョージ・マロリーみたいに言うなよ。」


「ふっふっふ……マロリーは『そこにエベレストがあるからさ』だよ。」


「よく『そこに山があるからさ』とか意訳されてたやつだ。」


「あれは意訳なんかじゃなくて酷い誤訳だと思うの。『山』と『エベレスト』じゃ全然意味が違うもの。」


「はいはいそうだね。それより朱里はいつまで俺の上に乗ってるのかな?」


「あと5分……」


「起きろ。」




 カーテン越しに朝日が部屋の中を照らし始めた頃、ようやく朱里が俺の体に手を付いて体を起こした。

 第一ボタンまで胸元が大きく開いたパジャマのお陰で、朱里のたわわな胸の谷間が目の前に広がる。

 思わず凝視してしまったが、健全な男なら当然の行為だろう。

 何たる絶景かな。




「秀ちゃんのえっち。」




 胸元をちら見しただけでも女性は見られている事がよく分かると言うが、今はちら見ではなくがっつり見ていたのでそう言われても仕方ない。

 そう言いつつ、朱里はその胸元を隠そうとせず、寧ろ俺に見せ付けるかのように両腕を狭めて二つの膨らみを寄せて谷間を強調してきた。

「ふふっ」っと微笑して体を起こそうとした朱里を、下からそのまま抱き締める。

 べしゃっと崩れるように俺の顔の上に朱里の胸の谷間が落ちてくる。




「おぉっと!?秀ちゃん?起きるんでしょ?」


「もう少しだけこのまま……」




 谷間に鼻を埋め額を胸元に押し付けると、朱里の鼓動が小さく響いてくる。

 朱里は俺の頭を撫でながら、頭を抱え込むように腕で包んできた。




「ふふふっ……秀ちゃんは相変わらず甘えん坊だね。」


「うるせぇ。朱里が挑発してきたんだからな。これは自然の流れだ。」


「挑発なんかしてないけど、自然の流れねぇ……じゃあこの後はどうなるの?」


「このまま。」


「このまま?」


「そう……このまま。」


「ねぇ、秀ちゃん。」




 そう言うと朱里は俺の頭に頬ずりをし、俺の動きを止めるように俺の頭を包む腕に少しだけ力を入れた。




「私と秀ちゃんって、ずっとこのままなのかな?」


「ん?どういう事?」




 朱里の顔を見て話したかったが、朱里の腕に包まれた頭は身動きが取れなかった。

 心なしか、朱里の心臓の鼓動が大きく感じられる。




「私と秀ちゃんは小さい頃からずっと一緒で、何をするのも何処へ行くのもいつも一緒で。」


「そうだな。」


「気が付いたら二人とも大学生になってて、それでもいつも一緒。」


「うん。」


「じゃあこの先は?」


「この先?」


「そう……例えば、大学を卒業してからとか、就職してからとか、そういう『先』って、どうなるのかな?」




 一言一言噛み締めるように、或いは言葉を発しながら自分でも考えるように、朱里はゆっくりと言葉を繋いだ。

 正直、そんな先の事……まぁ就職先の候補くらいは考えているが……と言うより、ずっと一緒に居たが故に、朱里と別々の道を進むというのを思い付かなかった。




「朱里はどうなると思う?」


「質問に質問で返しちゃダメって教わったでしょ?」




 意外なところで正論をぶつけられる。




「そうだなぁ……」




 少々名残惜しくはあったが朱里の胸の谷間から顔を離す。

 俺の頭を包み込んでいた朱里の腕からも力が抜かれる。

 腕を伸ばし朱里の頭を撫で、逆に朱里の頭を腕で包み込むように抱き返す。




「どうなるかは分からないけど、朱里と一緒に居ない自分ってのが想像出来ないんだよな。」


「うんうん。」


「だから、これからもずっと一緒なんじゃないか?」


「何か漠然としてるよね。」


「ダメか?」


「ううん、秀ちゃんらしい……かな。」




 元々俺は何事も深く考え込まないタイプだし、こういう考えても結論の出ない話は明確な答えがあるわけではないので、出来るだけ断言したくないだけだ。




「そういう朱里はどうなると思うんだ?」


「うーん……」




 俺の上に乗っていた朱里は、肩から二の腕へ転げるように移動し、腕枕をするような体勢になり、二人揃って天井を見上げている。




「私も秀ちゃんと別々の私とか思い付かなかったんだけど……」


「けど……?」




 朱里が顔を俺の方へ向ける。




「うん……ふと思い付いちゃったんだよね。」


「何かあったの?」


愛美まなみ居るでしょ?」




 愛美は朱里が一番仲の良い友達。

 確か中学校の頃に転校してきた子で、高校の頃には何度か愛美の彼氏との四人で遊んだ事がある。

 目鼻立ちのはっきりとした、朱里にも負けず劣らず可愛らしい顔立ちをしている子だ。

 今は確か別の短大へ進んでどこかの事務員として就職したという話は聞いていた。




「一昨日彼氏と別れたんだって。」


「へぇ。」


「何か急だったからびっくりしたよ。」


「生活スタイルが変わったらそんなもんだろ。」


「そうなのかなぁ?でもあんなに仲が良かったのに……と思って。」




 再び朱里が俺の腕に頭を預け、二人で天井を見上げる。




「そしたら、どれだけ仲が良くても別れる事もあるんだって思って……じゃあ私と秀ちゃんでもそうなる事があるかもしれないのかな……って思っちゃって……」




 何となく言いたい事は理解出来た。




「なるほど……けど一つ重要な事が抜けてるぞ。」




 朱里は頭を二の腕に預けたまま、顔だけこちらに向けた。




「何が?」


「俺たち付き合ってないだろ?」


「あぁ、まぁそうだけど……」




 休みの日の朝から同じ布団に入って寝転がり、胸の谷間に顔を埋めたり固い抱擁を交わしたり腕枕をしたりしておいて何だが、俺と朱里はいわゆる『男女の関係』としての付き合いはしていない。

 中学や高校の頃も、俺たちが付き合っていると思い込んでいるやつが結構居たようだが、そう思っているやつは敢えて朱里に告白はして来なかったので、寧ろ朱里としては好都合だったようで一度も否定はしなかった。




「いいか朱里。」




 左腕を曲げ、朱里の頭を撫でながら諭すような口調で話し掛ける。




「俺と朱里はどういう関係だ?」


「幼馴染……だよね。」


「そう。幼馴染だ。幼馴染ってのは『幼馴染になって下さい』って始まるものじゃない。」


「うん。」


「俺たちみたいに物心付いた時から一緒に居たり、もう少し大きくなってからでもいいけど幼い頃からずっと付き合いのある関係だ。」


「そうだね。」


「そして、幼馴染の関係は、終わらせようと思って終わらせられる関係でも無い。いくら疎遠になっても幼馴染は幼馴染なんだ。」


「うんうん。」


「ところが彼氏彼女の関係は、なりたくてなるものだし、終わらせようとして終わるものだ。」




 朱里が体を起こし、また俺の頭に抱き付いてくる。




「『彼氏』と『元彼』、『彼女』と『元カノ』は同一人物だけど、関係としては途切れてるわけ。」


「すごく分かる。」




 朱里の顔が俺の頭に何度も押し付けられる。




「幼馴染の関係は無くならないんだね。」


「そういう事。」




 朱里の動きが止まる。




「ふと思ったんだけどさ。」


「何を?」




 朱里が体を起こして俺の顔を覗き込む。

 俺は耳だけ朱里に向ける。




「幼馴染が彼氏彼女になったらどうなるの?終わらないけど終わる関係?矛盾するよ?」


「どんな哲学だよ。」


「だって秀ちゃんが言った事をまとめたらそういう事でしょ?」




 俺は朱里の後頭部に手を添えて自分の胸元に引き寄せた。

 ぽふんっと頭を俺の胸の上に落とす朱里。




「まず、『終わる』って言っても可能性の話だからな。彼氏彼女になったら終わるっていうわけじゃないぞ。」


「それは分かってるけど……」


「仮に、彼氏彼女が終わるとしてもその関係が解消されるだけで幼馴染の関係は解消されないだろ?」


「うん。」


「そういう事だよ。」




 朱里は俺の胸の上に顎をついた。




「幼馴染って最強じゃない?」


「朱里……それ痛いから止めて。」


「あぁごめん。」




 俺の胸から顎を離すと、顎を置いていた位置に頬を乗せた。

 胸の上で横向きに置かれた朱里の頭を撫でる。

 頭から首へ、首から肩へ、朱里の形をなぞるように撫でていく。

 心地良さそうに、それでいて時折小さく息を漏らす朱里。


 突然朱里が体を起こし、寝起きの時のように俺の体の上に乗ってきた。




「どうした?」




 朱里はさっきと同じように、大きく開いたパジャマの胸元に膨らみを寄せて谷間を俺の目の前に見せ付けると、俺の顔にその谷間を押し付けてきた。




「むぐっ!」


「『このまま』でしょ?」




 朱里の体を少し浮かし、胸の谷間から顔を離して朱里の顔を見た。

 少し照れたような、それでいて今の状況を心底楽しんでいるような、そんな表情。

 となれば俺もさっきと同様に、胸の谷間に鼻を潜り込ませ、柔らかい二つの膨らみに顔を埋め、朱里の背中に腕を回して抱き締める。




「んふっ……」




 朱里が吐息を漏らす。

 俺は谷間に鼻を押し付けながら奥へ進み、鼻が胸骨に届いたところで胸の間に唇を押し付けた。




「私は秀ちゃんと『このまま』がいいな。」


「あぁそうだな。」


「あ……でも、ちょっとずつ進化するのもいいかな。」




 朱里は体を浮かすとパジャマの前を止めてあるボタンを上から順番に一つずつ外していく。

 全てのボタンが外されると、大きく形の良い二つの膨らみが露わになり、俺の目の前に晒された。

 開放された二つの膨らみが、再び顔に押し付けられる。

 若干の息苦しさを感じながら、俺はその柔らかい膨らみに唇を這わせていた。




「これが進化?」


「不満?」


「とんでもない。」


「どんなに進化しても……」




 朱里の背中を抱いていた手が、パジャマの中に潜り込み素肌の背中を撫でる。




「私と秀ちゃんは幼馴染だから……」




 胸の膨らみを這う唇は、鎖骨を通り首筋を迷走する。




「私と秀ちゃんは……ずっと一緒……」




 朱里の唇から甘美な吐息が漏れる。




 俺と朱里は幼馴染だ。

 物心付いた時から始まっていた『幼馴染』という関係。

 終わりと思ったとしても決して終わらない『幼馴染』という関係。

 どんな形に進化したとしても、『幼馴染』という関係は終わらない。

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