掃き溜めエッセイ

金澤流都

病院すごいぜ!

 わたしは中学のころに保健室登校になり、高校に入って心療内科のお世話になり始めて、結局高校を中退した。もうすぐ31歳の現在でもガボガボ薬を飲んでいる。病名を宣告されたわけではないが、症状や薬の名前でググるとだいたい統合失調と出てくる。なので完全なる子供部屋おばさんだし、まともな職に就いたこともほとんどない。


 しかし心療内科は特に面白いところではないし、心療内科のドクターも小柄な芋●坂係長といった感じで面白い言動は特にない。統合失調の症状はもう疲れていなければどうということもないし、ここではそれについて長々と書く気はない。


 このエッセイでは、病院で面白かったことを書こうと思う。もちろん病院は陰気臭くて好きじゃないし、注射器が出てくれば「ひぃ」となる。だけれど、わたしはいままでいろいろと面白いお医者様のお世話になっているので、それについて書こうと思う。



 小学生のころ、蓄膿症や中耳炎でよく耳鼻科のお世話になった。それがきっかけで、わたしの脳みそのどこかで「耳が痛いと言えば仕事中の母氏を呼び出して耳鼻科に行ってプール授業をサボれる」という認識がされてしまったらしく、パブロフの犬並みにプール授業前に耳が痛くなって保健室に駆け込み、母氏に電話をかけて耳鼻科に行って、耳鼻科のドクターに「水泳に最適な耳だね」というお墨付きをもらって、家に帰ってぐうたらするというサボり技を手に入れてしまった。


 小さいころからしょっちゅう中耳炎になっていたので、母氏も耳が痛いと言われると迎えに来ざるを得なかったらしい。親心の隙をついた非道な犯行である。


 その耳鼻科に、二十代の頭くらいのころまたお世話になることになった。病名は左耳の耳管開放症である。大昔有名なミュージシャンが両耳かかって活動を停止したアレだ。


 この病気の症状は、「耳が抜ける」というものである。耳がカスカスするというか、耳が空中分解するというか、とにかく耳が変なのである。自分の声がこもって聞こえたりもする。最初はそんなに気にしていなかったのだが、流石に長く続いて不愉快になって耳鼻科に向かった。


 十代後半のころ、わたしはコスプレイヤーになりたくて、すごいダイエットを決行した。なんと9キロ近く体重を落としたのである。そもそも十代後半というのはたいていの田舎脚を気にする女の子が痩せる年頃なわけだが、どうやらそのすごいダイエットのせいで、耳の管が痩せてしまって耳管開放症にかかったらしいのである。


 耳鼻科のドクターは、いろいろと検査してのち、グラフを二枚取り出した。

「こっちはちょっと古いけど小学生のころの元気な耳のグラフ。こっちはきょうのグラフ」

 そう言って見せられたグラフは、小学生のころはきれいな線だったが、耳管開放症のグラフは線がガタガタになっていた。まさかあの「水泳に最適な耳だね」が伏線だったとは。ミスリードもいいところである。


 治療法としては、ひたすら漢方薬を飲むか、大学病院で耳にシリコンを盛る大手術をするか、と言われた。当然ながら漢方薬を選択した。


 その漢方薬は食前にお湯に溶かして飲むのだが、おいしくないシイタケ昆布みたいな味がして、食事の味が台無しになるのだった。しばらくその薬を出してもらって耳鼻科に通ったのだが、耳鼻科のドクターはとてもユーモアと好奇心にあふれたお医者様で、

「あの薬どういう味するの?」と訊いてきた。それ医者が患者に訊くことか。


 けっこう長いことその漢方薬を飲み続けたが、結局耳鼻科にしょっちゅう行くのがしんどくて途中で諦めてしまった。だが年齢がおばさんに近づくにつれて体重が戻ってきて、いまはあまりひどい症状はない。後遺症みたいに耳がベコベコ言うことはときどきあるのだが、それを心配して耳鼻科に行っても、「ううーんこれはあの薬(おいしくないシイタケ昆布味の漢方薬)が効く症状じゃないしなあ……耳が乾いてるんだ。湿ってるなら切開すれば一発なんだけどなあ」とドクターに言われて、「とりあえず耳垢取ろうか」と言われて耳の奥にこびりついてキャラメル色になった耳垢をつまみ出され、「アレルギー性鼻炎みたいだからその薬出します」と言われて鼻炎の薬を出されるだけである。そしてアレルギーの薬は高いのである。


 そういうわけで、いまもときどき耳がベコベコ言うのを我慢しながら暮らしている。



 面白いのは耳鼻科のドクターだけではない。

 ある日ソフトキャンディをもぐもぐしていたら、銀歯がポロリととれた。もう一年以上歯医者さんに行っていなかったので、しょうがなく歯医者さんを予約して、歯石をとられたりしつつ、銀歯がハマるまで頑張って通った。


 そして銀歯がハマって帰ってきて数日も経たぬうちに、別の銀歯がポロリとおいきなされたのである。ショックである。奇跡的に銀歯を噛まなかったので、それはそのままぽこりとつけてもらえた。


 その数日後、またしても別の銀歯がとれた。三連打である。三段ロケットである。三段リーグである。シルヴィー・バルタンである。銀歯に王手をかけてどうする。


 歯医者さんいわく、「あちこち取れてくるのは治療から同じくらい時間がたってるからだと思う。次取れたら新しいの作ったほうがいい」とのことであった。


 で。

 この歯医者さん、「痛かったら言ってくださいねー」と助手の人に言われるのだが、しかし口にマシンを突っ込まれた状態でどうやって痛いと言えばいいのか。よく「手を上げてください」というのはあるが、果たしてそれで通じるか分からないので、歯石を取られているあいだ(あぁ……歯茎が痛い……でもどうやって言えばいいんだろ……)となるのである。


 そして、診察のときドクターは素手なのだが、お昼過ぎに歯医者さんに行って口に指を突っ込まれて、(あぁ……ドクターのお昼ご飯、たぶん煮魚定食だ……)と思うなどした。


 この歯医者さんは家からリアルに三軒隣で、小さいころから通っているのだが、事務をやっているドクターの奥さんが、この30のおばさんを「ちゃん」付けで呼んでくる。恥ずかしいのでやめてください、と言ったが、次に行くまで覚えていてくれるだろうか。



 最近いちばん面白かったのは、頻尿が気になって行った泌尿器科である。


 近くの映画館でジ●リの昔のやつをやる、そのラインナップにナ●シカがあると知ってわたしは狂喜した。ナ●シカはジ●リの映画でいちばん好きなやつなのである。

 しかしわたしには心配なことがあった。トイレが近いのである。金ローを見ていても、CMの二回に一回はトイレに行く。もちろんなにか飲んだりしているからというのもありそうだが、しかしトイレが近いのでは二時間の上映時間の間トイレに行かずに耐えられるか自信がない。


 母氏にそれを言うと、「泌尿器科行ってきなよ」と言われ、わたしはトイレを一回我慢して泌尿器科に向かった。


 泌尿器科に到着するころには尿意の高まりを感じており、これなら検尿も一発だなと余裕しゃくしゃくであった。到着して問診票を書き、検尿の紙コップを渡された。


 で、さっそく検尿用のトイレに入り、尿を取ろうとした。尿意はかなり高まっている。しかし出ない。わたしの頭をよぎったのは、子供のころからずっと、知らないところで検尿すると言われるとほぼほぼ出なくなってしまうことだった。行き慣れた内科で検尿したときは水をもらってどうにか出した。保険加入のための検査で保険屋さんのトイレで頑張ったときもどうにか出た。


 しかし初めてきた泌尿器科のトイレで、尿意はあるのに何も出ないという状態に陥ったのである。


 自販機でアイスコーヒーを買ってぐびぐびぐびーっと飲み、尿意は完全にMAXになった。トイレに行きたい。できれば家の。でも検尿はどう頑張っても出ない。


 それを看護師さんに訴えると、「奥の静かなトイレ使う?」と提案され、奥にある入院用の静かなトイレを貸してもらえた。そこで歌なんぞ歌いつつ頑張ったが、尿意はマッ●マックス怒りのデス・ロード状態なのに、一滴も出ない。


 あまりに出なすぎて涙が出た。涙腺から出てほしいんじゃない尿道から出てほしいんだ。そう思いつつ、どうしても出ませんごめんなさいと看護師さんに謝ると、「じゃあカテーテルで取ろうか?」ということになって、「それでお願いしますサクッとやってください」と頭を下げた。頻尿で来たはずなのになにも出ないとはどういうことなんだろうと自分でも悲しかった。


 診察室に入るとベッドに横になるよう言われ、エコーをかけられながら尿道にカテーテルを突っ込まれた。それなりに痛かったがそんなことよりエコーが面白かった。


「膀胱は満タンだ」と泌尿器科のドクターは言った。そこにはわたしの膀胱が映し出されていた。それはまさに人体解剖図で見る膀胱の形で、カテーテルで尿をとられていくうちにそれはしゅるしゅると縮んだ。取られた尿を見せてもらったがすごい量だった。


 検査の結果、どこも悪くないと言われてしまった。可能性があるとしたら過活動膀胱だそうだが、その薬を出してしまうと今度はなんも出なくなる可能性があるらしい。そういうわけで、「気のせい」認定をされてしまった。


 気のせい認定をされることはそう珍しいことではない。二十代なかば、体があちこち痛むので近くの病院で検査したがどこも悪くなかった。どうせそんなところだろうよとは思っていた。


 しかしカテーテルを使ったせいで、「気のせい」のわりには多めのお金を支払うことになってしまった。安心料だと思うことにしたが、そのお金があればもう一回ナ●シカを見に行けたことを思うと、なんともしょんぼりすることだった。


 そういうわけで、映画館でナ●シカを観て、涙腺から液体を分泌しつつ尿道から出たがるものをこらえることになってしまった。どうにか最後まで漏らさずに済んだが、映画館は歴史ある名画座というやつなのでトイレがぼろかった。

 ちなみに劇場で観るナ●シカは最高だった。大画面大音量のナウシカはすごすぎて圧巻だった。テレビではカットされがちな「わしゃギックリ腰」が聞けてとても嬉しかった。ノーカットCMなしの映画というのはすごいなあとしみじみ思ったのであった。



 病院というところは、おおむね陰気で嫌なところであるというのは最初に書いた通りである。


 しかし、体を悪くして、病院に行って病名がついて薬の出たときの安心感や、どこも悪くない、気のせい、と言ってもらえたときの安心感は、もう心配することがないのだ、というやすらぎがあると思う。


 安心する、というのはとても大事だ。どこか体が悪いときに「安心」があるのは大事である。……でも、しばらく病院のお世話にはなりたくない。

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