8 会いに来たJS、をからかう君原莉々
7月下旬。
大学がテスト期間に移行して、私は勉強のために、ななちゃんとおしゃべりする時間を減らしていた。
ななちゃんも理解のある子で、寂しそうにしながらもすんなりと了承してくれた。
私自身、誰か特定の人との距離が遠ざかることに特段の感情も抱かない人間だ。
むしろ、誰かと一緒にいつづけるのは苦痛にすら思うかもしれない。とはいえ、そんな経験はないから想像の話だけれども。
そんな私が、ふとした瞬間にななちゃんの顔を思い出し、あまつさえ、会いたいなあ……、だなんて思うはずがない。
などと自信半分、いや三分の一程度で考えていても、現実の私は、もはや私が自覚している私から変わってしまっていたらしい。
つまるところ、早くななちゃんに会って彼女の笑顔を拝みたくてしょうがないのだ。
「莉々くん、私は怖いんだよ」
「なにが」
莉々が首を捻り、ポカンとする。
前期すべての試験が終わり、私と莉々は学食で昼食をとっていた。
「私がね、私の知ってる私じゃなくなってきているのだよ」
「あー、そりゃ怖いよね、まさか自分がロリコ――」
「おっとスマホに電話が!」
莉々の言葉を遮り、テーブルに置いていたスマホを大袈裟な動作で覗き見る。
なんかジト目が刺さるけど気づかないフリをしよう。
スマホの画面にはななママの文字。
即座に通話ボタンを押す。が、聞こえてきたのはななちゃんの声だった。
『あっ、おね、お姉ちゃん? どこにいるの? 大学広すぎだし人いっぱいだしわかんないよー』
「えっ、何、どういうこと?」
『お姉ちゃんに会いにきちゃったの、でも迷子だよー』
「うわ、大事件じゃん」
ちらと莉々に目配せをする。
莉々はテーブルに両肘をついて、気怠そうに頬杖をついていた。
『動かない方がいいかなあ……お姉ちゃん?」
「いま周りに何がある? どんなところ?」
『うーんとね、階段がある』
階段かー、階段はそこら中にあるぞ。
「外にいるの?」
『うん、外だよ』
「建物につながってる階段?」
『ううん、違う」
うちの大学は敷地内に高低差があるため、エリアごとにいくつか階段がある。
そこをあたっていけば見つかるか。
「じゃあ動かずに待っててね、すぐに迎えに行くから」
『うん、待ってる』
電話を切り、私は莉々を一瞥して腰を上げた。
「ごめん莉々、今からななちゃんの保護に向かう」
「何言ってんの」
「いやあ、ななちゃんがここに来てるみたいでさ、迷子になってるから迎えに行ってくる」
すると、莉々は興味のなさそうな声の調子で「ほーん」と漏らし、宙に視線を泳がせた。
「ななちゃん、意外とアグレッシブ」
「ほんと、びっくり。前はお出かけしようって誘っても嫌がってたのに……小学校は夏休み中だし、外出の引目とかなくなったのかな?」
「それは知らんけど……私も行く」
莉々が立ち上がり、目に妖しい光を宿す。
何か企んでやがるな、こいつ。
ななちゃんを探し始め、ものの一分ほどで見つかった。
私の姿を視認するや、ななちゃんは遠くから全速力で駆けてきた。
突進する勢いで抱きついてくるななちゃんを全身で受け止める。
腕の中で、ななちゃんが私を見上げて嬉しそうに微笑む。
「ゆーかお姉ちゃんだー、よかったあ」
「大学まで迷わなかった?」
「うん、電車に乗って、降りたらすぐだったもん」
「そっかそっか、よく来たねえ」
私はななちゃんに会えた嬉しさのあまり、彼女の頭をわしゃわしゃと少々乱暴に撫でてしまった。
「えへへへへ、髪の毛がくちゃくちゃになるよー」
「はッ、ごめん、つい」
謝りつつ、ななちゃんの髪の毛を手櫛で整える。
ななちゃんはそれが心地よさそうに目を細めた。
はあ、癒される。試験期間に荒みに荒んだ私の心が癒されていく。
そんなやり取りをしているところへ、私の背後から声がかけられた。
「おーい、莉々様がここにいることを忘れないでおくれ」
振り返って「いたのか」と言うと、莉々はしくしくと嘘泣きを始めた。
面倒だから放っておこう。
ななちゃんに顔を向け直す。
しかしななちゃんはというと、いつの間にか私の服の裾を両手できゅっと掴み、私の背後の莉々を真剣な眼差しで見つめていた。
というよりも、睨んでるのか、この目は。
「この人だ、ライバル……」
小声でそう漏らすななちゃん。
おお、ロックオンだよ莉々さん。知ーらない。
ななちゃんの声が聞こえたのかどうなのか、莉々が嘘泣きを止めてパッと顔を上げる。
「ななちゃん初めまして。優花の唯一の友達です。親友です。君原莉々様です」
へー、私たちって親友だったんだ、知らなかった。
というかなんか『唯一の』ってえらく強調してなかった? 気のせい?
ななちゃんが右手を高々と挙げ、一歩莉々に近づく。
「初めまして、古渡ななです。お姉ちゃんにぎゅーされたことがあります」
あれ、なんかおかしくない? 自己紹介がなんかおかしくない?
ほら莉々が悲しそうな目で私を見てくるんだけど。
「残念だよ、優花。まさか友人を通報しなきゃいけないなんて」
「ちょっと待ってください違うんです!」
「ほう、説明してもらおうか」
「だだだって、ななちゃんが脚の間に座るからさ、後ろからこう……後ろから支えただけだよ」
ジェスチャーを交えて必死に弁解する。
莉々は眉をひそめ、不思議そうに首を傾げた。
なんだよその反応は! 何か言いなさいよ!
すると、ななちゃんが勝気な表情で口を開く。
「その通りです。お姉ちゃんはただ、私のことを大好きなだけなんです」
おおおい援護射撃のつもりかもしれないけど、それ私の脳天ぶち抜いてませんか!
莉々が腕を組み、深いため息をつく。
「やはりロリコンだったか」
「ろりこん……?」
ななちゃんが純粋な瞳を私に向ける。
知りません、私はそんな言葉知りません!
莉々が「ふふ、莉々様が教えてあげましょう」と言い、ななちゃんに近寄ってそっと耳打ちをした。
瞬間、ななちゃんは顔を紅潮させ、しかしその瞳はキラキラと輝き出していた。
「お姉ちゃん……嬉しい……」
そんな純粋な瞳で見ないで! いたたまれないのよ!
莉々も莉々だよ、こいつ完全に楽しんでやがる。
人で遊ぶんじゃないよまったく!
「あはは、ななちゃんのことがなんとなくわかったよ。別にななちゃんから優花を奪うつもりはないから安心して」
「はい、お姉ちゃんがろりこんだって教えてくれたので、莉々さまは良い人です」
良い人判定が雑だなあ!
あと私はロリコンじゃない!
というか莉々"さま" ってななちゃん、そこは莉々にならわなくてもいいのよ……。
「ななちゃんは物分かりの良いかしこい子だ」
そう言って、莉々がななちゃんの頭を撫でようと手を伸ばす。
しかしななちゃんは、それをサッとかわした。
「私によしよししていいのはお姉ちゃんだけです」
両手で頭をおさえてキッパリ言うななちゃんと、伸ばした手の行き場に困る莉々。
思わず笑いが漏れてしまう。
「笑わないで、慰めて」
あれ、ほんとに涙目になってない? 意外と打たれ弱いなこの人。
仕方がないから、莉々の肩をポンポンと叩いてやる。
「あーはいはい、残念だったね」
「ぎゅってして」
「アホか」
帰りの電車の中。
吊り革につかまる私の腰に、ななちゃんが腕を回して張り付いている。
「えへへ、お姉ちゃんの匂い久しぶり」
「ななちゃん、暑い……」
「え? クーラー効いてて涼しいよ?」
うーん、恥ずかしいから離れてって意味なんだけどなあ、通じないか。かと言って直接的には言えない。
耐え忍ぶしかないのか。
「お姉ちゃんお姉ちゃん、明日から夏休み?」
「そうだよー」
「いつまで?」
「九月いっぱい」
「すご、二ヶ月も夏休み?」
「そうだよ」
「だったら二ヶ月は私とずーっと一緒にいられるね」
「そうねえ」
「莉々さまと遊んだりする予定あるの?」
「ないない、私も莉々もそんなタイプじゃないから」
「確かに、今までのお休みの日とかもお姉ちゃんはほとんどおうちにいたもんね」
「さすが、よく知ってるね」
「うん、お姉ちゃんの独り言を聞くのが唯一の趣味だったから」
どんな趣味だ。
「私、ゆーかお姉ちゃんともっと仲良くなる。莉々さまよりも」
「アレを目標にするのは志が低いと言わざるをえない」
「親友なんじゃないの?」
ななちゃんに問われ、私は先ほどの莉々の言葉を思い返した。
「あーあれね、私も初耳だったわ」
私の返答に、ななちゃんがクスクスと笑う。
「莉々さまの片想いじゃん。私とお姉ちゃんは両想いだから、私の勝ち」
「いやいや、あの人ななちゃんをからかってただけだよ。妬かせようとしてたのよ」
ななちゃんが「えっ」と予想外だと言いたげに目を丸くする。
「まんまとムキになってたね」
「ぐぬぬ、やっぱり敵だったか」
静かに闘志を燃やすななちゃん。
ごめんよ莉々。余計なことをして、ちょっと面白くしちゃった。
こうして、ななちゃんと莉々の出会いは無事果たされたのだった。
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