5 手繋ぎリベンジ、そしてご対面②


 うーむ、来ない。

 リビングでソワソワしながらななちゃんを待っているのだが、十五分経っても一向に来ない。

 準備といっても、マンションのお隣同士の行き来でそんなに時間がかかるだろうか。

 それからさらに五分経過する。

 私は何気なく、ドアホンのカメラをつけてみた。


「いるじゃん……」

 

 いるじゃないか、そこに、ななちゃんが! ドアの前でうろうろもじもじしているななちゃんが!


「しょうがないからちょっと観察しよう」


 独り言ちて、画面をじっと凝視する。

 丁度ドアの真ん前で、ななちゃんが顔を俯けている。顔をあげ、肩上で切り揃えられた黒髪が揺れる。

 はじめてしっかり見るななちゃんの顔。

 年相応に幼いが、端正な顔立ちだ。うん、かわいい。じんわり赤らんだ頬が柔らかそう、むにむにしたい。

 ぱちぱちと忙しなく瞬きをしては、チラとあっちを向いて、またこっちを向いて。


 しばらくそうして観察した後、私はようやくこちらから出迎えにいくことにした。

 玄関に向かい、カギを開け、ドアをゆっくりと開く。

 そこには、驚きに目をみはったななちゃんがいた。


「いらっしゃい、ななちゃん」


 努めて笑顔で声をかける。

 するとななちゃんは、口を半開きにさせて、こくりと頷いた。

 何だか分からないが、思わず笑いがこぼれてしまう。


「何その反応」

「心臓が、口から、出た」

「出てないよ。大丈夫だよ」

「そ、それじゃあ私はこれで。ま、またねー」


 そう言って、ななちゃんが私に背中を向けて立ち去ろうとする。

 私は即座に、ななちゃんの手首をつかんで引き留めた。


「まあまあ、一旦うちにあがりなさい」

「やだ、心臓がつぶれてしんじゃう!」

「大丈夫大丈夫、一旦、ね?」

「一旦やだ! 一旦しぬ!」


 ななちゃんが泣きそうな声を出す。なんだかなあ、悪いことをしている気分になってきたよ。

 と、その時、ななちゃんのおうちのドアが開き、ななママが顔を覗かせた。

 ニコニコ笑顔のななママが外に出てくる。

 そして無言のまま、両手でグイっと何かを引っ張るようなジェスチャーをしてから、コクコクと首を縦に振って、スタコラと中に戻っていった。

 

 おお、神の啓示だ!


 抵抗するななちゃんの手首を軽く引っ張る。

 「お母さんの裏切り者ぉ……」と嘆くななちゃんを引いて中に入り、私は家のドアを閉めた。


「はい、ななちゃんいらっしゃい」

「うー、十秒待って、十秒」


 ななちゃんが両手で覆った顔を俯け、十秒後、パッと勢いよく顔をもたげる。

 私を見上げるななちゃんは、瞳をうるうるとさせ、また顔を下に向けた。


「えへへ、ゆーかお姉ちゃんだ……」

「そろそろ落ち着いた?」

「全然!」


 全然かー。


「ななちゃん、本当に嫌だったら無理しなくていいからね。無理やり連れ込んでおいてなんだけど」

「イヤなわけないでしょ、もー」


 むくれた声音なのに、表情は確かに緩みきっている。


「あ、なんかごめん」

「ただちょーっと、ちょーっとだけ、緊張してるというか……」

「まあいいや、ほら靴脱いであがりな」

「う、うん……おじゃまします」


 ななちゃんが恐る恐るうちに上がる。そんなななちゃんを連れて自室に向かうと、ななちゃんは瞳を煌めかせて嘆息をついた。


「お姉ちゃんの匂いだー」

「えっ……良い匂い?」

「良い匂い!」

「よかった……」


 ふう、ドキッとしちゃったよ、まったく。

 安堵する私を見て、ななちゃんが可笑しそうにクスクスと笑う。

 ななちゃんの透き通る声が部屋に広がると、なんだかくすぐったいような気持ちになる。不思議な感覚だ。


 それから、ななちゃんの緊張がほぐれるまでに時間はかからなかった。

 一時間後、ベッドに座る私の脚の間に、ななちゃんは私に背中を預けて座っていた。

 両腕で軽くななちゃんの身体を抱きながら考える。

 手を握るだけであんなに恥ずかしがっていた子が、えらく早くにこうも慣れたものだなあ。


 いやまあ、私としては嬉しいですけどね。


 ななちゃんが私の髪の毛を肩に垂らして、指先でクルクルと弄んでいる。


「お姉ちゃんって、髪の毛染めたりしないの?」

「んー? そうねー、面倒だからね」


 私の返答に、ななちゃんが嬉しそうに何度も頷く。


「うんうん、それがいい」

「なに、染めて欲しくないの?」

「うん、お姉ちゃんの黒い髪の毛が好き。綺麗」

「そっかあ。私もななちゃんの髪好きだよ」


 そう言って、ななちゃんの頭にそっと手を乗っける。

 ななちゃんが身じろぎをして、照れ臭そうに肩をすくめた。


「えへへ、もっと言って」

「そう言われると言いたくなくなるわ」

「えー、なにそれいじわる」


 私の太ももを、ななちゃんがバシバシと叩く。

 抗議が痛い。太ももが痛い。結構強めに叩いてるでしょ。


「ごめんごめん、冗談だからそれやめて、痛い」

「じゃあ私のこと好きって言って」


 あれ? 話がズレてませんか? 

 私はななちゃんの髪の毛を好きだと言ったはずなんですけど。


「ねーえー、言ってー」


 尚も容赦なくバシバシ叩いてくる。

 しょうがないなあ、もう。


「はいはい、好き好き」


 即座にななちゃんの攻撃が止む。ふう、私の太ももは守られたぞ。

 不意に、「適当に言えば済むと思ってるでしょ?」という言葉とともにななちゃんが振り返った。

 真っ黒で大きな瞳に引き込まれそうになる。

 それはそれとして、指摘されたことが図星すぎて否定する気にもならないわ。


「あ、はい、ごめんなさい」


 私が謝るのをよそに、ななちゃんは顔を紅潮させて目を伏せた。


「顔ちか……」


 自分で振り向いたんでしょうが。

 よし、おちょくってやろう。

 私はななちゃんの顔を両手で掴み、より一層顔を接近させた。


「近いねえ」


 目を泳がせて、動揺をみせるななちゃん。

 ふふ、私の勝ちだ! 何が勝ちなのかは知らないけど。


 震える手で私の両手を取って下ろしたななちゃんは、ゆっくりと前を向いた。


「お姉ちゃんが、私をころそうとする」

「してません」

「叩いてごめんなさい」


 ななちゃんの手が私の太ももをさする。くすぐったいな。


「お姉ちゃんのここは、私の特等席です」

「まあ……他にこんなことしてあげる人なんていないわ」

「言ったからね、お姉ちゃんを触っていいのは私だけです」

「ん? あれ?」

「はい、ゆびきりげんまん」


 おかしいなあ、なんか無理やりに小指を絡められたぞ。言ってることも変わってるしね!


「嘘ついたら……嘘ついたら……私の言うことなんでも聞くこと!」


 勝手に決まっていくぞ。なんだこれ。

 いや、黙ってる私もアレだけどさ。

 ななちゃんはそのまま、私の手をきゅっと握り込んでしまった。


「ふふん、もう手を繋ぐくらいよゆーだよ」

「わーななちゃんすごい」


 実際に面と向かったことで、逆に緊張がなくなったのかしら。


「そういえば、お姉ちゃんは最初から何とも思ってなさそうだったよね」

「うーん……そうかな?」

「うん、私はお喋りするだけでドキドキしてたのに。なんか悔しい」


 ななちゃんが力強く頷く。

 

「私はいつか、お姉ちゃんをドキドキさせてやりますよ」

「おー、頑張れ頑張れ」

「頑張ります!」


 ななちゃんは意気込んでいるが、果たしてそんなことが起こりうるのだろうか。

 ふむ……ないな。だって私、ななちゃんみたいな照れ屋じゃないもの。


 両拳を握りしめ、きっと来ないであろうその未来に想いを馳せるななちゃん。

 そんな彼女の体温を感じつつ、なんだかホッと心が温まるのだった。


 ななちゃんの頭にあごを乗せて息をつく。

 ななちゃんが首をグリグリと回し、あごに髪の毛が擦れる変な感触がする。


「むふふ、今日はいっぱいゆーかお姉ちゃんと仲良くなれたね」

「そうねー」


 その嬉しそうに弾む声で、心の奥が再びじんわりと温かくなる。


 それからしばらく、いつもと変わらない何気ない話を繰り返して、夕方になってななちゃんはおうちに帰っていった。



※※※※※※



「んふー、ゆーかお姉ちゃんにあんなに近づけるなんてー」


 お風呂に入りながら、考えることは勿論今日のお姉ちゃんとのことです。


「髪の毛サラサラしてたなー、いい匂いだったなー……後ろからぎゅってされちゃったし! きゃー」


 ドキドキドキドキ、今更心臓が暴れ始めます。


「うー、お姉ちゃん大好きだよー」


 その時、


「ふふ、偉大なママに感謝してちょうだいね」


 というお母さんの声が脱衣所から聞こえました。

 今度は違う意味で心臓が跳ねました。


「もー! いるならいるって言ってよ!」

「いるわよー」

「遅い! でもありがと!」

「怒りながらお礼言われてもねえ」


 お母さんの笑い声が遠くなって、ドアの閉まる音がして、聞こえなくなりました。

 はあ、お母さんが何を考えているのか、私にはよくわかりません。

 

 というか、大好きって言ったの聞かれちゃったよね。変な風に思われてないかな……。

 あれ、でもお姉ちゃんを大好きって思うのくらい普通のことか……。

 じゃあ変な風ってなんだろう?


「あれ……?」


 自分の声が浴室に響いて、私はより一層頭を抱えました。

 数秒後、「ま、いいか」と思考を放棄するまでの短い間でしたが。


「好きは好きだもんねー」

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