4 手繋ぎリベンジ、そしてご対面①
ななちゃんと出会ってから、二週間近くが経過した。
私とななちゃんの関係にあまり変わりはなく、ベランダでお喋りしたり、勉強を教えてあげたりすることを続けていた。
毎日のようにななちゃんとお喋りをしていて、気づいたことがある。それは……、
「ななちゃんってさあ、私のこと大好きだよね」
ベランダの手すりに垂れる雨水をぼんやりと見つめ、何となしに呟いた。
「うん、大好き」
当然だという力強い口調でななちゃんが答える。
その返答に、私は首を捻る。
「おかしい、いつもなら照れて大慌てなのに」
「だってゆーかお姉ちゃん、それ訊くの何回目?」
「通算七回目くらいかなあ」
「うん。ここのところ毎日きかれてるもん。そりゃ慣れるよ」
「そんじゃ手でも繋ぐ?」
「ゔっ……な、なんで」
「いやあ、ななちゃん大慌てのあの日からしばらく経ったけど、成長したかなあ、と」
ななちゃんと手を繋いで、彼女が逃げるように部屋に帰った次の日、私はななちゃんから必死な弁解を受けた。
『恥ずかしすぎてわけがわからなくなったの』と彼女は言っていた。
『ふふ、ななちゃんは子どもねえ』なんておどけて反応したものの、本当に嫌がられていたわけではないとわかって、心底安心したものだ。
それからかもしれない。はっきりと、この子にすごく懐かれているんだなあ、好かれているんだなあ、と確定的に自覚し始めたのは。
そしてそれが、まんざらでもなく嬉しい。
他者から向けられる感情にあまり興味を持たない私が、どうしてななちゃんにはこんな気持ちになるのだろう。
「成長とか関係ないと思うけど……や、やってみようかな、せっかくだし」
「おー、こいこい」
仕切り板に背中を向けてしゃがんだまま、右手を後ろに伸ばす。
隙間から向こうのベランダに手を差し込むと、ななちゃんが息をのんだ。
「お姉ちゃんの手……綺麗」
「手の品評はいいから早く手をとりなさい」
「や、やるぞー、いくぞー」
そんなに心の準備が必要かねえ。というか、これじゃあ前と同じじゃないか。
「さ、触るよ? いい?」
「私はもう待ちわびている」
「こ、これは別に照れてるとかそういうのではなくっ」
そのセリフとともに、私の手のひらにななちゃんの手が乗せられた。
私は問答無用で、すかさず十日ぶりくらいのななちゃんの手をきゅっと握った。
ななちゃんはというと、手をプルプルと震わせ、無言になってしまった。
そのまましばらくすると、ななちゃんが「ぷはっ」と息を吐いた。どうやら息をとめていたらしい。
「ついお姉ちゃんの手を堪能してしまった」
ななちゃんの発言に、思わず笑ってしまう。
「え、今何て?」
「ついお姉ちゃんの手を堪能してしまった」
「堪能されっちゃったかあ」
「うん。前はね、手の感触とか温もりとか、ドキドキしすぎて何も覚えてなかったの。でも今は、ちゃんと……」
「もうドキドキしないの?」
「すごくしてる!」
「ドキドキはするのか」
「うん。バクバクバクだよ」
バクバクバクなのかあ。
ななちゃんが、握る手とは反対の手で、私の手の甲をさすり始める。
ななちゃんの手のひら、すべすべしてるなあ。なんとも言えない気持ちよさ。
ななちゃんが、どこか夢見心地な声を漏らす。
「ふおー、ずっと繋いでたいー、幸せー」
「そうねー」
「お姉ちゃんの右手を取り外して、私にちょうだい。左手でもいいよ」
笑いまじりに、「やだよ」と答える。
「じゃあお姉ちゃんの全身ちょうだい」
「うーん……しょうがないな」
「えっ、ほんとに?」
「うん。どうせ恥ずかしがって手を握るのがやっとでしょうからね、いいですよ」
「確かにそうかも! じゃあ透明な箱に入れてお部屋に飾ろっと」
「ええ……それは勘弁してください」
「えへへ、冗談だよー」
本当かなあ、ななちゃん怖いなあ。
「ところでななちゃん、今日は勉強しないの?」
「雨降ってるもん。風が吹いたらノートとか濡れちゃう」
外は結構な大雨。厚い雨雲を見上げて、「それもそうか」と言う。
その時だった。仕切り板の向こうで窓の開く音がしたと思ったら、
「あら、だったら優花さんをうちに呼べば? 家の中ですればいいじゃない」
という声がした。ななちゃんのお母さんの声だ。
私は慌てて、ななちゃんと繋いだ手を振りほどいた。隙間から向こうを覗くと、ななちゃんも慌てた様子で腰をあげた。
「ムリムリムリムリ、変なこと言わないでお母さん!」
「なんでよ、いつも嬉しそうに優花さんのこと話してるじゃない。ムリとか失礼なこと言わないの」
「今日は日曜日だからお勉強はお休みの日! はいもうこの話おしまい!」
そこまで必死に拒否されると、なんだか悲しい。
しかしまあ、拒否する理由は例によって恥ずかしいから、なのだろうけど。
「勉強はお休みでもいいけど、せっかくだからこっちに来てもらいなさいな。いつまでもベランダなんかで話して……ねえ、優花さん?」
こっちにきた! え、コレに何と答えるのが正解なの?
よし、考えるのをやめて流れに身を任せよう。
「え、ええと……それもそうですね!」
より大きい流れに乗るのが楽だからね。すなわち、ななちゃんのお母さんに乗るのが最善だ!
ななちゃんが「お姉ちゃん!?」と驚きの声を出す。ごめんよ、ななちゃん。
「ほーら、なな、諦めなさい」
「やだあ……うーん、うー……」
「なな、あなた優花さんと仲良くなりたいんでしょう?」
「うー、もう仲良しだもん」
「いいえ、まだまだよ。見なさい! その仕切りが示すのは心の壁なのよ! それを取っ払わずしてなにが仲良しよ!」
ななちゃんのお母さんが、声に熱を込めてそう言った。ここからだとななママの姿は見えないが、ビシッと衝立を指さしている姿が目に浮かぶ。このお母さん、面白いな。
こみ上げてくる笑いを必死にこらえる。やばい、ツボに入ったかもしれない。よく分からないけど、なんか肋骨が痛くなってきた。
「はッ、そうか、『非常時にはこれを破る』。そういうこと……」
ななちゃんの発言に笑いが引っ込む。
「こらこら、違うからそれはやめなさい」
私は瞬時に否定した。
すると、ななちゃんはクスクスと可笑しそうに笑った。
「さすがに冗談だよ」
「まったくもう。それで、結局ななちゃんはどうするの?」
「むう、お姉ちゃんはどうしたい?」
逆に訊かれ、はたと考える。ななママの言うことももっともかもしれない。
私はななちゃんと……。
「私はもっと、ななちゃんと仲良くなりたいな」
「ななななっ、お姉ちゃんがそんなこと言ってくれるなんて……! 会う会う会う!」
うわ、ななちゃんめっちゃ単純! そこもかわいいけど。
ななちゃんがその後すぐに言葉を続ける。
「ただし、私のおうちじゃなくて、お姉ちゃんのお部屋で」
えっ? えーっと、それってさあ、
「あのー、今うちに私だけしかいないんですけど、私、女児誘拐とかで捕まりませんよね?」
「大丈夫よ、優花さん。ここに保護者の承諾を進呈するわ。なんなら紙にサインしてもいいよ」
ななママぁ、なんて心強いんだ……。
「そ、それじゃ、ちょっと準備してくるから待っててね、お姉ちゃん」
「うん、待ってる」
ななちゃんの声に緊張の色が混じっているのがわかる。かわいいなあ、まったく。
ななちゃんが部屋に戻ると、まだベランダに残っていたななママが衝立の方に近づいてくる足音が聞こえた。
そして、まるでななちゃんのように、壁と衝立の隙間に顔を寄せ、右目でこちらを覗いてきた。
「優花さん、いつもありがとう」
「いえいえそんな、私もすごく楽しいので」
「そっか。あの子、自分から進んで勉強はするけど、いつも寂しそうな顔してたから、正直なんとか学校に行って周囲とうまくやってほしいって考えたんだけどねえ。でも今のあの子の生き生きした表情見てたら、学校じゃなくてもよかったんだって思うわ。ね、優花さん」
ななママがニコリと微笑む。
私には、ななちゃんにとって何が本当に正解なのかは分からない。学校でしか得られないことだってたくさんある。
でも、おそらく今のななちゃんには私が必要なのだろう、ということだけは自覚している。
そんなことを考えていると、ななちゃんがまたベランダに顔を出した。
「お母さんこっちきて、髪の毛キレイにして。あっ、それとあんまりお姉ちゃんと仲良くしすぎないでよ」
「はいはい、今行くから」
ななママは私に「それじゃあね」とだけ言って、ななちゃんを追って中に入っていった。
ひとり残された私は、遠くの景色を眺めながら考える。そして、小声でつぶやく。
「ふむ……ななちゃん、お母さんにヤキモチですか」
自然と、心地の良い笑いがこぼれた。
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