5.「帰れない夜」

 警察署に来るのは先週の事件ぶりだった。

 あの時は「事件を解決した功労者」としてお呼ばれしたのだし、加鹿さん他の仲間達が一緒だったので心強かったのだが……今日はそうではない、この建物内にはオレの仲間と呼べる人は一人もいない。


 部屋に入ると、大勢の大人に囲まれている菱川なぎさがいた。

 菱川の横にいるのは何度か挨拶した男性マネージャーで、その周りは刑事さん達か……


「またアナタですか……2週連続でこんな事件に首をつっこむだなんて、アナタこそが疫病神なんじゃないですか?」

「先輩、相手はまだ高校生ですよ。無闇矢鱈むやみやたらに喧嘩を売らないでください。」


 話しかけてきた二人組の刑事は、先週にも小言をネチネチ言われた二人だ。一人は前髪が短い30歳くらいの長身女性で、とにかく高圧的な態度で押してくる。もう一人はキッチリ横分けの平べったい顔の男性で、先輩の態度をたしなめはするも傷つけられた一般人にはフォローなんてしない。


 名前は……何だっけ。忘れた。

 元々オレは警察があまり好きではなかったが、この二人に出会ったことで尚更に嫌いになってしまった。



 さて、菱川だ。

 この菱川はだ? 事件の直後は泣き散らしていた彼女だが、その後は多少落ち着いたみたいで、今はどっちかというと「自分があった被害を説明させられた」ことによる疲弊ひへいが大きいように思える。


 オレもついさっきまで別室で、起こった事件を事細かに説明させられていた。同じことを菱川もさせられていたのだろう。被害にあった本人がそれを説明させられるというのはなかなかにつらいものだと思う、特に性犯罪の類のものは。


「あの……捕まった人は、どうなるんですか? あの人も、私のファンなんでしょうから見逃したりは出来ないんでしょうか?」

 菱川がトンデモナイことを言いだした。

 

「菱川、気持ちは分からなくもないが。ファンにだって越えちゃいけない一線はあるだろう。今回のは明らかに一発レッドカード退場もののファウルだよ。」

「そっか……うん、そうだよね。ゴメン。秋由くんの言う通りだね。」

「というか、秋由さんどうしてアナタが答えているんですか。アナタ、たまたま現場を通りかかった目撃証言者みたいなものなんですよ。この空間において一番発言権のない底辺の人間ですよ。自分が底辺の人間だってことを自覚して、ちょっとはつつしみを持ったらどうですか?」

 息継ぎをするくらいのペースで人を罵倒ばとうしてくるな、この刑事さん。

 あー、この人に今からの話を聞かせるのは憂鬱ゆううつだ。


「それが、ですね。どうやら今回の事件のきっかけに、オレが関わっちゃっているみたいなんですよ。」



 オレと男性マネージャーで警察の方々に経緯を説明する。

 1ヶ月前、菱川のマンションの写真と住所がインターネットで晒されたこと。その情報は拡散される前に削除されたけど、先週あたりから菱川自身が「ストーカー」に追いかけられている気がしたこと。今週、それを相談されたオレが菱川の周りを見回ったがその時には「ストーカー」はいなかったこと。


「え? ストーカーはいなかったの?」

 これは横分け刑事さんの台詞。

「ハイ、月曜から木曜の4日間だけですが、彼女の周囲やマンションの周囲ではそれらしき人は見かけませんでした。恐らくこの時点ではストーカーなんていなかったんですよ。」

 これはオレの台詞。「ストーカー」がいなかった根拠はもう一つあるのだけど、それは警察の方々に説明するのは面倒だったので省いた。ウソは言っていない。


「しかし、菱川の周りをオレが見回っていたことで、オレを尾行していれば菱川のマンションまでたどり着ける状況を作ってしまったんです。」

 これは、現在は警察署の前で待っているであろうかもめが教えてくれた話だ。数日前から誰かに見られている気がしていたと。あの公園から公園までのダッシュはそれを確かめるためで、今日もかもめはこっそりとオレの後をついてきたらしい。「それを準稀に教えたら尾行してるヤツにもすぐに気付かれるじゃんって思ったんだけどね、このクソマジメ体力馬鹿が思った以上に速く走るもんだから追いつくのに時間かかっちゃった」とのこと。


「つまり、菱川さんを尾行しているストーカーを見つけようと後ろからついてきた秋由さんがまんまと尾行されていたということですか。本当に疫病神じゃないですか。何にでも首をつっこむ癖を改善するためにも、脳天を木槌きづちで何度か叩いて首を短くした方がイイんじゃないですか。」

 ハイ、仰るとおりです。ぐうの音も出ません。


 「これで一つ納得しました」とドS刑事さんがタブレット端末を1台、机の上に出した。表示されているのは某掲示板のスクリーンショットだろうか。そこには菱川のマンションの写真と住所が書かれ、


・なぎさちゃんの家が分かっちゃった


・今から拉致りに行きまーす


・なぎさちゃんをレイプしたい男いっぱいいるよね?


・みんな集まってヤリまくろうぜ


・レイプしているとこ、動画に録ってネット上にバラまいてアイドル生命終わらせてやろうぜ


・アイドルとしてどころか、一生外を歩けないくらい人生終了させてやりたい



「なん……すか、これ……」

 オレの声も震えていたが、それ以上に、菱川の様子を見ると真っ青な顔で震えていた。

「書きこまれた時刻は夜の8時半なんだけど、心当たりある?」

「オレが、菱川のマンションの前に着いた時間です……」


 その時点で、既にこの犯罪予告が書かれていたのか。


「この書き込みは削除したんでしょうね?」

 男性マネージャーが血相変えて刑事さん達に尋ねる。書き込み自体はしばらく経ってサイト管理者の手によって削除されたのだが、その時点で結構な人に読まれてしまったらしく、その後もそこら中に転載されて取り返しがつかなくなっているのだとか。


 今や、菱川の住むマンションを日本中が知ってしまった―――


「これを書き込んだヤツを特定して逮捕したりは出来ないんですか? これ、言い訳のしようがないくらいに犯罪予告じゃないですか。」

「特定はできています。」

「じゃあ」

「これを書き込んだのは、アナタが大立ち回りをして捕まえたあの男でした。」

「あ……」

 聞くと、菱川を拉致しようとしていたのは3人組で、ネット上で知り合った人達なので1人捕まえたところで残り2人の素性も知らないらしい。



「いずれにせよ、ここからは警察の仕事です。アナタが首をつっこんだところで事態が悪くなる一方ですから、さっさと帰ってクソして寝てください。ヒーロー気取りで場を荒らされてもこちらは迷惑なんです。」

「そうだね、もう結構な時間だから親御さんも心配しているでしょう。秋由くん、早く帰りな。」

 二人組の刑事さんは、両方とも的確にオレの痛いところを突いてくる。そう言えば、今は何時なんだとスマホを見ようとしたら……あれ、スマホがない。


「スマホ……オレのスマホ、ありませんでしたか!」

「あー、現場に落ちていたのってキミのだったんだ、ハイこれ。大丈夫? キミのは壊れていない?」

 横分け刑事さんがオレのスマホを出してくれた。指紋認証で起動して、良かった。ちゃんと動いた。流石にスマホが壊れたらショックが大きい。


「それ、本当にアナタのスマホなんですか? そう言ってネコババしようとしていませんか?」

「オレの指紋で起動できたとこ見たでしょ……それとも、このスマホに保存されている2000枚の妹画像でも見せないと納得してくれないんですか?」


 ずっと青ざめて黙っていた菱川が、ぷっと吹き出す。

 良かった。刑事さん達にはまったく受けなかったが、女のコを笑顔にすること以上に男にとって大事なことはない。


「ん? 今、って言いました?」

「あー、菱川さんのスマホは壊れちゃったみたいなんだよね。」

 尻もちをついたあの時か。

 オレがもうちょっと素早く対処できていればと、申し訳なくなる。しかし、菱川を見ると苦笑いをするだけだった。

「気にしないで。私のスマホ、大したもの入っていないから。」



 スマホの時計を見ると、夜の10時20分だった。

 これは結構マズイな。汐乃には11時までには帰ると言ってある。警察署から家まで走って帰ればギリ間に合うかも知れないが、かもめがいるから全力で走るワケにもいかない。急いで帰らなくちゃと立ち上がったところで、


「待って! ……行かないで」

 菱川がすがりつくように、泣きそうな顔でこちらを見上げて言った。

「お願い……今日の夜だけでも、一緒にいて……」

 ……

 ………

 周りの視線が痛い。そりゃ、刑事さん達からしても国民的アイドルがクラスメイトの男子にこんなことを言っていたら関係を疑うよなぁ。


 菱川は一人暮らしをしていると言っていた。菱川からすると警察の人達は一緒にいて落ち着かないだろうし、マネージャーだって男性だから完全には信用できないだろう。今晩の彼女は拉致されかけた上に、今も彼女をレイプしようとしている残り二人が街をうろついている。


 いや、


 本当の問題はそこじゃない――――


 犯人がどうだとか、事件がどうだとか以上に、きっと、彼女は「なぎさちゃんをレイプしたい男いっぱいいるよね?」にショックを受けたのだろう。「恋人にしたい芸能人1位」とか「お嫁さんにしたい芸能人1位」みたいなオブラートには包まれていない、日本中の男どもに自分がどう思われているのかのしの感情に恐怖しているのだろう。


 「菱川には興味がない」と思われているオレだけが彼女の救いならば、一晩だけでも一緒にいてやらねば。


「菱川さん、クラスメイトとは言え流石に男子と一緒に一晩過ごすのは危険だよ。」

 男性マネージャーさんが心配しているので、言ってやった。

「大丈夫ですよ、マネージャーさん。オレは筋金入りのシスコンロリコン野郎なんで、妹以外の女には欲情しませんから!」


 ◇


 ドS刑事さんからドン引き→ ありったけの罵倒の言葉を喰らったオレは、家族に電話をするために外に出た。電話したのは父さんだ。汐乃はもう寝ている時間だし、母さんに話すとあれやこれやと問い詰められそうだったので。


 父さんは一言「お前の気が済むようにしなさい」とだけ言ってくれた。



「ホントに下心ゼロだって言い切れるの~~?」

 父との電話を切ったタイミングで暗闇から声をかけられた。言うまでもなくかもめだ。


「流石にあんな精神状態の女のコを押し倒すほど鬼畜じゃねえよ。」

「そう? ドラマとかだと、傷ついた女のコを癒してあげようとして押し倒したりしてない?」

「ああいうのは、ある程度の経験がある人間だからできるんだよ。オレや菱川の恋愛経験値で出来るワケねえだろ。」


 「ん?」と引っかかるかもめ


「準稀自身のことはともかく、あの人に経験がないだなんて、なんで断言できるの? あっちはスーパー芸能人だよ。」

「断言できる。」


 間違いない。

 分かる。菱川にそういう経験はない。


 「天才子役」として大ブレイクした彼女。

 クラスでも、道端でも、カメラの前でも、その場に合った「キャラクター」を演じることができる彼女。それは裏を返せば―――



「そういや、オマエ。今回は手を貸さないって言ってたのに、どうして助けてくれたんだ?」

 かもめが助けてくれなければ菱川は拉致されていただろうから、感謝しかないのだが。


「それは―――」

 かもめが言いかけたところで、菱川達が出てきてしまったので続きを聞くことは出来なかった。


 ◇


 オレと菱川は、菱川のマンションまで警察の人達に車で送ってもらった。

 かもめはどうするんだろうと思ったら、さり気なく助手席に乗り込んでついてこられたらしい。透明化の時点でチート性能だが、アイツの「人の盲点を突く」というサブスキルも何気にすごいよなぁなんて思った。


 マンションの外は何度も見ていたが、菱川の部屋に入るのは初めてだ。

 1LDKの角部屋で、高校生が一人で住むには十分すぎる広さの部屋だったのだが……驚いた。思わず言葉を失った。


 ウチの妹の部屋には、かわいいものがたくさん置いてある。ネコやウサギのぬいぐるみが敷き詰められ、好きなアイドルのポスターが貼られて、カーテンの柄は何日も悩んで選び抜いたもので、家族や友達と一緒に撮った写真をプリントアウトして雑貨屋をハシゴして買ってきたフォトフレームに入れてある。


 それに比べて、菱川の部屋は……

 何もないのだ。


 部屋のど真ん中に無機質なシングルベッドが置かれていて。

 それで、説明終了。


 ぬいぐるみも、ポスターも、柄付きのカーテンも、写真立てもなければ、読み終わった本を並べる本棚も、普段座って勉強しているんだろうなと思わせてくれる机も、人には見せられないような画像を何枚も保存できるパソコンも、楽しみにしている番組を観るためのテレビすらない。


 この部屋には、好きなものが、思想が、感情が、一切ないのだ―――



「私はお風呂入るけど、秋由くんはどうする?」

「男は1日くらい風呂に入らなくても気にしないんだ、オレはイイよ。」

 動揺がさとられないよう、グッと感情を抑えて答える。そうしたら、かもめからメッセージが届いた。


―――私は気にするぞ


 

「何だっけ? “モノを持たない暮らし”みたいな思想あるよね。」

 菱川がお風呂に向かったのを見計らって、こっそり部屋に潜りこんでいたかもめが口を開いた。

「ミニマリストか。それとも何かちがう気がするな……“持っているものを最低限まで削ってこうなった”というより、“最初から持つことを拒んでいる”というか。」


 最初の違和感は、弁当箱だった。

 オレへの差し入れで作ったものはともかく、アイツは自分の弁当箱まで毎日使い捨てのものを使っていた。キッチンの方を見ると、流石に冷蔵庫や鍋などの調理器具はあるみたいだったが食器の類が置いていない。


 次の違和感は、スマホだった。

 妹の写真2000枚は特殊な事例だと思うが、スマホの中にはその人の大切なものが詰まっている。例えば、かもめは透明化になる前から続けているソシャゲを今でも毎日プレイしている。「お目当ての☆☆☆☆のキャラが10連一発で出たのは奇跡だったんだよ!」と熱弁された。


 そんなスマホが破壊されれば、誰だって怒るか落胆するかだろう。

 だが、菱川は興味なさそうに「大したもの入っていないから」と言い放った。彼女にとって「所有」はそれくらいの価値しかないのだろう。


 ◇


 風呂上がりの菱川は学校指定のジャージを着ていた。それ、寝間着にも使ってるのか。


 汐乃が今着ているであろうパジャマは、そこそこ有名なブランドのホームページを幾つも並べて、どれを買うか何日も悩んだものだ。「どれが似合うと思う?」なんて聞かれたりもして、自分が着る服を選ぶのがとても楽しそうだった。


 そうして人間は、お気に入りなものを自分の周りに集めて自分を形成していくんだ。菱川なぎさにはそれがない。



「ベッド、一つしかないけどどうしようか……?」

「あいにくオレは床で寝るのに慣れているんだ。」

 「そっか」と吐き捨てるように言った菱川の顔は、これまでに見たことのないようなものだった。


―――私は慣れてねえよ


 かもめから抗議のメッセージが届いた。



 時間は夜の0時をまわっていた。

 今日は色々あったからと、電灯を消して、菱川はベッドで、オレは床で横になる。


「秋由くんって優しいんだね。話してみるまで、もっと怖い人なのかと思ってた。」

 暗闇の中で他愛もない話をする菱川なぎさ。

「どうしてカノジョいないのか不思議だね。」

 女子にとっての日常会話を続ける菱川なぎさ。


 本題に入られるのを恐れているかのように―――


「菱川。」

 体を起こしてベッドを見る。

「何。」

 無地のカーテンの隙間から入るビル街の光が、ベッドの端に腰かけた彼女を照らす。


 お互いに覚悟は決まったみたいだ。

 もう、切り出してイイだろう。



「菱川、この事件……どこまでがオマエの狙い通りだったんだ?」

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