3.「パーフェクトアイドル」

 放課後、裏門で菱川のことを待っていると知らない女子に話しかけられた。

 少しだけ明るめのふわふわの髪を肩口で揃えているミディアムボブの女のコで、よく見るとかなりかわいい顔立ちをしている。


「あの……A組の秋由くんですよね……私、ずっと遠くから見ていたんです……」

 ちょっと伏し目がちにこちらをチラチラ見るその仕草は、世界一かわいいウチの妹を彷彿とさせる仕草でオレのストライクゾーンど真ん中だった。ホームランボールだった。ホームラン競争でも、こんな打ちごろのボールは投げてもらえないぞ。


 よし、とりあえず連絡先を交換して朝昼晩に1回ずつ顔写真付きのメールを送り合う習慣をつけるところから始めよう、と思ったタイミングでかもめからメッセージが届いた。アイツ、まだこの辺にいたのか。さっさとゲーム屋に行ったのかと思っていた。



―――アンタの目の前にいる女は、菱川なぎさだぞ


「えぇっ!!?」

 顔を見上げる、何を言っているんだアイツは。確かに菱川と同じようなふわふわの髪で、菱川と同じような大きな目で、菱川と同じようなスッと通った鼻で、菱川と同じようなキレイに並んだ白い歯だが、全くの別人にしか見えないじゃ……いや、菱川だコレ!


「菱川!?」

 そう言うと、いたずらが成功した子供のような満面の笑みに変わる。さっきまでそこにいたオレ好みの伏し目がちな女のコはどこに行ったんだ。

「思ったより早くバレちゃったなー。とりあえず告白させるところくらいまでは引っ張りたかったんだけどね。」


 “擬態”とかもめが言っていた意味が分かった。

 顔の形が変わっているワケではない。髪型を変えたワケでも、メガネなどをかけて変装したワケでもない。なのに、ついさっきここにいたのは「国民的アイドル:菱川なぎさ」ではなく「目立たないけどよく見るとかわいい同級生の女子」だった間違いなく。これは、「自分の所有物をすべて透明にしてしまう能力」と同じような“超常現象”ではなかろうか。


「秋由くんって、多分こういうコが好きでしょ。だから、ちょっとサービスしちゃった。」

「……菱川、ひょっとしてウチの妹の方がかわいいって言ったこと、根に持ってるのか?」

「さぁ? どうだろうね?」

 “美少女の演技なんかでオレは惑わされない”と言っておいて、秒で落ちかけた自分にビックリだ。これが日本中から「娘にしたい芸能人1位」「孫にしたい芸能人1位」「恋人にしたい芸能人1位」「お嫁さんにしたい芸能人1位」「友達になりたい芸能人1位」「お姉ちゃんにしたい芸能人1位」「妹にしたい芸能人1位」に選ばれるパーフェクトアイドルの真価なのか。


 あれ……でも、かもめは菱川のことキライだって言ってたな。


「私、学校の外では“どこにでもいる女子高生”モードで歩くから菱川なぎさだってバレることはないと思うんだけど、そのせいで秋由くんも見失わないでね。」

 どうしよう、まったく自信がない。

 とりあえず今日向かうスタジオの位置とルートを予め教えてもらって、電車に乗り込むタイミングで車両を間違えないようにメッセージを送ってもらうことにした。


 ◇


 この街は人が多い。

 なのに、右に左に後ろに前に人が激しく行き交う道のど真ん中を歩いても、誰も菱川(多分)のことに気付いていない。

 プロフィールによると、菱川の身長は155cmだったはずだ。女子としては平均くらいだと思うので、人混みの中に紛れこむとどこに行ったか分からなくなる。仮にストーカーが尾行していたとしても、すぐに見失ってしまうんじゃないか。



 3回ほど見失ってしまって、慌ててメッセージを送って菱川に待ってもらったが、無事にスタジオまで到着した。

 スタジオの前で振り返ってこちらを待っていたのは、テレビの中で何百回と見たことのある菱川なぎさだった。


「すみません、近寄らないでください。」

 オレが菱川に報告しようと近づいたら、大柄な守衛さんに立ちふさがれた。

「あっ、大丈夫です。クラスメイトなんですよ。私が教室に忘れたノートを持ってきてもらったんです。」

 警戒している守衛さんを退けるため、息を吐くようにウソをつく菱川。流石の女優だ。

 まぁ、ストーカーに追われてるかも知れないからついてきてもらったなんて言ったら、余計な心配をさせることになるだろうしな。


「あっ!! なぎさちゃーん!」

 さっさと報告して立ち去ろうと思ったタイミングで、オレの後ろから女の子の声がした。そして、パタパタパタと体重が乗っていない小さな子供特有の足音がして、すぐにオレを追い抜き、一直線に菱川に抱き着いた。


 芸能人に詳しくないオレでも、このコのことは知っている。


 近藤こんどう 聖空せいら―――

 「聖なる」「空」と書いて「せいら」と読む。ウチの妹よりも背が高くて発育もイイが、まだ小学生だったはずだ。ランドセル背負っているし。普段テレビで見かける芸能人がランドセルを背負っている姿を見るのはちょっとドキッとする。


 天才子役として大ブレイクした菱川を中心に事務所が結成した5人組アイドルグループ:ヘプタスロンの最年少が、この近藤聖空せいらだ。

 小学生ながらに長い脚、ピンクのチェック柄のノースリーブに、ウエストの位置が高いデニムスカートにはハートや星のステッカーがところどころにペタペタ貼られ、水色蛍光色のスニーカー、編み込まれたツヤツヤの黒髪―――底抜けに明るい性格と、全身にあふれるセンスが人気で、女子小学生のファッションリーダーとなっているらしい。もちろん大きいお友達からも大人気で、「日本一有名な女子小学生」と言われている。


「なぎさちゃん、好き好き~。」

「ハイハイ、私もそらちゃんに会いたかったよ。」

 その近藤さんが菱川に抱き着いたまま、菱川も近藤さん(そらちゃんと呼ばれているらしい)の髪を優しくなでたまま、1分半が経過した。美少女が美少女とイチャイチャしている姿は……とてもイイな! 動画に撮っておけばよかった! 絶対に怒られるけど!


「ところで、このニヤケ顔のおにーさんは誰ですか?」

「私のカレシって言ったら信じる、そらちゃん?」

「信じないです。信じたくないですし、菜々香さんがブチギレるのでグループ崩壊の危機ですよ。あたしたち全員、明日から路頭に彷徨うことになっちゃうですよー。」

 菱川の胸付近……というか胸に左頬をうずめたまま、右の目でこちらをチラチラ見て近藤さんが菱川と喋っている。眼福。


「ハッ! ひょっとして、この人が例のストーカー……?」

 あ、そう思ってしまうか。結果的に学校から後を尾行つけてきたのだから、否定のしようもない。菱川が否定してくれなければ、そこの大柄な守衛さん達にあっという間に取り押さえられてしまっただろう。


「大丈夫だよ、そらちゃん。この人は自分の妹にしか興味がない、重度で重症で重病なシスコンお兄ちゃんだから。」

「ベクトルがちげーだけで、ヤベー人なのは変わってなくないですかっ!?」



 そんなことを話していたら男性マネージャーがやってきた。2日前に菱川に紹介されて既に顔見知りなので軽く会釈をすると、彼は近藤さんを急かすようにスタジオの中に引っ張っていった。

 菱川が直々に頼んだとは言え、自分とこのアイドルの周りに男がうろうろしているのはマネージャーとしては複雑だろうな。あまり歓迎されている感はない。近藤さんとは割と打ち解けられそうな気はしたが……


「そらちゃんのこと、どう思った?」

 二人きりになったタイミングで、菱川が訊いてくる。


「どうもこうも……SIMPLEシリーズ THEこども!ってカンジのコだったな。元気があって、挙動がいちいちオーバーで、色んなものに興味を持つあたり。」

「シンプ…シリーズ? ……なに?」

「というか、仲イイんだな。アイドルグループの中身なんてみんなギスギスしているのかと思ってたよ。仲良く見せてても、そういうファンサービスなんだろうなって思ってた。」

「ウチは確かに仲良しだよ。一番近い人を笑顔に出来なくて、どうしてお客様を笑顔に出来るんだって全員が思ってるからね。」


 イチャイチャしている理由も、なんかプロっぽかった。


「私なりに、秋由くんがどうして私に興味がないのかって考えてみたんだよ。」

「……」

 興味がないワケではないのだが、確かに他の男よりかは食いつきが悪いのかも知れない。

「だからね、秋由くんはヘプタではそらちゃん推しなのかなと思ったの。」

「なんでだよ。」

「いつも妹さんのことばかり話しているからロリコンなのかなって。」

 よかった、さっきのシーンを動画撮影していなくて。明日からクラスでのオレのポジションが「妹を好きすぎて妹と同年代の女子にしか興味を持てないシスコンロリコン野郎」になるところだった。


 ◇


 その後、菱川を尾行つけている人は特にいなかったことを告げて、オレはバイト先のコンビニに向かった。


 3時間の労働の後、一緒に帰るためかもめが来るのを店の前で待っていたら「中央公園に来て」というメッセージが届いた。何かあったのかと思って急いで走って中央公園に着くと、今度は「東公園に来て」というメッセージが届き、東公園に着いたら「北公園に来て」というメッセージが届き、流石に走るのが面倒くさくなった。


「いやー、ゴメンゴメン。ちょっと気になることがあってさ。」

「この街の……公園から公園までを、全力ダッシュしたら。何分かかるのかの調査でも頼まれたのか?」

 あがった息ではツッコミも鈍くなる。

「まさか走ってくるとは思わなかったからさ。これは失敗だったかも。」

「てめっ、ふざっ……けんな。」



 別のコンビニでかもめ用の夕食を買って、帰宅する。

 レトロゲーム屋めぐりの方は半日いても飽きないくらい幸せな時間だったとのことだ。ゲームを遊ぶのが楽しいのは分かるが、ゲームソフトが店頭に並んでいるのを眺めるだけで楽しいとはリーズナブルな趣味だな。


 かもめがオレの部屋でコンビニ弁当を食べている間、オレはリビングで一人遅めの夕食をたいらげていた。バイトで帰りが遅くなるので、母さんと妹は先に食べていて、父さんはオレよりも帰りが遅いみたいだった。


 時計を見ると夜の9時ちょっと前、マネージャーに送ってもらうとは言われたが菱川は今日もちゃんと帰れたのだろうかと気にしていたら、風呂上がりの汐乃がリビングにやってきた。

「テレビつけてもイイ?」

「どうぞご自由に。

 ……そうだ、汐乃。変なことを訊くが、オマエの同級生の女のコで突然学校に来なくなったり、行方が分からなくなったりしたコはいないか? 例えば、オレのことを知っているコで。」


 隣の椅子にチョコンと座っていた汐乃が、こちらに体を向けてじっと大きな黒目を向けてくる。やはりウチの妹は世界一かわいいな。風呂上がりのちょっと水気が残った黒髪と、シャンプーのにおいに色気を感じてしまう。


「最近おにいちゃんが夜に抜けだしてるのは、この件?」

「いんや、それとは別件。こっちはそんな緊急性のある話じゃない。」

「私の友達でおにいちゃんに会ったことのある人って、数えるほどしかいないんだよね……」

「うーん、多分オレが話したことのあるコではないな。どっちかというと、オマエが学校でオレの話をしているのを聞いたことがあるコとかかなぁ。」

 当てずっぽうな推理しか出来ていないのが申し訳ないが、こうやって少しずつしぼりこんでいくしかないだろう。


「私……学校じゃ、ほとんどおにいちゃんの話しかしていないからなぁ。」

 そんなんで大丈夫なのか、オレの妹の学園ライフは。会話のバリエーション少なすぎじゃないか!?

 と、自分のことは棚に上げつつ、妹の心配をしてみる。


「あ、そういう話ならあかつきちゃんに訊いてみようか?」

加鹿かがさんかぁ……」

 加鹿暁さんは汐乃の親友なので、汐乃以上に汐乃周りの情報は持っているだろうが、あの人に借りはあんまり作りたくないんだよなぁ。でもまぁ、仕方ないか。お願いしておいた。



 そうこうしていると9時になって、汐乃が観たかったテレビ番組が始まった。

 その番組はゲストを招いて1時間いろんな話をするトーク番組で、今日のゲストは菱川なぎさや近藤聖空せいらが所属するヘプタスロンの5人だった。


「わぁ~、今日の服のなぎさちゃんもかわいいなぁ。」

 うっとりとテレビを眺める汐乃の横顔がとてもよかった、最高によかった、恐ろしくよかったので今晩の1枚として撮影しておいた。


 ちょうどイイ機会だから汐乃に訊いてみたいことがもう一つあったので、CMのタイミングまで食器を片付けたりなんかして待つことにした。

「あ、私がやろうか?」

「ムリするなよ。楽しみにしていたテレビなんだろ、こっちには気を遣わなくてイイよ。」

「ありがとう、おにいちゃん。」


 ついでにテレビ画面の向こうの菱川や近藤さんも観てみたが、こちらも流石にバリバリ芸能人モードでかわいかった。この放送は恐らく録画放送だろうけど、つい数時間前にはこの二人とオレが喋っていたんだと思うと不思議な気持ちがしてくる。



 CMに入ったタイミングで、汐乃の隣に座ってさりげなく訊いてみる。

「なぁ、汐乃って菱川なぎさのファンなんだよな?」

「うん、大好き!」

 満面の笑みで応える汐乃。

 悔しいから菱川にはナイショにしているが、何を隠そう世界一かわいいウチの妹は菱川なぎさのファンなのだ。


「男が女のコのアイドルに夢中になったり、女のコが男のアイドルに夢中になったりするのは分かるんだが……女のコが女のコのアイドルを応援するのって、どういうモチベーションなんだ? 恋愛感情とはちがうんだろ?」

「んー。」

 ちょっと考え込む姿もかわいいな、ウチの妹は。


「おにいちゃんも、なんだっけ……大リーグに行っちゃった、あのピッチャーをかっこいいって言ってたよね?」

「あぁ、言ってるな。」

「でも、それって恋愛感情じゃないよね? 確認するけど、恋愛感情じゃないよね?」

「そりゃそうだ。」

 150km/hの豪速球が投げられるからといって恋愛感情は抱かない。


「私が思うに、女のコって元々かわいいものが好きで、男のコは元々かっこいいものが好きなんだよ。恋愛感情とは別のところで。」

「あんな風になりたいって憧れみたいなものか。」

「私がなぎさちゃんに思う気持ちは、ちょっとちがうかなぁ。私となぎさちゃんだと別のタイプだし。」

 確かに。汐乃は天使の生まれ変わりにちがいないが、菱川は小悪魔が人間の世界にまぎれこんでいるような女だ。別タイプの美少女だと思う。


「ヘプタってそこがよく出来ていてね! 小学生のそらちゃんから大人っぽい菜々香ちゃんまでいて、いろんな関係を見せてくれるの。例えば私はそらちゃんが一番年齢近いから、そらちゃんの目線で他のメンバーを見るの。そうすると、なぎさちゃんが理想のお姉ちゃんをやっているんだよ。」

 めっちゃ語る。

「なぎさちゃんは、そらちゃんがどんなにはしゃいでも笑って包み込んでくれるんだよ! 私は女きょうだいがいないけど、お姉ちゃんがいたらこんなカンジなのかななんて思わせてくれるんだ。あっ、別におにいちゃんしかいないのがイヤだとかじゃないからね。おにいちゃんを妹として独占できるのは私の一番の幸せだから。」

 すげえ語る。

「あと、やっぱり芸能界って人間ドラマだと思うんだよね。その点ではおにいちゃんの好きなスポーツと似ていると思うんだけど、この時これをやっていたこの人が1年後の今これをやってるみたいな。ほら、スポーツでも甲子園で活躍した選手がプロ野球に入ったりするよね?」

 汐乃は普段は口数が少ないのだが、好きなことになるとムチャクチャ饒舌になって早口になって語りまくるクセがある。そこもかわいい!


「なぎさちゃんが有名になったのはドラマなんだけど、私ドラマを観るの苦手だから、一番最初に好きになったのは料理番組なんだ。多分、なぎさちゃんが4年生くらいの時に子供向けの料理番組をやっててね、私はそれを録画して何度も何度もマネして作ってたの。」

 合点がいった。

 菱川が作ってくれた弁当が、なんだか懐かしい味がした理由―――アレは、たまに汐乃が母さんを手伝って作ってくれる料理に似ているんだ。正確には、菱川が番組で学んだ料理を汐乃がマネしていたのか。


「そのなぎさちゃんがドラマで有名になって、すっごくかわいい服を着て踊るアイドルになったときはビックリしたし、嬉しかったなー。私だけが知っている私だけのアイドルだと思っていたのが、みんなのアイドルになって、日本のアイドルになっていったのは感動したよ。」

「そういうのって寂しくなったりしないか?」

「そこがね、なぎさちゃんはどんなにメジャーになっても変わらないんだよ。いつまでも私だけのためにテレビに映ってくれているの。“私のお姉ちゃん”のまま、どんどん大きなステージに立っていくんだよ!」


 それが、老若男女の壁を越えて全方位から愛されるパーフェクトアイドルなのか。

 じゃあ、それだったら、一体何故。



 汐乃が熱弁している間にテレビはすっかりCMから番組に戻ってしまっていて申し訳なかったが、「録画しながら観てたから大丈夫」と追っかけ再生で少し前に巻き戻しながら観始めた。


「最後に、一つオマエの意見が訊きたい。もし菱川なぎさのことをキライって言うヤツがいたらどう思う?」

「ん?」

「どんな人間だって、誰からも好かれるワケじゃないだろ? 羽生結弦にすらアンチがいるんだから、菱川なぎさにだってアンチがいるだろう。」

「いないよ。」


 汐乃が言った。


「いるワケがない。」


 力強く。断言するように。


「なぎさちゃんのことをキライになれる人間なんて、私には存在するとは思えない。」

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