第30話 童話


 嫌な夢を見たというニコラスのために即興で悪夢を忘れられる為の物語を語って聞かせることにした。

 少しばかり頭を使うような、そんな面白い話なら嫌なことを忘れられるだろう。

 どれがいいか頭を捻って、咄嗟に思い出したのがグリム童話の『死神の名付け親』だった。


「昔々、あるところに貧乏な男がおりました。ある日、彼は赤子を拾います。親を探しますが見つからず、誰もその子を引き取らないので育てることになりました」


 ニコラスはキョトンとした顔で私の顔を見ている。

 乳母や保護者から童話を聞く機会はあれど、一般的には五歳ぐらいで童話を語らなくなるという。

 その代わり、教会の教えを語って聞かせるとか。

 それも口伝えなので、外部の私が知るのは難しい。

 いつかは教会務めの人に取材できれば、と密かに思いながら物語を紡ぐ。


「ですが、男は名付けがとても苦手でした。街を歩き、良い名前はないかと人々に聞いて回ります。みずぼらしい男の呼びかけに答えたのは天使、悪魔、死神の三人でした」

「……………………。」

「天使は『私が名付ければ、その子は死後天国に行けるでしょう』と言いました。悪魔は『私が名付ければ巨万の富を得られる』と、死神は『私が名付ければ、その子は人を救える力を手に入れる』と言います」


 童話は子供に教訓を分かりやすく教えるために語って聞かせたという。

 短く、端的に、それでいて分かりやすい。

 だからこそ、前世では世代を超えて受け継がれてきたのだ。


 そのなかでもグリム童話は様々な考察が繰り広げられ、今もなお様々なパロディやオマージュ作品が創られているのだ。

 かくいう私も、今まさにグリム童話をベースに創作している。


「男は一晩、一度も寝ないで考えました。そして悩んだ末に死神に名付けてくれと頼みました」


 ニコラスは少し頭を捻って、眉を潜めてルビー色の瞳を細める。

 動いた拍子に、肩で切りそろえた黒髪がさらさらと流れた。


 いい調子だ、悪夢のことを忘れて深く考えるようになるはず。


「それからほどなくして、男は流行り病で死にました。それは拾った赤子が少年になり、大人になる前日の出来事でした。夜も更けて涙も出なくなった頃、少年の元に死神が訪れます」

「…………っ」

「死神は言いました。『お前に人を救える力を授けよう。村の外に出て、野原にある紫色の花を摘んで隣人に渡しなさい』少年は言われた通り、村の外の花を摘んで隣人に渡します」


 ニコラスは私の話に静かに耳を傾けていた。


「その花を受け取った隣人は病気が治りました。それから少年は死神の言う通り、人を救っていきます。少年は有名人になり、やがて医者になりました」

「そうなんだ」

「ところがある時、死神はこう告げました。『私が足元に立った時、その人間の魂は私が刈り取る。だから助けてはならない』と」


 上がりかけたニコラスの眉が再びへにょんと下がる。

 なんというか、困り顔が板についていて大変可愛らしい少年だ。


「それから、医者の評判を聞いた国王が『私の病を治して欲しい』と頼みます。国王の足元には死神が立っていました。ニコラス、このお話の医者はどうしたと思う?」


 私の問いかけに、ニコラスは少し考えてから小さい口を開いた。


「助けたと思います。お医者様は病人を助けることでお金を貰うお仕事だと聞きました」

「そう。このお話の医者も国王を助けたんだ。けれど、死神はかんかんに怒った」

「言いつけに背いたからですか?」


 やはりニコラスは賢い。

 そして受け身ではあるが、頭の回転が速い。

 賢い子は好きだが、きっとこの賢さは伸び伸びとした環境で育まれたものじゃない。

 そう思うと複雑な気持ちになってしまう。


「そう、死神は『二度目はない』といった。それから暫くして、また医者は国王に呼ばれた。今度は国王の一人娘の王女が流行り病で倒れたから治してほしいと医者に頼んだ。けれど、王女の足元には死神が立っていた」

「それでもお医者様は王女様を助けたんですか?」


 コクリと頷くとニコラスは正解を当てたのに不可解そうな顔をした。

 きっと、言いつけに従うべしと厳しく躾けられたのだろう。


「そしてその夜、医者は夢を見た。暗い洞窟に沢山の蝋燭が並んでいる。長さはバラバラで、煌々と燃えているものもあれば今すぐ消えそうになっているものもある」

「夢……」

「そのなかで、死神は今にも消えそうな蝋燭を指差して告げた。『この蝋燭はお前の寿命を表している。言いつけに背いたからお前の寿命はこんなにも短くなってしまった』」


 ニコラスの顔色がさっと悪くなる。

 シーツを握りしめた手は震えていて、見ていて痛ましい。


「死にたくないと泣きついた医者を見た死神は『長い蝋燭から切り取って継ぎ足せば寿命は伸びる』と言って、ハサミを渡しました。医者はこの後、どうしたと思う?」

「……切り取って自分の蝋燭に継ぎ足した?」

「ぶぶー。正解はハサミを死神に返したんだ」


 暫く考えてから、ニコラスは首を振って私の顔をじっと見る。


「ハサミを返しちゃったら死んじゃうよ」

「切り取られた蝋燭は他の人の寿命を表していたからだよ、ニコラス。医者がこれまで人を救ってきたのは、育ての親を失った悲しみを他の人に味わせたくなかったからだ」

「……でも、それじゃあお医者様は死んじゃうよ?」


 今にも泣きそうな顔をしたニコラスの頭をそっと撫でる。

 さらさらとした黒髪は見た目通り指通りが滑らかだった。

 ビクリと肩を震わせた彼に微笑みながら、創作童話の締めくくりを語る。


「死神に医者はきっぱりと告げます。『死ぬことは怖い。もっと長生きもしたいし、恋人も欲しい。

 ────けれど、他人の命を奪って生きても、それは父の想いを踏みにじることになる。だから私は覚悟を決めて、あるべき運命を受け入れます』」

「…………。」


 ニコラスは静かに私の話を聞く。

 サリーとも、父とも、母とも、リディとも、アランとも違う雰囲気がそこにあった。

 きっとニコラスはこれまでの自分の人生に照らして考えているんだろう。


「目が覚めた医者の手を握っていたのは、ずっと昔、医者がまだ少年だった頃、隣に住んでいた女の子でした。

 『あの時貴方が助けてくれたおかげで私は今も生きています。そして、貴方を助ける薬を作りました』それから寿命が来るまで人を助けました」


 おしまいおしまい、と話を終えるとニコラスはおずおずと喋りだす。


「お医者様は、どれぐらい生きたの?」

「……人よりは短いよ」

「もし、国王様と王女様を助けなかったらもっと生きたの?」

「多分ね」


 理不尽だ、とニコラスは唇を尖らせる。

 不満げな顔で呟いたその声は感情が滲んでいて、年相応のリアクションを引き出せたことが私はとても嬉しかった。


「医者は不幸だとニコラスは思う?」

「うん、良いことをしたのにすぐ死んじゃうなんて可哀想だよ」

「それなら、ニコラスは医者が誰も助けずに長生きした方が幸せだと思う?」

「すぐに死ぬより良いと思う」


 このぐらいの年なら死を恐れて当然か。

 まだ幸福や精神的充足については考えたこともないだろう。


「そうだね。それでも医者は助けることを選んだんだ。きっと医者は後悔してないよ」

「そうなのかな。僕には分かんないや」


 グリグリと頭を撫でると、ニコラスは困った顔をしていた。

 頭を撫でられた経験が少ないのだろうか、それともいきなりのスキンシップに驚いているのか。

 この年代の子供と接したことがないから分かんないな。


「きっとすぐに分かるよ、ニコラスはよく考える子だからね」


 頭を撫でられていたニコラスは顔色を伺うような視線で私の顔を見る。

 なんだかその視線が気恥ずかしくなって、とっさに窓を見れば真上にあったはずの月がいつの間にか傾き始めていた。


「それより、もう嫌な夢は忘れたでしょ?」

「あ、ホントだ」


 不敵な笑みを浮かべれば、ニコラスは目を丸くして驚いた。

 嫌な夢を忘れる時は、なにか小難しい事を考えるに限る。


「これで寝るのも怖くないはず。さあ、明日も早いから早く寝なさいな」

「うん……あの、あねさま。あねさまは……んと、えっと、その……おやすみなさい」

「おやすみなさい、ニコラス。また明日」


 ニコラスをベッドに寝かしつけて、薄手のブランケットを掛けてやる。

 ぽんぽんと胸を叩いてやれば、疲れが溜まっていたこともあってすっと彼は眠ってしまった。

 起こさないようにそっと部屋の扉を閉めた。

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