描かない俺と、描ける君

公血

描けない俺と、描ける君

子供の頃から漫画を描くのが大好きだった。

物心つく前からクレヨンで落書きをはじめ、小学校に上がると簡単なキャラクターを描くようになった。


友達に頼まれて得意の猫型ロボットが主人公の漫画を描いてあげるととても喜ばれた。

俺は漫画を描くことで自分の存在価値を見出すことができた。

自然と将来は漫画家になりたいと思うようになっていった。



◇◇◇


中学生になっても俺は漫画を描き続けていた。

だが、ここから漫画を楽しんで描くのが難しくなっていった。

休み時間に絵を描いていると、クラスの不良や陽キャたちにからかわれるのだ。



「武田、お前絵下手だなぁ」

「俺が描いた方が全然上手えわ」

「堂々と漫画描きたいならもっと上達してからにしろよ。武田」



心無い言葉にいつしか俺は人前で絵を描くことが怖くなった。

いや、怖いというより恥ずかしくなったのだ。


子供の頃は求められるハードルが低かった。

そりゃそうだ。

皆、絵なんて描きやしないんだ。下手で当たり前だ。

そんな中で毎日描いていて、コツも知っている俺は他の奴らより上手に描けた。

絵は俺の誇れる特技の一つだった。


だがそんな特技は年齢が上がっていくにつれて、自慢出来ないものになっていった。

俺より絵の上手い奴が沢山現れ始めたのだ。


今まで絵なんて描いてなかった奴らが、二次元作品に触れ、影響されて描き始める。

すると隠れていた才能が開花し、どんどん上達していくのだ。

俺は決して絵の才能があるわけではなかった。

スタートが早かったというアドバンテージに甘えていたのだ。

彼らと反比例するように俺は段々自信を喪っていった。




◇◇◇


高校に入り、自己紹介のプリントを渡された。

出身中学や、志望する部活などを記入するものだ。

この頃には特技の欄に『絵を描くこと』と書く事が出来なくなっていた。


漫画を描く回数も次第に減っていった。

自宅で勉強中に、気が向いた時だけ描くくらいだ。

とても漫画家を目指している者の練習量じゃない。


俺はモチベーションを無くしていた。

このまま筆を折って漫画家の夢を諦めてしまいたかった。

だが、気が付くとまた絵を描いている自分がいる。

アンビバレントな感情を抱えたまま、悶々とした日々を送っていた。




◇◇◇


そんなある日、転機が訪れた。

俺は漫画研究会に所属していた。


美術部は人数が多く、美大進学を目指す上手い奴らがごまんといる。

今の俺は、自分より絵が上手い奴が近くにいる事が強いストレスになっていた。

一方、漫研は廃部寸前の弱小サークルで、ここなら自分でもやっていける気がした。


いわゆるオタクっぽい奴らは意外と少なかった。

これはアニメ研究会の方が圧倒的に人気だったため、そちらに人が流れたためだと思われる。



特別棟の図書準備室が俺たちの部室だった。

三年生の先輩たちが受験で来なくなり、二年生の先輩たちは幽霊部員だらけ。


部室に来るのは俺と、同じ一年の桐谷綾乃きりたにあやのだけだった。

桐谷が相変わらず一人で机を占領し、漫画を描いていた。


桐谷は度の強い赤いフレームの眼鏡をかけた、オタク女子だ。

見た目とは裏腹に明朗快活で陽気な性格をしている。

というかかなりやかましい奴だ。



「おっす。桐谷。相変わらず精が出るな」

「おっすっすー。武田くんが来るなんて珍しいじゃん?」

「来ちゃまずかったか。一人で集中してたところ悪いな」

「そんな事ないよ。いつも一人だから寧ろ武田くんが来てくれて嬉しいよ。マジ感謝。多謝」

「相変わらず皆勤賞は桐谷だけか」

「そそ。このままだと廃部待ったなしだね」

「こんなサークル潰れても誰も悲しまないだろ。第一アニ研とか美術部の奴らも漫画描いてる奴いるんだし。うちが潰れても余所に移籍すればオールOKだ」

「薄情なこと言うでない! それよりせっかく部室来たんだから武田くんもちゃんと描きなはれ」

「……ああ。分かってるよ」



俺はB4の原稿用紙の入った黒いトートバッグから描きかけの原稿を取り出した。

入部してから3ヶ月。

空き時間でちまちま描いてきたが、遅々として原稿は進まず。

完成まであと6割といったところか。


ノート漫画は山程描いてきたが、原稿用紙にインクとGペンで投稿用の原稿を描くのは初めての経験だ。

その間、桐谷は3作品も完成させていた。



「…………」

「じろじろ見るなよ。気になるだろ」

「あ、ごめーん。でも改めて見るとやっぱり武田くんの絵って味があって良いなぁって思うよ」

「はぁ? 馬鹿にしてるのか」

「馬鹿にしてるわけないでしょ。心の底から、なんの悪意も混じり気もなくそう思っているんだよ。これマジね」

「こんな……下手くそで時代遅れの4頭身の絵がか?」



俺は子供の頃から大好きだったトキワ荘出身の漫画家の影響で、極端に頭身の低いキャラしか描けなくなっていた。

俺の絵が下手だと呼ばれる由縁だ。



「それがいいんだよ。誰かの劣化コピーじゃなくて自分だけの絵柄じゃん。それに武田くんは下手じゃないよ。現代風の絵じゃないけど、ミニキャラに合わせた背景とか小物とか描けるのって素晴らしい才能だと思うよ」

「ふっ。才能か。桐谷に言われるとなんだか逆に自信を無くしてしまいそうだ」

「ちょっ! それどういう意味よ? 激おこぷんぷん丸水産だよ!」



桐谷は超がつくほど絵がドヘタだった。

おそらく、初めて絵を描く素人でも、桐谷より上手いやつは山程いるだろう。



「悪い悪い。でも俺も桐谷のある才能には憧れてるんだぜ」

「なになにっ! 実は私の隠れた才能を見出してくれてたって感じ? あなたが私のマスターだったか! そいでそいで、私の才能とはなんぞ?」

「どれだけ下手だと笑われても描き続けるつらの厚さとメンタルの強さだ」

「そっちー!? 主にメンタル的な!? できればテクニカルな部分褒めて欲しかったんですけどー」



実は冗談でもなく本気で俺は桐谷の強さに憧れていた。

どれだけ他人に馬鹿にされても桐谷は人前で堂々と絵を描いた。

すぐに他人と比較して、自分の至らなさに失望してしまう俺にとって、心無い野次や雑音を気にせず自分の楽しみだけを見出せている桐谷の強さを心底羨ましいと思った。



「桐谷は今なにを描いているんだ?」

「もち恋愛ものに決まってるっしょ。私は少女漫画家志望なんだからね。見てろよ~、ちゃおか、りぼんか、なかよしか、sho-comiのどれかに私の連載作品が載る事になるんだからね」

「結構どの雑誌でもいいんだな」

「そりゃ私の夢はプロの漫画家になる事だからね。雑誌がどうとか細かい目標なんてガバガバに設定しとけばいいっしょ」



その自由さがまた桐谷を羨むところだった。

俺はカテゴリーを気にし過ぎてしまうきらいがある。

この古臭い絵柄では流行の最先端を行く少年漫画は難しいだの、専門知識が求められる青年漫画は描きたくないだの、あれこれ言い訳して描くのを保留、延期し続けた。


結果、アーティスティックな作品を受け入れてくれるマイナー誌へ投稿することに決めたのだ。

そのマイナー誌は読者も少ないし、ベテラン頼みで新人育成に力を入れていない雑誌だった。

ここでなら失敗しても目立たない。駄目でも傷つかない。ダメージは最小限で済む。

そうやって俺はいつも保身ばかり考えていた。



「武田くんもさ、たまにはガチってみたらどう? 良い結果が出るかもしれないよ~」

「俺は俺なりのペースで頑張ってるつもりだよ。大分省エネ気味だけど」

「それもいいけど、持てる力をすべて発揮した先に見える地平線? ホライゾン的な? そういうのあると思うんだよねぇ。限界突破しちゃって宇宙にGOしてみるのもいいと思われ」

「なに言ってるのかよく分からんが全力を出せってことか?」

「そゆこと。脳汁ドバーって出るくらいドーパミン出しまくって頑張っちゃいなよ。一度はさ」



おそらく桐谷にとっても俺のやる気の無さはやきもきするものがあるんだろう。

励ましてくれているのか、活を入れてくれてるのか分からんが、ともかく好意は伝わってくる。

それならば自分の出来る限り、頑張ってみようと思う。




◇◇◇


あれから1ヶ月が経過した。


カリカリとGペンを走らせる音だけが部室に響いていた。

図書準備室には俺と桐谷の二人だけ。

あれから俺は毎日漫画研究会の部室に来て、自分の作品の執筆を続けていた。

少しずつ作品は完成に近付き、そして遂に……。



「で、出来た!! 完成したぞ!! 桐谷! やった! 俺、やったんだ!!」

「おめでとー武田くん! 弟子の巣立ちを無事に見届けられて師であるわしは嬉しいぞい」

「マスター感謝してます! あなたの導きのおかげです! フォースと共にあらんことを!」

「珍しく私のボケに乗っかってきてくれたねぇ。いつもはガン無視なのに。それだけ機嫌がよくハイ↑になっていると言うことですな」

「ハイそうです。なんてな! わはは。早速応募してみるよ。コピー取らなきゃな。でもコンビニのコピー機で自分の漫画コピーするってどんな羞恥プレーだよ。恥ずかし過ぎだろ、わはははは」

「ハイを通り越してクレイジーになっちゃってるし。でもまあ行ってきな。止まるんじゃねえぞ……」



この時の俺はどうかしていたのだ。

ありったけの力と心血を注いで描きあげた初作品の完成度に満足しきっていた。

ところが結果が出た二ヶ月後、俺は自分の愚かさを思い知る。





◇◇◇


――綾乃が部室を訪れると、机に漫画雑誌を放り投げてうなだれている武田の姿があった。

綾乃は武田のただならぬ姿に驚く。

ここまで落胆し、憔悴しきった姿は初めて見る。


「あ、あの。武田くん?」

「……ダメだった」

「あ、あーそうなんだ。残念だったね」

「やめる。もう漫画を描くのも絵を描くのも今日限りで終わりだ」

「えぇっ!?」


なにかの冗談かと思ったが、武田の深刻な表情から察するに、武田は本気で絵を描くのを止めようとしているらしい。

綾乃は困惑した。

普段は軽い調子で武田をからかう彼女だったが、さすがにこれだけ傷心している彼をからかうわけにはいかなかった。


「そ、そんなもったいないよ。武田くんはすごい才能を持っているんだからさ」

「すごい才能を持っているなら、なんで落選するんだ」

「まだ一作目でしょ。気にしなくても大丈夫だよ。そんな百発百中ならぬ一発一中で新人賞なんてもらえないものだよ」

「結構懸けてたんだ。この作品に色々な思いを、今できる自分のすべてをさ。それがダメだったんだ。……もう無理だよ」


こいつは何を言ってるんだ?

たかだか一度失敗しただけじゃないか。

それでもう心が折れるだなんてどれだけ繊細でナイーブな男なんだ。

綾乃は発破をかけてやる事にした。



「たった一回の挑戦で上手くいくわけないでしょ! 手塚治虫だって宮崎駿だってピカソだって北斎だって何度も挑戦して描き続けたから巨匠になれたんでしょ? 諦めず死ぬまで描き続ければ必ず結果は出るはずだって」

「桐谷、お前本気でそう思っているのか?」



そう反論する武田の顔は幽鬼のように青ざめていた。



「お前、入学してから何作も描いているのに全然上達してないじゃないか」

「失敬な! こ、これでもかなり上手くなっているんだから!」

「確かにお前はレベルアップしているさ。あれだけ何百ページも描いているんだからな。だがそれはレベル1が3になった程度のものだ。プロの最低レベルが70必要なのに、お前のレベルは3のままだ。そしてお前のレベルには上限がある。おそらくどれだけ努力を積んでもレベルは20くらいで打ち止めだ。くくく。まあ俺のレベルの上限も大した事ないんだろうけどな。よくて40か50ってところか」

「そんな事ない! 私はもっともっと上手くなるもん! それに武田くんの限界はそんなもんじゃない! プロにだって絶対なれるはずだよ!」

「もっと現実を見ろよ桐谷。世の中に一体どれだけ絵描きがいると思っているんだ? 漫研だって何百もあるし、漫画家志望者は何万人といるんだぞ。プロ志望じゃないアマチュアの奴らでさえ、俺らの何百倍も絵が上手い奴らだらけだ。ピクシズやツイッダーのイラストを見てみろよ? 何度転生したってこんな絵描けるようになれねえよってレベルの天才だらけなんだぞ? そんな奴らで世界は満ち溢れいるってのに、俺たちみたいな無能のゴミが描いた原稿が評価されるわけないだろ」

「もういい加減にして! いつまで他人と比較すれば気が済むの? 武田くんが一番にあらがわなければならない相手は自分でしょ!」

「――っ!」



武田は下を向き苦虫を噛みつぶしたような顔になった。

部室内に沈黙が訪れる。


窓外では通路を黄色く染めたイチョウの木から落ちた葉が、木枯らしに乗って高く舞い上がっていた。


やがて綾乃は優しく微笑んで武田へと語りかける。

武田は捨て鉢のようになっていた精神状態から回復し、綾乃の言葉に耳を傾けた。



「武田くんはどうして漫画を描いているの?」

「どうしてだろう。こんな面倒くさくて誰にも評価されないものを作るだなんて時間の無駄だって分かっている。けど止められないんだ。描くのを止めよう、筆を折ろうって何度も思ったけど気が付くとまた描きたくなってしまう」

「それでいいじゃない。描きたい気持ちを止める必要なんてない」

「でも、俺はこんな非生産的なこと、さっさと止めちまいたいんだ。すっぱり諦めて違う道に進みたいんだ。今後は受験勉強だってしなくちゃいけないだろうし資格を取得するための勉強なんかもしなければならないだろう。だったら漫画を描くのを止めれば人生の無駄な工数は省けるはずだ。きっとそうなんだ」

「武田くんは本当にそれで……幸せなの?」

「……分からない」

「結局堂々巡りだよね。だったらその矛盾を抱えて生きていけばいいよ。割り切れないことなんて沢山あるんだから。苦しみも喜びも両方感じるからこそ人生なんだよ。それは武田くんにとって漫画を描くことと同じでしょ?」



武田はがくりと肩を落とした。

綾乃の言葉はこれまで何度も自己問答してきた言葉だった。

それ故に深く胸に突き刺さったのだ。



「夢ってのは逃げても立ち止まってもどこまでもついてくる影みたいだな。振り払いたいのに切り捨ててしまいたいのに、離れてくれない。まるで業だ」

「夢だって影だって業だって結局自分の一部だよ。一緒に生きていけばいいんだよ」



綾乃が武田の手をぎゅっと握った。

その力強さに、武田は一瞬戸惑った。

そして込められた力の真意に気付いた。

綾乃の強い気持ちが流れ込んでくる。



「ありがとう桐谷。元気が出たよ」

「よかった。励ました甲斐があったよ」

「それとさ、お前いつものオタク臭い変な喋り方じゃないと、その……普通に可愛いな」

「……え? えええ!?」



綾乃と武田はいつもと違う雰囲気にあてられ、顔が紅潮していくのを感じた。

武田は綾乃に握られた手を、強く握り返した。

二人だけの図書準備室にはいつもどおりの穏やかな時間が流れていた――。

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