23話 サンタ偵察部隊 その2

「何かヤバイっ!」


 ナッツは反射的にリコのいる方とは逆向きに方向転換する為、サンタ膂力を全開にして床を蹴った。


「なっ……にっ!?」

 ナッツが地面を蹴ったと同時に、彼女の身体がリコの方へと勢いよく引き寄せられた……いや、この車内の空間全てが、リコの方へと引き寄せられている。


 リコの持つトキムネは、刀身が通った空間や物体を納刀と同時に、概念で以って切断する。


 そして空間を概念で切断すれば、空間が圧縮される。


 敵がどこにいるかわからないのなら、周囲の空間を無差別に圧縮し、車内の物体を全て引き寄せることで、姿の見えない敵を引き寄せようとした。


「空間を斬って圧縮できるの!?」


 空間圧縮により生じる力は凄まじく、ナッツの体はリコの方へと勢いよく引き寄せられていく。物に捕まれば踏ん張れたかもしれないが、空中にいる状態では抵抗不能。空中に跳んだのはミスだった。


 どうしようもない中でナッツはナイフを構える。


 空間全てを引き寄せたということは、リコは彼女の位置を正確には把握していないことの証明。ならば先手を取れるのはナッツの方だ。


 これはむしろチャンス。ナッツはそう考えた。


「やっと車外のスライムを戻せた……間に合ってよかった」


 セイレンは床に空いた穴から車外に配置していた大量のスライムを戻し、自分の血液を加えて目立つ赤に着色する。


 そしてそのスライムを空中で破裂させ、車内を赤で埋め尽くした。それは透明化したナッツの体にも付着し、あまりにもわかりやすい目印をつけた。


「っ……! 間に合わない!」


 ナッツは状況を理解し、体に付着したスライムに香水を吹きかけようとする。


 リコとナッツの視線が交わる。リコの目にナッツの姿は映っていないが、完璧に位置を捉えてる。


 付着したスライムへの透明化が間に合わない。


 リコは迷いなく、トキムネを抜いた。


「うっ……!?」


 ナッツはとっさにナイフでトキムネを受け止める。だがリコの剣技の冴えは凄まじく、斬り結んだ状態から刃を返し、狙いすましかのようにナッツの右肩を切り裂いた。


「いったっ……なんでこんなに狙いが正確なの!」


 目印がついているとはいえ、ここまで正確に攻撃を当てられた経験は、過去に一度もなかった。


「身長163、肩幅34」


「了解っ!」


 それだけにとどまらず、一度斬り結んだだけでリコは、ナッツの身体情報を正確に計測した。その情報を基にセイレンは、ナッツを捕らえるためにスライム網を即興で作り上げ、投擲した。


「こいつらなんなの!?」


 見えていないはずなのに、リコは初太刀を当てた後も、何度もナッツの体を正確に捉え、トキムネを振るい続ける。


 ナッツは体に付着したスライムをすぐに透明化させたが、それでもリコは彼女を捉えて逃さない。


 懲罰部隊隊長の名に恥じぬ、速さと威力を備えた斬撃の嵐を前に、ナッツは回避も退避もままならない。


 そんな中で、リコの背後からはリコとナッツをまとめて捕らえるためのスライム網が迫っている。


 スライムの網にリコと共に捕らえられたら、インファイトに持ち込まれる。そうなれば敗北する。


 いままさにリコと切り結んでいるナッツにはその確信があった。


「パイン! G-5を開けて! かなりヤバイ!」


「開けたよ、お姉ちゃん」


 ナッツは通信機でパインに指示した。リコのいる床の上に設置された透明化地雷を起動するように。


 ナッツは斬撃を紙一重で躱しながら、リコを事前に仕込み、透明化させておいた地雷の上に誘い込んでいた。


「ありがとう! 流石の速さ!」


「こっちはもう終わったから、これからはサポートに専念しつつ、そっちに向かうよ」


 指示を出したと同時に床に穴が開いた。完全に罠にはまった。ナッツはそう確信した。


 だが、穴が開く直前にリコは天井付近まで跳躍していたのだ。


「何が起こるのか分かっていれば、読みで対処できるぞ」


 それはあらゆる知覚が不可能な透明化地雷を回避する神業。サンタ戦を重ねた経験と読みが見せる、理外の回避。


「なんなの! こいつは!」


 ナッツは理不尽としか形容し得ない、リコの圧倒的な対応力に嘆きながら、目の前に迫ったスライム網に香水を吹き掛け透明にする。


 透明にしたスライムは、セイレンが操作不能ないのは確認済み。


 制御を失ったスライム網は、ただの液体に戻る。


 ナッツはリコが天井にいる隙に、床に開けた穴を飛び越えた。


 リコを素早く仕留めるのはあまりに困難すぎる。ナッツは負傷しサポートに専念しているセイレンを先に始末することに決めた。リコに専念できる状況を整えなければ、どうにもならない。


「貴様の動き、読めているぞ」


 リコは天井に両足をつけ、そこからサマーソルトの動きで、トキムネを振るう。その斬撃がナッツの背中を裂く。


 彼女はこの攻撃を読んで、回避していたが、それでもかなり深く切られ、透明の血が溢れる。


 ナッツは背中の傷を無視し、セイレンに向かって一直線に駆ける。


 床や壁に散らしていたスライムは、スライム網の材料として大半が使い果たされていた。それゆえ、セイレン自身を守るスライムはほとんど残されていない。


「セイレンの方へ向かっているのだろう? させると思うか?」


 宙を舞うリコは走るナッツの方向に、トキムネを振るい、刀を収めた。


 空間は圧縮され、ナッツの体がリコへと引き寄せられる。


「そうすると思ってたよ」


 リコがトキムネを納刀したと同時に、ナッツは後ろを振り向き、拾っておいたG-5と番号を付けて呼んでいた地雷のスイッチを押した。


 次の瞬間、リコは巨大な壁が“激突してきた“ような衝撃と共に、セイレンとは逆方向に勢いよく弾き飛ばされた。


 リコは意図せず、透明で巨大な何かを引き寄せてしまったのだ。


「これで流石に動けないでしょう!」


 ナッツは空間圧縮が行われると同時に、吸収しておいた床を放出したのだ。


 床を放出する速度と、空間圧縮による加速。二重に加速された破壊力は凄まじく、さしものリコもダメージが大きく、立ち上がれない。


「リコっ! まずいな……」


 セイレンはリコの様子を見て、喉の傷を塞いでいる血液スライムを解除した。


 そして喉の傷口から、おびただしい量の血が辺りに撒き散らされる。それを再度スライム化させ、ナッツを迎撃する為の血液スライムを用意する。


 血を出しすぎて意識が遠のくが、無視するしかない。


 セイレンはダメージと引き換えに得た、大量の血液スライムを周囲に張り巡らせてレーダー兼バリアとする。万全には程遠いが、これがいま取り得る中では最良の策。



 セイレンの目の前に貼ったスライムが微かに揺れる。透明化した相手に触れても、その感触はない。捕らえた物体がナッツである保証はないが、彼女は満身創痍の体でそこを蹴った。


「うっ……」


 帰ってきた感触は、硬い金属の板を蹴ったような痛み。セイレンが蹴ったのは、最初リコが落ちた時に地雷が吸収した床の切り抜き。ナッツはセイレンの喉を裂いた時に、地雷を拾っておいた。それをいま使った。


 深いダメージによる影響で、セイレンには蹴りの反動でよろけた体を立て直すほどの力はもう残っていなかった。


「今度こそあなたは終わり!」


 まして、一切知覚不能な相手からの攻撃を捌くことなど不可能だった。


 ナッツは手に持ったナイフでセイレンの全身を切り刻み始めた。


 無傷の状態であれば反撃も可能だっただろう。だがいまのセイレンには傷口から出た血をスライム化させ出血を抑えながら、致命傷を避けるので精一杯。


 そしていくら血を止められるとしても、何十箇所と深く切られれば流石に死ぬ。


「……貴様っ!」


 セイレンを攻め立てるナッツの頬を、トキムネの鞘が掠めた。


 なんとか持ち直したリコは、セイレンの傷付き方から、ナッツの位置に当たりを付け、鞘を投げた。


 結果的に命中こそしなかったが、読みはかなり正確だった。


 ナッツはリコの戦闘能力に戦慄する。この懲罰部隊隊長はとても自分の手に負える相手ではないと。


「その状態から起き上がってくるんだ。だったら仕切り直そうかな。まぁ、一人無力化したから十分だよ」


 ナッツはセイレンにトドメを刺さんとする手を止め、先頭車両へと繋がる扉を開けた。


 スライムによる援護もここまで傷を負ったセイレンでは行えない。もう充分だ。


 それよりもセイレンを深追いし、リコに追いつかれる方がよほど問題だ。


 ナッツはリコと一対一で正面から戦い、勝つことは無理だと悟った。


 奇襲するか、複数で挑む。リコに勝つにはそれしかない。


 それにナッツは中身の入った地雷を補充する必要もあった。


 この車両から中身の入った地雷を補給することはもうできない。これ以上穴を開けると電車が崩壊してしまう。奪取する予定の兵器を、ベストな位置まで輸送するためにも、この電車はまだまだ走ってもらう必要がある。


「パイン。私一人でリコを倒すのは厳しい。ここから離れて、先頭車両に向かう」


「おっけい。クルミお姉ちゃんとアリーがキャロル相手に苦戦してるみたいだから、助けに行ってあげて」


「わかった。これから合流するよ」


 ナッツは床に倒れこみ、辛うじて生きているだけのセイレンに香水を吹きかけて治療不能な状態にしてから、先頭車両へと進んだ。


 殺す時間はないがこうして透明にしておけば、治療も僅かな意思疎通もさせずに済む。



「くっ……すまない……」


 強く打ち付けた体を庇いながら、リコはサンタの秘薬を取り出し、セイレンがいるであろう場所に置く。


「私が責任を持って奴を倒す。休んでおいてくれ」


 重傷のセイレンを置き去りにするのは危険だが、リコはナッツを追撃することを選んだ。


 敵のチームは全員が透明化した状態で連携を取っている。


 電車の制御が乗っ取られていた。電車の制御を行えるのは先頭車両の運転席。そこにいたキャロルが倒されたとは考え難い。きっと何か考えがあって、運転席を占拠させたのだろう。キャロルのことだ。通信が途切れる危険を理解した上で、正しい判断を行った。


 だがいま対峙したサンタまで加勢されたら、キャロルであっても負ける可能性がある。


 兵器開発局は手強い。少しでも油断すれば、負ける。


 カナンとソニアに合流する考えも浮かんだが、あの二人なら問題ないとリコは考え、キャロルと合流する為に、扉を開けた。

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