第231話

 幾人かの自己紹介が終わり、いよいよ外の景色にも見飽きた頃になって彼の番がやってきた。


「俺の名前は飯田健介。正直特進コースに入れるなんて思ってなかったから、今から皆についていけるか不安だけど、仲良くしてくれよな!」


 恭弥はその声を聞いた瞬間手遊びでペン回しに使っていたボールペンを机に落としてしまった。


「嘘だろ……?」

 可能性は十分にあった。死んだはずの父が生きていて、以前の世界と比べて様々な常識が変化しているのだ。当然、彼と再び出会う可能性は考えられた。だが、まさか退魔師見習いとしての身分で出会うとは思わなかった。


「落ち着きなさい。恐らく彼に記憶はないはずです」

 異変に気付いたらしい桃花がこちらを振り返り、そう耳打ちする。

「だ……だったとしてもだ。どうしてこんなところで……」


 通常、強力な異能を持った退魔師は世襲制だ。制度としてそうなっているところもあるが、何より異能の継承には血の力が重要な因子となっている。そのため、才能のある退魔師の多くは名の売れた旧家から排出される。


 飯田という名の御家は少なくとも恭弥の知るところでは存在しない。健介は純粋に自らの努力でのみ特進という切符を入手した事になる。それは並大抵の事ではない。


「彼は退魔師に憧れていました。きっと努力を惜しまなかったのでしょう」

「だからって……俺はあいつに普通に過ごしてほしかったのに……」


 以前の世界で唯一と言ってもいい普通側の友人だった健介。彼にはこんな血なまぐさい業界とは無関係のところで幸せになってほしかった。だが、


「それは恭弥さんの願望です。気持ちを押し付けるのはやめなさい。貴方らしくもない。そんなにショックだったのですか?」

「そりゃあ、まあ、な……」


 なってしまったものはしょうがないとはいえ、やはり彼には普通であってほしかった。


 特進の意味するところはまだわからないが、現役で退魔師をやっている者も多く在籍するという事はそれだけ他と比べて危険と隣合わせなのは間違いないだろう。


「そんなに心配しないでもたぶんすぐに脱落するでしょ。特進って一回生を終える頃には半分になってるらしいし」

 後ろから盗み聞きをしていたらしい薫がそう言ってきた。


「そうなのか?」

「おじさまから何も聞いてないの? 伊達に特進って名前ついてないよ。私達は大丈夫だと思うけど、単位制で実習がかなりキツイみたいだよ」

「いや、パンフレットを見ただけだから何も知らなかった。でも、そうなのか……」


 健介には悪いが、少しだけ安心した。彼には血なまぐさいのは似合わない。友達と楽しく笑顔で遊んでいる姿こそが似合うはずだ。


「ん? ちょっと待てよ。それじゃあ文月はどうなるんだ?」

 単位制で実習があるならば、異能を持たない文月は確実に進級出来ないのではないだろうか、そう思っての質問だったが、

「傍使いは種々の実習は免除されるの……ちょっとは陰陽塾について調べたら? 流石に何も知らなすぎだよ」

 薫は若干胡乱な目をしてそう言った。

「ひ、暇な時な……」


 そうこうしている内に、文月の自己紹介の番がやってきたようだった。彼女はたおやかな仕草で立ち上がると、英一郎から借り受けたマイクを使いこう言った。


「天上院文月と申します。私は恭弥様の傍使いとして入塾致しましたので、皆様より一つほど年上になりますが、仲良くしていただけると嬉しいです」

 そう言って文月は美しい一礼を見せた。その姿からはすでに一人前の傍使いである事がはっきりしていて、他にも傍使いとして入塾した者はあれどレベルの違いにクラスが湧いた。単純に美貌の差、というのもあるかもしれない。


「後でまとめて紹介するが、天上院を含めこのクラスにはすでにプロとして第一線を走ってる退魔師、傍使いが在籍している。わからない事があれば大抵の事は答えられるはずだから、ひよっこ達はまず彼らを目標とするように」


 英一郎の発言に、再びクラスが湧いた。余計な事を、と思わないでもなかったが、どうせいつかはバレる事だ。それならば最初からこうして発表した方が混乱は少ないのかもしれない。


 そうしてつつがなく自己紹介が進んでいき、桃花の番になった。


「椎名桃花です。わたくしはすでに退魔師ですので、よろしくお願いします」

 一体何がよろしくお願いしますなのか、相変わらずのコミュ障ぶりに恭弥は若干の苦笑を見せた。すると、後ろに目でもついているのか、キッとした鋭い眼光で睨まれてしまった。


「ちなみに等級は?」

「英一郎さん、悪ノリはやめてください」

「いいじゃねえかよ。皆気になってる事なんだしよ。それに、ここで答えなくてもどうせ俺が後で発表するんだ。答えてくれよ」


 桃花が苛立ったのが後ろの席からでもわかった。しかし、どうやら彼女は答えるようだ。

「……一級です」

 桃花がそう答えると、文月の時とは違う意味でクラスが湧いた。


「とまあ、このように生徒の中には俺と同じ等級の奴もいる。だから、この場での先生はもちろん物を教えるという意味の先生でもあるが、側面としては人生の先達って意味のが強い。人間関係だったり就職先をどうするだの、そう言った事を教えるって意味だな。なので、お前らは気軽におじさんに相談するように」


 相変わらず枠にはまらない乱暴さだが、英一郎は人として尊敬出来る。そう思っていると、


「あ、でも恋愛事はやめてくれよ? むしろおじさんが教えてほしいくらいだからな」

 せっかく格好良く決まったのにこの一言で全てが台無しだった。


「よし、次は狭間だな」

 英一郎からマイクを渡された恭弥は、必要最低限の自己紹介をする事にした。下手な事を言って目立つのが嫌だったのだ。だが、


「狭間恭弥です。桃花と同じく俺もすでに退魔師です。等級は二級。よろしくお願いします」


 先程の文月の傍使い発言でくさびが打たれていたところに、「桃花と同じ」という美人を呼び捨てにしたところで青春に燃える男子学生の心に火がついてしまった。各地からブーブーとブーイングが上がる。


「え、なんで?」

 予想もしなかったブーイングの嵐に戸惑っていると、更に状況を悪化させる存在が現れる。

「お前達無礼であるぞ! この方をどなたと心得る!」

 ポンっという音と白煙と共に現れたハクが、恭弥を守るように両手を広げてそう叫んだのだ。


「おい、嘘だろ……ハクお前、ついてきていたのか」

「当然でございます。ご主人様あるところにハクはおります故」

 ハクはふんすと鼻息荒くそう宣言した。どうやら隠形の術を活用して後をついてきたようだった。


「頼むから消えててくれ。これ以上話しをややこしくしたくない」

「むぅ……それが命令ならば」

 登場とした時と同様にポンという音と白煙に紛れてハクが姿を消した。


 ハクの登場で一瞬静まり返ったクラス内だったが、再びブーイングの嵐が舞う。

 彼らはクラスでも1、2を争う美人と入塾時点で関係を持っているという事に文句を言っているらしかったが、それに加えてハクが現れた事で更に湧いた。


「あー、静かにしろ。お前らの疑問はおじさんが代表して聞いてやるから。ずばり、狭間君は天上院と椎名、そしてさっきの不思議生物とはどういう関係なのでしょうか」

 完全に悪ノリだった。英一郎は関係性を知っているはずなのに、この状況を楽しんでいるようだった。ニヤニヤしているのがその証拠だ。悪い大人である。


「ちくしょう……後で覚えていてくださいよ」

「おじさん何言ってるかわかんないなあ……つーか、マジな話答えてやれよ。どうせ後でバレるんだからよ」

「……文月とは先程彼女が言った通り、傍使いと主人の関係です。そして、桃花とは同業者の関係です。ハクは……俺の悪行罰示神です……これで満足しましたか」

「ま、いいんじゃねえか? 後はおじさんがまとめてやるよ」

 そう言って英一郎はマイクを奪っていった。


「本当は後でまとめて紹介するつもりだったが、ここの三人は皆とはちょっと事情が違ってな。椎名、狭間、それから次に自己紹介する鬼灯は御三家と呼ばれてる。皆も名前くらいは聞いた事があるだろう。そういうわけで、退魔師としても様々な事情を抱えているんだ。だから突っつくのはこれくらいで勘弁してやってくれ」


 英一郎がそう言うと、ピタリとクラスが静まり返った。業界に詳しくない人でも御三家の名くらいは聞いた事があるからだろう。


 古来より権力者を困らせて首が飛んだという話には事欠かない。これ以上のブーイングは自らの身が危ないと判断したのだろう。その辺りは流石に特進である。


「うし、じゃあ次は鬼灯な」

「ええ……なんかこの空気で自己紹介するの嫌なんですけど」

「そう言わずに、空気を変えるような明るい自己紹介を頼むぜ」


「えーと、鬼灯薫です。私も、もう退魔師として働いています。等級は一級。英一郎さんに紹介された通り、御三家ではありますが、そういったものは気にせず気軽に声をかけてくれると嬉しいです。とにかく、仲良く楽しくやれれば嬉しいです!」

「はいお前ら拍手ー。どうしたぁ、拍手だぞ、拍手。クラスメイトが自己紹介を終えたんだ。それくらいしてやらないとな」


 と言って英一郎は拍手をした。ノリのいい学生が英一郎に続いて拍手をすると、最終的にクラス内が拍手に包まれて明るい空気になった。


 そうして全員が自己紹介を終えると、ややあってチャイムがなった。レクリエーションにあてられた時間は2限分なので、丸々90分時間に余裕があるという事になる。


 それも全て必要な伝達事項を英一郎がサボったからともいえるが、空いた時間は交友関係を築けと言われたので、長話が苦手な恭弥にとってはありがたかった。

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