第181話
三人は再び歩きだした。道中嫌がらせをするように餓鬼を始めとする低級の妖達が棺桶を狙って襲いかかってきた。そのたびに恭弥は身を挺して守るものだから、彼の身体は次第に傷だらけになっていた。
どういう訳か、妖達を討ち取っても彼の身体に刻まれた傷は完治する事なく、傷痕として残るのだ。先程天城が説明した事と矛盾が生じる。
「なぜ恭弥さんの傷は治らないのですか」
「この世界では無意味な事は起こらん。自罰的になっとるのかもしらんのお」
「自らの行いを悔いるためにあえて傷を残していると?」
「本当のところはわからんよ。我は小僧と身体を共有しとるとはいえ、この世界においてはその繋がりはか細く薄いものじゃ。それに――」
どうやら会話の時間は終わりのようだった。次の記憶を辿る時間が訪れたようだ。眼前に鬼に乗っ取られた千鶴が現れた。
「っ! あんなものまで出てくるのですか!」
「当然じゃ。小僧の記憶なんじゃからの。あれには我が取り憑いとるからのお、強いぞ。心してかかれ」
「貴方も手伝ってください!」
そう言うと、天城は心底面倒そうに頭をポリポリと掻いてこう言った。
「しょうがないのお。一発だけじゃぞ」
天城はバネのようにググっと身体をかがませたかと思うと、次の瞬間には千鶴の背後に移動していた。遅れて、鬼のものとも千鶴のものともつかない絶叫が響き渡る。
「後はお前達二人でやれ」
天城は鞠で遊ぶように今しがたもいだ千鶴の腕をポンポンと宙に浮かせては取るを繰り返しながらそう言った。
「なんという力……!」
感心している時間はないようだった。鬼と化した千鶴は片腕をもがれた事にいたく激昂していた。いつの間にか気配を消している天城の代わりに桃花と恭弥にその憎しみをぶつけようとしていた。
(片腕とはいえ我々だけで勝てるかどうか……)
以前こうなった千鶴を救い出した時は、恭弥が術で彼女の動きを止め、桃花が弱体化させた。そうして弱ったところを恭弥が捕食したが、今の恭弥に捕食の能力はあるのだろうか。
「恭弥さん、捕食は出来ますか?」
そう問いかけると、恭弥は首を横にぷるぷると振った。
「そうですか……。わかりました。わたくしが囮になります。恭弥さんはその隙に背後からお願いします」
恭弥が頷いたのを確認した桃花は、雷斬に雷を纏わせて正面から突撃した。敵を倒す事さえ出来ればどのような傷を負っても回復するからこそ出来る強引な戦法だった。
「はあ、はあ……なんとか倒せた……!」
途中、腕を噛みちぎられたり散々な目に遭ったが、なんとかして鬼と化した千鶴を倒す事が出来た。だというのに、
「お前、ほんとーーーーに弱いのお。やっぱり神楽に来てほしかった。待っとる間退屈で退屈でしょうがなかったわ」
あんまりな天城の言い分に、ピキリときた桃花はこう言い返す。
「そう思うのなら天城さんが戦えばよいのではなくて?」
「そうもいかん理由がある。我は強すぎるからの」
ふんすと鼻息荒く無い胸を張る天城を見ていると、桃花は妖相手に不覚にも苛立ってしまった自分を恥じ入る気持ちが湧き上がってきた。
ため息一つ、気持ちを落ち着かせた桃花は人形の欠片を拾い、棺桶の中に眠る人形の上にそっと置いた。幾分か人形らしくなったが、やはりまだまだ先は長い。
「ほれ、ちんたらしとらんと次に行くぞ」
次の相手は巨大な白蛇、つまりは水釈様だった。
「あれは水釈様……恭弥さんはあんなものとまで戦っていたのですか……」
「ビビっとる暇があったら限界まで雷を出せ。再生を阻害するんじゃ」
「わ、わかりました!」
桃花は雷斬の刀身から雷を限界いっぱい発した。水釈様の身体が焼け焦げ、その側から再生していく。
「ようし、よいぞ。そのままやっとれ」
天城は水釈様に向かって駆け出すと、自身の身体が焼け焦げるのもいとわずその身にかぶりついた。バクバクと恭弥のソレよりも圧倒的に早いスピードで喰っていく。
(捕食? なぜ恭弥さんではなく天城さんが……)
桃花の疑問をよそに、天城はあっという間に水釈様を喰い切ってしまった。
「ふう、喰った喰った。ほれ、欠片じゃ」
今はまだ口に出して問いかけるほどではないが、桃花の胸に一抹の疑問が澱のように沈む。その疑問が遂に抑えきれなくなったのは次の記憶での出来事だった。
歩みを進めるほどに増えていく吸血鬼のなりそこない。醜悪な死体の姿をした無数のソレを倒し、屍を積み上げていくと、今度はその親玉であるエリザベートが現れた。
「あーそういえばこいつとも戦ったのお」
天城は手を組んでウンウン唸りながら「どうしたもんかのお」と言いながら辺りをうろちょろしだした。その間に恭弥は一人でエリザベートに立ち向かっていってしまった。が、しかし、今の恭弥と彼女の間には絶望的な力の差がある。恭弥はあっという間に血塗れのボロ雑巾になって吹き飛ばされてしまった。
「恭弥さん!」
慌てて駆け寄り彼を介抱する。こんなにボロボロになって尚、彼の目は敵の
「なぜそこまでして……」
「こいつは戦う事でしか自身を証明出来ない存在だからじゃ。それよりも、アレの相手はちと面倒じゃなあ。今の小僧は我の器とはなれん。かといって我がアレを殺しても無意味。そうじゃ! お前が我の器となれ」
「どういう事ですか?」
「こういう事じゃ」
天城はガブリ、と桃花の首筋に噛み付いた。直後、桃花は体験した事のない霊力の奔流に飲み込まれ気を失いかけた。
(しっかりせんか!)
何も無い本当の漆黒の中、唯一聞こえてきた声に耳を傾ける事でかろうじて自分がそこに在るのだと理解出来た。
(己の意識を保ち、鬼の力に飲み込まれるな)
――わたくしは誰ですか?
(お前の名は椎名桃花じゃ)
――名……そう、わたくしの名は桃花。
自身の名を意識した途端、漆黒に包まれていた世界が開けた。今目の前にあるのは一面の花畑。名も知らぬ花々がそよ風に揺れていた。
「ここは……」
「ここは上位存在のための場所じゃ」
いつの間にか側に立っていた天城がそう言った。
「幽世とは違うのですか?」
「似て非なるものじゃな。現実から時間も空間も隔離されておる場所じゃ。しかし、流石は小娘といったところか。陰気臭い小僧の場所とは違って、随分華やかではないか」
「他にもこのような場所があるのですか?」
「小僧の場所は電車とかいう乗り物の中じゃよ。そこはずうっと夕暮れじゃ。ほんに陰気臭くてかなわん。あれと比べれば、まだここは居心地が良さそうじゃな」
「そうですか……何がどうなってこうなったのですか?」
「我らは小僧の記憶を辿っておる。それはつまり、何もかも力任せにやっていいという訳ではない。ある程度は記憶に沿って物事を終える必要がある。それがあの場所でのるうるじゃ」
「なるほど。だから天城さんはあまり手助けをしなかったのですか」
「そういう事じゃ。吸血鬼の娘を倒すには童子切安綱がいる。じゃが、ここには現物はもちろん霊力で作った模造品もない。となれば、お前が小僧の役目を担うしかない、という訳じゃ。わかったか?」
「わたくしは天城さんと契約したという事ですか?」
「否。今回限りの疑似契約じゃ。そも、お前程度では霊力が足らん。恒久的な契約はお前の身を滅ぼすだけじゃ」
「そうですか。一つ、聞いてもいいですか」
「なんじゃ」
「なぜあの恭弥さんは捕食を行えないのですか? いえ、捕食だけではない、鬼の力の解放もです。彼はわたくしの知っている恭弥さんとはあまりにかけ離れている」
「なんじゃそんな事か。あれが文字通りお前の知っている狭間恭弥ではないからよ」
「な……では誰だというのです?」
「しれたこと。元の狭間恭弥よ。話しは終わりじゃ。吸血鬼の娘を倒すぞ」
「あ、まだ聞きたい事が――」
有無を言わさず世界を閉ざした天城は、桃花の意識を表層に戻した。
(よいな、お前の身体では我の力に耐えきれん。短時間で決めろ)
頭の中に天城の声が響き渡る。桃花は花畑での会話の続きがしたかったが、今は目の前の敵を倒す方が先だと思考を切り替えた。
「わかりました。目覚めなさい、鬼の力……!」
桃花の皮膚が漆黒に染まり始めた。それと同時に全身に蒼のオーラが纏わり付く。右手には伝説の名刀、童子切安綱の霊刀が生み出された。
手にして初めて理解した。雷斬や燧に勝るとも劣らないその名刀は、「鬼」を殺すためだけに存在しているのだという事を。
その美しい刀身に目を奪われていると、不意に赤い液体が上からポタポタと落ちてきた。
(馬鹿者! 見惚れとる場合か! はようせんとお前の身体が壊れるぞ!)
刀身を汚した赤い液体、その正体は桃花の口から溢れ落ちた血だった。元々無理をして鬼の力を借りている桃花にとって、解放はただ立っているだけでも強烈に身を蝕む毒だった。
「ゴフッ! 時間が無いというのは本当のようですね……」
桃花は弓引くように身をぐぐっとかがめると、次の瞬間には弾丸のような速度で駆け出した。そしてそのままの勢いでエリザベートを一刀両断した。
エリザベートの死を確認するよりも先に桃花の限界が訪れた。全身の至るところから血を吹き出して倒れてしまった。これに慌てたのは天城だ。
(いかん!)
天城は強引に鬼の力を自身の内に封じ込めた。そして、ヒトガタを取って桃花の生死を確認した。微弱だが、息をしている。
「ほっ……慌てさせおって。なんとか倒せたぞ。といってもその様子では聞こえておらんか」
さしもの天城も無理をさせたという負い目があるのだろう、桃花を仰向けに寝かせて休ませた。
肉体的な損傷は記憶が終われば回復するが、精神的なものはそうはいかない。死にかけたという記憶のダメージが桃花には残っていた。
天城は人形の欠片を回収すると、桃花の隣に腰を下ろした。小休憩という事だろう。
「……すみません」
「無理をさせたのは我じゃからな。少しだけ休みじゃ」
「人形は……?」
「ようやく半分といったところかの。今は気にせんと、休め。次からが本番じゃからな」
天城の視線の先にはぼんやりと見えてきた山の頂があった。彼女には何かが見えているようだったが、桃花にはただぼんやりと山があるようにしか映らなかった。
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