第173話

 翌日、恭弥は神楽をデートに誘っていた。思えば恭弥の方から神楽をデートに誘った事はなかったように思う。


 今の恭弥が消えて、元の狭間恭弥に戻った時、彼が誰を選ぶのかはわからないが、これが恭弥の方から神楽を誘う最初で最後のデートになる。少なくとも恭弥はそのつもりで待ち合わせ場所である札幌駅の白いモニュメントの前に立っていた。


 現在時刻は待ち合わせ時間の10分前。周囲を見渡すと、自身同様誰かを待っている人がたくさんいた。少し早く来すぎたかな、と思っていると、遠目でもそれだとわかる美人がこちらに向かって走ってきた。


「おまたせですー。恭弥さん来るのずいぶん早かったんじゃないですか?」


「いや、今来たところだよ」

 と、定番のセリフを返し、彼女のファッションをさらりと見る。ラベンダー色のタンクトップに薄手のカーディガン、白のロングスカートという出で立ちの彼女は、中身を知らなければ長身も相まってどこのモデルかと見まごうほどに美人だった。


 アクセントとして採用されたであろう十字架のネックレスが退魔師仕様なのが裏を知る人間からすると若干冷めてしまうが、それでも彼女の色気を倍増させていた。


「よく似合ってるよ」

「ほんとですか? ありがとうございます。恭弥さんの方からデート誘ってくれる事なんてないから何着て行こうかなーってすごい悩んだんですよー」


 暗にもっとデートに誘えと言われている気がして、恭弥は「悪い悪い」と言った。


「大丈夫、責めてないですよ。それより、私全然デートプラン考えてないですけど今日はどうするか決めてるんですか?」


「ああ、ちゃんと考えてきたよ。と言っても、状況が状況だから流石に早めに帰ろうとは思ってるけどな」


「えー! 私せっかく勝負下着はいてきたのにー」


「……衆人環視の中でそういう事言うんじゃありません。実は水族館に行こうと思ってるんだ。いいかな?」


「いいですよ。私は恭弥さんと一緒ならどこでも楽しめますから」


 そう言われてしまうと元も子もないが、楽しんでくれそうならよかった。


 恭弥は当初、移動の足に地下鉄を利用しようと考えていたが、せっかくの機会なので自身のバイクで二人乗りをしようと考えた。決して神楽を後ろに乗せたらグラマラスな肢体が押し付けられて楽しそうだと思ったとかそういう理由ではない。決して。


 なにはともあれ、神楽の豊満な胸の感触を後ろに感じながらバイクで走っていると、今まではなんとも思わなかった景色がとても大切なものに感じられた。


 同じ景色でも、誰とどんなシチュエーションで見るかによってここまで変わるものなのかと感動していると、後ろに乗った神楽がこんな事を言った。


「気持ちいいですね。見慣れた景色でも、バイクに乗るとなんだか綺麗に見えます」


「俺も同じ事を思ってた。すげー新鮮な気持ちで運転してる。初めてバイクに乗った頃を思い出したよ」


「私もバイク買おうかなー。そうだ、今度一緒にツーリングしましょうよ。峠のギリギリを攻めてみたり!」


「お前に付き合ってたら事故りそうだ。却下だ却下だ」


「えー! なんでそんな事言うんですかー! 一緒にツーリングしましょうよー」


 本当は二つ返事で頷いてやりたかった。だけど、次に繋がる約束をする訳にはいかない。その約束を果たす時、狭間恭弥が今の恭弥である保証などどこにもないからだ。


 恭弥は風で聞こえなかった振りをしてアクセルを回した。


 水族館についた恭弥は今までの煮え切らない態度を取り返すように目いっぱい神楽の前ではしゃいで見せた。ペンギンと一緒に行進してみたり、イルカショーでは最前列を取って水を被ってみたり、アザラシに餌をやったりした。


 楽しかった。少なくとも恭弥はそう思っていた。だが、神楽はそう思わなかったようだった。水族館を出ようとした時、不意に神楽が立ち止まったのだ。


「どうしたんだ? まだ見足りないところがあったか?」


 神楽は答えなかった。うつむいて、表情を見せようとしなかった。不審に思った恭弥は、彼女の側まで行って肩に手を置き、再び「どうしたんだ?」と問いかける。


「……今日の恭弥さん、なんだか無理してる気がしました」


「そんな事ないぞ? 珍しくはしゃいでたからそんな風に思ったんじゃないか?」


「嘘です。私がどれだけ恭弥さんを見てると思ってるんですか? わからない訳ないじゃないですか。私とデートするの、つまらなかったですか?」


「そんな訳ないだろ。じゃなきゃ、誘ったりしないさ」

「じゃあどうしてそんな無理して笑ってるんですか」


 ここで初めて顔を上げた神楽の目には涙が浮かんでいた。

 これ以上、隠し通すのは無理だ。そう思った恭弥は時計を見た。


「……まだ時間は大丈夫そうだな。もう一箇所だけ付き合ってくれないか、神楽」


 恭弥は神楽を後ろに乗せると、再びバイクを走らせた。目的地は手漕ぎボートを貸し出している公園だった。


 公園に着いた恭弥はバイクを所定の駐輪場に停めて運賃を払ってボートを借りた。そして、池の中程まで漕ぐと、ボートを止めてこう切り出した。


「前に、俺が消えるかもしれないって話しをしたの、覚えてるか?」

「覚えてるに決まってるじゃないですか……」


「そりゃそうだよな。それでさ、俺ちょっと自暴自棄になってたんだけど、よくよく考えたら俺がいなくなっても狭間恭弥の人生は続く訳だろ? だから、俺がめちゃくちゃにしちゃった人間関係を整理しようと思ったんだ」


「……その一環で私をデートに誘ったって事ですか?」


「もちろん、それだけが理由じゃないけどな。最後に思い出を作りたかったんだ。神楽だって、最後に二人きりでまともに話したのが喧嘩みたいな感じだったら嫌だろ?」


「それは、そうですけど……でもひどいですよ。私の気持ちを無視してるじゃないですか」


「……ごめん。なんでこんなに人付き合いが下手なんだろうな、俺。よかれと思ってやったのに、相手を傷つけちまう。ほんと、自分が嫌になる」


「本当に、どうにもならないんですか? 本当に消えちゃうんですか?」


「消えるだろうな。本当の狭間恭弥は別にいるんだ。いつまでも俺に身体を貸す理由がない」


「私、そうなったら後を追いますよ?」


「やめてくれよ。そんな事言われちゃ消えるに消えられないだろ。心配しないでも、お前なら俺以外にも好きになれるやつが現れるさ」


「恭弥さん以外に好きになる人なんていません」

「参ったな……」


 他の人間が言うのならば、口ではそう言ってもどうせその内、と思うが、愛情深い神楽がそう言うと本当に独身を貫きかねない。


 何か思い留まらせる方法はないだろうかと考えを巡らせていると、神楽がこんな事を言った。


「姉さまだって、きっと口では安心させるような事を言ってるんでしょうけど、本心では独身を貫くつもりですよ。そうなれば御家断絶です。全部恭弥さんのせいです」


「桃花が? いやいや、それはないだろう。あいつはなんだかんだ男を見つけるさ」


「いーえ、結婚したとしても仮面夫婦みたいになるに決まってます。だって私の姉ですよ?」


 めちゃくちゃな理論だが、神楽の姉というだけで途端に信憑性が増してしまった。血を分けている以上、恭弥が知らないだけで少なからず桃花にもそういうところがあるのかもしれない。そもそも彼女達の父親からして執着心が強いのだから尚の事だ。


「……そうは言ってもどうしようもない事なんだ。なあ、頼むから俺の事は諦めてくれよ」


「いやです。絶対に諦めません。だいたい、私をこんなにしたのは恭弥さんなんですから責任取ってください」


「……取れるものなら取りたいさ。でも、現実問題、無理なもんは無理なんだ」


「いーから! 諦めないでどーにかしてください! ほらほら、やるって言わないとこうですよー!」


 前に乗り出してきた神楽は、恭弥の頬をつまんでムニムニした。無理やり笑顔にさせようとしているのだ。


「バカ! こんな不安定な場所でこんな事したら――」


 狭いボートの上で暴れたせいで、ボートが転覆してしまった。二人共びしょ濡れで池から顔を出す。


「つめたーい! びしょびしょになっちゃいましたよー」

 神楽は犬がそうするようにブルブルと頭を振って飛沫を飛ばした。


「あ、コラ! 飛沫がかかるだろうが! やめ、やめろ!」

「いいじゃないですか、どうせびしょ濡れなんだから」


「まったく、誰のせいでこうなったと……」

「あはは、気にしなーい。気持ちいいですねー」


 無邪気に笑う神楽につられて、自然と恭弥の顔にも笑みが浮かんでいた。


「はは、そうだな。いい感じに頭が冷えたよ」

「……やっと笑ってくれましたね」


「いや、ずっと笑ってただろ?」

「そんな事ありませんよ。ずっと無理して笑ってる感じでしたもん」


「そうかなあ?」

「そうですよ」


 暫しの無言の時間。神楽は泳いで恭弥の側まで行くと、突然キスをした。そして、いたずらが成功した子供のように笑って見せた。


「デートなんですから、キスくらいいいですよね?」

「……デートだからな。そういう事もあるかもな」


 いい雰囲気が出来上がってきた頃になって、神楽が可愛らしく「くしゅんっ」とくしゃみをした。


「陸に上がろう。このままじゃ風邪ひいちまう」


「ですね。流石にこんなにびしょ濡れじゃどうしようもないです。お家に帰りましょうか」

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