第166話

 部屋に入ってきた桃花は桜柄の浴衣を着ていた。しっとりと髪が濡れているところ見るに、湯浴みを終えてすぐにここに来たのだろう。


「貴方がまたよからぬ事を考えているのではないかと思いまして」

「俺が? そんな事は考えてないと思うけど……」


 桃花は差し出された座布団に行儀よく正座すると、澄んだ瞳でジッと恭弥の目を見た。


「やり直すつもりだったでしょう」

「そんなつもりは――」


「なかったとは言わせませんよ。光輝さんの死は貴方にとって少なからず衝撃を与えたはずです。この結果に納得がいっていないのは誰の目からも明らかでした」


「……お見通しって訳か」

 恭弥は大きなため息をついた。本当に彼女には敵わない。頭の中を覗かれているのではとすら思う。


「だけど、こうも思うんだ。光輝さんが殺生石の力を使わなかったら文月を取り戻す事は出来なかったんじゃないか、ってな」


「何かを得るには何かを犠牲にしなければなりません。その犠牲が、光輝さんだったというだけの話。それでは納得出来ませんか」


「……出来る訳ないだろう。誰もが望む、そんなハッピーエンドには辿り着けないのかな」


「相手が相手です。難しいでしょうね」


(だとしても、俺はそうなるために生み出された存在のはずだ。じゃなきゃ、俺の存在意義がない。やっぱりやり直すのが――)


「ダメですよ」

 気が付くと、至近距離に桃花の顔があった。綺麗な顔だった。およそ欠点と呼べるところがない、どこまでも美しく整った造形美がそこにあった。


「貴方は、わたくしのために生きるのです。わたくしが生きている以上、やり直す事は許しません。生きるのです」


 知らず、彼女の桜色の唇に視線がいっていた。彼女のそれは、肉付きは薄いが蕩けるように柔らかかった。風呂上がりの熱気も相まって、扇情的な空気が高まっていく。


「桃花……」


 ここで彼女の細い肩に手を伸ばして抱きしめられたらどれほど良かったか。こんなにも通じ合っているというのに、作られた存在である自分にはその資格がない。その思い故、伸ばした手は虚空を掴む。


「よいですね? 貴方は、わたくしのためだけに生きるのです」

「……わかったよ。約束通り、俺は桃花のために生きる」


 その返事に満足したのか、桃花は薄く微笑むと離れていってしまった。


「話しはそれだけです。もう夜も更けてきました。恭弥さんも早く眠るのですよ」


「これ読んだら寝るよ。おやすみ」

「ええ、おやすみなさい」


 桃花が部屋を出ていった。恭弥は敷かれた布団に寝そべると、再びレポートの写しを眺めた。視線の先にはやはり、天上院光輝の名があった。


   ◯


 それからすぐに、光輝の葬儀が執り行われる事になった。あの戦いで戦死した多くの退魔師達は、戦時中という事もありその多くが合同葬で執り行われていたが、光輝は天上院家の次期当主という事もあり、単独で葬儀を開く事が許されていた。


 式場は天上院家だった。参列者は近親者と一部の許可された人間達だけだ。恭弥達あの戦いに参加した面々は、本家の英一郎の取り計らいによって告別式のみ参加を許されている。


 焼香を済まし、故人に最後の挨拶をした。死に化粧を施された光輝の顔は、とても死人とは思えないほどに生き生きとしていた。それがまた、やりきれない気持ちにさせた。


(光輝さん……あなたの死は無駄にはしません)


 席に戻り、他の参列者が焼香を終えるまでの間ジッとしているのが辛かった。こんな時、煙草が吸えればどれほど楽だろうか。そう思わずにはいられなかった。


「――は阿呆だ」


 目を閉じて式が終わるのを待っていると、小声で何事か話しているのが聞こえてきた。


「まったく信じられんわ。勝てもしない戦に挑むなど次期当主として自覚が足りんとしか思えん」


「しかも聞けば、妾腹の妹を救うために戦ったのだとか。まったく阿呆じゃ」


 耳がいいというのをこんなにも不幸に思った事はなかった。聞きたくもない話しが次から次へと耳に入ってくる。


「死ねばなんにもならんというのにの」

「まったくじゃ。生きてなんぼのものだというのに、自ら命を捨てるなどと」


 大勢の参列者の中で、誰が話しているのか特定出来てしまった。声の主は老人だった。この場にいるという事は、天上院の関係者だろう。


(あの人がどんな思いで戦ったのかも知らない癖に……!)


 知らず、拳を強く握っていた。


 式が終わり、参列者が続々と帰っていく中、恭弥は先程光輝の事を話していた老人の後を追っていた。どうやら彼らはトイレに行くらしかった。


 二人がトイレに入ったのを確認した恭弥はそのまま自身も後を追おうとした。しかし、通せんぼをするように現れた英一郎によってそれは阻まれた。


「よう、狭間。ちょっくらおじさんと煙草でも吸わねえか」

「……俺トイレに行くところだったんですけど?」

「そうか、なら仲良く連れションでもするか」


 暫しの間、二人は無言で見つめ合った。


「はぁ……そういや俺、そこまでトイレに行きたい訳じゃなかったです」


「だろうな。まあ、男二人で仲良くタバコミュニケーションでもしようや」


「それ今の若い子には通じないですよ」

「マジかよ」


「ていうか、挨拶回りしなくていいんですか。そんなんでも一応北村家の当主でしょ」


「いいんだよ、そういうのはジジイ達に任せてある。それに今は、それより大事な事があるしな。悩める教え子にアドバイスする時間だ」


「なんですかそれ……」

「とりあえず、ここは禁煙だから外に行くぞ。近頃はどこもかしこも禁煙で困ったもんだぜ」


 恭弥の肩を抱いて英一郎は外に向かった。案内された庭の一角には、ベンチが置かれていて、そこに缶タイプの灰皿が置かれていた。臨時に設置された喫煙所なのだろう。


 ベンチに座った二人はポケットからそれぞれ煙草を取り出すと、オイルライターで火をつけた。何度か吸っては吐いてを繰り返した後、英一郎はこう言った。


「悪かったな、あんなんでも身内なんだ」

「……俺の方こそすいません。光輝さんの葬式なのに、どうかしてました」


「お前は悪くないさ。俺だってもう少し若かったらお前と同じ事を考えてた」


「なんで俺ってこんなガキなんでしょうね。いっちょ前に切った張ったしてるのに、いつまでも子供のままな気がします」


「男なんていつまで経ってもガキさ。ただ、歳を重ねれば納得出来る落とし所を見つけるのが上手くなるだけだ。いいか狭間、カッとなったら深呼吸しろ。そんで自分の心に問いかけるんだ。今こいつをぶん殴れば幸せになる人間が自分以外にいるか、ってな」


「自分以外にもいたら?」


「ぶん殴れ。そんで問題になったら周りの大人を頼れ。大人は責任を取るためにいるんだ。お前もそういう大人になれ」


 英一郎は大きく煙を吐き出した。


「……ほんと、卑怯ですよ。英一郎さん、格好良すぎます」

「おう、大人の男は格好良くないとな」


「俺もそんな大人になってみたかったです」

「なれるさ。まだまだ人生長いんだ。生きてりゃどうにでもなる」


「いや俺は――」


 なれない。喉まで出かかった言葉をなんとか飲み込んだ恭弥は「そうですね」と言って吸い終わった煙草を灰皿に押し付けた。

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