第134話

「どうやら逃げられたようだな。まったく、どうして私が運営の時に限ってこんなトラブルが起こるんだ……」

 高橋は神経質そうな目つきを崩さずにメガネをハンカチで拭いてそう言った。


 横では神楽が不思議そうな顔をして恭弥を上から下へと、下から上へと何度も行ったり来たりしながら見ていた。


「恭弥さん、ですよね?」

「そうだよ。久しぶりだね、神楽ちゃん」


 恭弥は酷く懐かしいものを見る目で神楽を見た。彼女は彼の知る神楽ではない。そんな事は重々承知の上だったが、それでも、彼だけは彼女と愛し合った記憶を持っている。そのギャップが彼を苦しませる。これだけは、何度経験しても慣れなかった。


「神楽、ちゃん? やっぱり変です。ちょっと匂い嗅がせてください」


 そう言って神楽は猫や犬がそうするように、匂いを嗅いで恭弥が自身の知る恭弥かどうかを確かめ始めた。果たしてそんな事をして意味があるのかどうか疑問だったが、野性味の強い彼女にとっては何か意味があるのだろう。


 首元や耳の裏、果ては脇の匂いまで嗅いだ神楽はやがて満足いったのかこう言った。


「うーん? 匂いは恭弥さんなのに、雰囲気が私の知ってる恭弥さんじゃないです」


「はは、君は変わらないな。その感想は当たってるよ。僕は狭間恭弥だけど、神楽ちゃんの知ってる狭間恭弥ではないからね」


「どういう事ですか?」


「大丈夫。君は知らなくていい事さ。次に僕が起きた時には、ちゃんと君の知ってる狭間恭弥になっているはずだから」


 それだけ言うと、恭弥は神楽に寄りかかるように気を失った。


「あ、ちょっ! 恭弥さん? 恭弥さん!」


  ◯


 電車に揺られている。最初はそれだけしかわからなかったが、次第に意識がはっきりしてくると、自分が席に座っているのだという事もわかってきた。


「気分はどうじゃ」

 いつの間にか向かいの席に天城が行儀悪く座っていた。彼女は神妙な顔をしている。


「最悪だよ。ここに来たって事は、俺は死んだのか?」


「いいや、小娘の危機に居ても立っても居られなくなったあいつがでしゃばってるだけじゃ。その内元の世界に戻れるよ」


「そうか……今外はどうなってるんだ?」


 問いかけると、天城は顎をシャクった。窓の外を見ろという合図だった。


 後ろを向いて窓の外を見ると、狭間恭弥が冥道院と戦っているのが見えた。信じられない事に、あれだけ手も足も出なかった冥道院相手に狭間恭弥は単独で互角に渡り合っていた。


「あれが……俺?」

「そうじゃよ。あれがお前の行き着く先、人の執念の結末じゃ」


「あり得ない。俺があんなに強くなれるはずが……」

「あるんじゃよ。何度も何度も諦めなかった結果じゃ。お前もいずれああなる」


 半信半疑で戦闘を眺めていると、更に信じがたい出来事が起こった。狭間恭弥が呪姫を召喚したのだ。


「冗談だろ……? 空間に干渉してるじゃないか。あんな術式見た事ないぞ。特級クラスだ」


「あれは呪姫という。あやつが自身で作り上げた渇望の術式じゃ。じゃが、それだけの力をつけて尚、奴は白面金毛九尾の狐には敵わなかった」


「そんな相手と戦わないといけないってのか……」


「あれは神じゃからな。生半可な事では勝てんよ。それを知って、お前はどうする?」


 呪姫がどういう術式なのかはわからないが、強力な力を持っているのだけはわかる。それをして敵わないというのであれば手の打ちようがないとしか思えない。


「そもそも、白面金毛九尾の狐には勝った事がないんだよな?」


「うむ。じゃから、お前がどれだけ記憶を漁ろうと対処法は出てこんよ。お前自身が考えつくしか方法はない」


「やっぱり、復活させる前に冥道院を殺すくらいしか……」

「そうか」


 天城はそう言って佇まいを正すと、「これはあくまで我の仮説じゃが」と続けた。


「おそらく白面金毛九尾の狐の復活は定められた事象じゃ。じゃから、下手人である冥道院を殺したとて代わりの誰かが復活させるじゃろう。それに、これまでも同じように考えあいつも奴を殺そうとしてきたが、その度に失敗しておる。まるで見えない力か何かが働いておるかのようにの」


「そんな……それじゃあ勝ち目がないじゃないか」


「そうとも限らん。奴とて生物じゃ、必ずどうにかする方法はあるはずじゃ。事実昔の人間共は封印に成功しておる」


「んな事言ったって、そんな奴相手にどうしろってんだ……」


 恭弥は思わず頭を抱えた。どう計算しても勝ち目がない。現代に生きる退魔師の質は天城の言う通りであるならばかなり低い。対比して昔の退魔師は相当な実力者揃いだった訳だが、伝承ではその実力者をもってしても討伐する事叶わず、多数の犠牲を出してやっと封印が出来たのだ。そんな文字通りの化け物を相手にどうすればいいかのさっぱり妙案が出てこなかった。


「どうにかするのが君の役目だよ」

 不意に聞こえた声の方を振り向くと、そこには狭間恭弥がいた。天城と話している間に戦闘を終えてここに戻ってきたらしい。


「戻ったか。久しぶりの外界はどうじゃった」


 からかうように問いかける天城に、狭間恭弥は「特に何も」とつまらなさそうに答えると、手近な席に腰を下ろした。


「やっぱり冥道院は殺せなかったよ。後一歩ってところで神楽ちゃんが来てしまった。でも、かなり蟲は殺せたから時間は稼げたと思う」


「ままならんもんじゃのお。殺そうと思えば殺せたじゃろ」


「……わかってて言っているだろう。呪姫を見られる訳にはいかないんだ。そこの彼が困ってしまうからね」

 そう言って狭間恭弥は恭弥をチラリと見やった。


「俺が?」

「いくら僕と同一人物とはいえ、今の君には呪姫は使えない。使えないものを使えると思われれば動きにくくなるだろう?」


 確かに呪姫が使える前提で作戦を立てられてしまえば根底から崩れてしまう。そういった意味では狭間恭弥の配慮は的確といえた。


「そりゃ、そうだけど……呪姫ってのは一体なんなんだ? あんな術式見た事も聞いた事もないぞ」


「知らなくて当然だ。あれは退魔師の開祖が禁術としたものの一つだよ。術者の渇望を表現する術式でね、発動条件がなかなか厳しいんだ。今の誰でも修練すれば使えるように整備された陰陽術とは根底から違う思想で編み出された術さ。使わないに越した事はない」


「あんたが使えるって事は、俺もゆくゆくは使えるのか?」


「どうだろうね。それは君の渇望次第だ。僕としては、呪姫よりもまず物質化の異能を極めてほしいと思ってるけど。順番としてはそっちの方が先だ」


「どんな修練を積めばいい?」


「イメージだ。僕と君の能力の根源は創造力で成り立っている。さっきの戦闘で僕は様々な刀剣のレプリカを創り上げたけど、あれは全て本物と変わらない能力を持っている。大事なのはそれら全ての伝承を知り、自らのものとする事。そうすれば僕らは『拾壱次元』に干渉する事が出来る」


「それが俺の能力の真名か?」


「そうだよ。詠唱は君自身で見つけなければ意味がないから、これ以上は教えない」


「それだけ知れりゃ十分だよ。でも、そんなに強いなら戦闘の時はあんたが出張った方がいいんじゃないか?」


「言ったろう? 僕じゃダメだったんだ。さあ、お話しの時間は終わりだよ。元の世界に戻るんだ」


『次は終点、終点、お客様はお荷物お忘れなきようお気をつけてお降りください』


 スピーカーから車掌の声が聞こえた。同時に、世界が白んでいく。


 目覚めると、全面コンクリート張りの奇妙な部屋にいた。簡素なパイプベッドに寝かされており、手には霊縛呪で出来た手錠がかけられていた。


「……すげー嫌な予感」


 暫く横になっていると、ノブを回す音が聞こえた。振り返り、誰が入ってきたのか確認すると、スーツ姿の見知らぬ女性と高橋が立っていた。見たところ、女性に戦闘能力はなさそうだった。おそらく退魔師ではない。


 こういった組み合わせには覚えがある。なんらかの被疑者に事情聴取を行う際に、被疑者が万が一反抗の意思を見せた際に対処するために退魔師をつけるのだ。


 つまり、恭弥は今なんらかの被疑者になっている。そして思い当たる節といえば退魔師能力測定での冥道院との一件以外にない。


「……一応聞きますけど、俺なんの被疑者になってるんですか」


 その質問にはスーツ姿の女性が答えた。


「あなたには先の退魔師能力測定で現れた妖と共謀していた疑いがかけられています」


「冗談でしょ?」

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