第128話

 答えを出そうと口を開いた瞬間、トイレに起きたのか、小春がこちらに近づいてきた。


「あれ、二人共起きてたんですね」


 二人揃って大きなため息をついた。桃花は残念そうに、恭弥は安堵混じりのため息だった。


「…………もしかしてなんか大事な話ししてました?」


「いえ、どうぞこちらは気にせず、お手洗いに行くならさっさと行きなさい」


 桃花の言葉に若干棘があるように感じるのは肝心な所で邪魔が入ったせいだろう。状況を理解していない小春にしても、トイレに起きるタイミングが悪かったというのだけは察する事が出来たようで、返事をするとそそくさと木々の影に消えていった。


 完全に微妙な空気になってしまった。小春の姿がなくなってから、二人は暫く無言で焚き火を眺めていた。


 話す順番としては恭弥なのだろうが、あの問いの答えをこの空気の中話す気にはとてもなれなかった。それに、答えを出してしまえば何かが確定してしまう気がしたので、あのタイミングで小春が起きてきてくれたのは返って良かったとすら思えた。


 そんな中、先に口を開いたのは桃花だった。


「なんだか、バカらしくなりました。わたくしらしくもない。弱みにつけこんで慰めを得ようなどと、弱い女のする事です」


「……そんな事はないさ。女の子なんだ、ちょっとくらい弱さを見せたっていいだろ」


「プライドの問題です。能動的に女の武器を使用するのはいいですが、今回は別です。それに、貴方としてもその方がよかったでしょう」


「どう、なんだろうな。俺はまだ、誰にも話していない秘密があるんだけど、正直なところ桃花になら話してもいいかと思ってる」


 関わりの深い人物は他にもいる。だが、恭弥がこの世界の記憶を持っている事を話してもいいと思えるのは今の所桃花だけだった。それだけ、彼女が恭弥にとって特別な存在である事の証左だった。


「まったく、秘密の多いこと」桃花はコップを傾け、中のお茶で喉を潤すとこう続けた。「貴方は、本当に不思議な人です。何もかもを知ったような素振りを見せたかと思えば、子供のように情けない姿も見せる。一体、どっちが貴方の本当の姿なのですか」


 透き通るほどに汚れのない、桃花のルビーを思わせる紅い瞳には、焚き火に照らされた恭弥の姿が映っている。瞳の中の恭弥は、どこか不安げな顔を浮かべていた。


「わからないんだ」

「わからない、とは?」


「俺は、俺の事を俺だと思ってたんだけど、実は俺という存在は別にもう一人いて、俺は自分の記憶とかアイデンティティの部分に最近自信が持てなくなってきてるんだ」


「それはペルソナの話ですか」


 人間誰しも家族に対する顔と上司に対する顔、友人に対しての顔など、複数の顔を持っている。桃花はその事を言っているのかと思ったが、恭弥は首を横に振った。


「いや、文字通りもう一人の俺がいるんだよ。二重人格とかそんなんじゃない。でもそいつは、俺の手が届かない場所にいるんだ」


 荒唐無稽にしか思えないような話しをしかし、桃花は真剣に聞いてくれた。


「それが、誰にも言っていない秘密ですか?」


 恭弥は頷き、話しを続ける。話すつもりはなかったのに、なぜだかスルスルと言葉が口をついて出る。本当は、誰かに話したくてたまらなかったのかもしれない。


「実は俺、この世界の人間じゃないんだ。色々はっきりしてないけど、少なくとも俺はそう認識してる。俺にとってこの世界は、漫画とかゲームの世界なんだ」


「別の世界から来たという事ですか? ですが、貴方は狭間恭弥としてこの世に生を受けたはずです」


「なんて言ったらいいかな……タイムリープみたいな感じで、今から二年前くらいに俺の意識がこの身体にインストールされたみたいな感じなんだ」


「二年前、というと恭弥さんが千鶴さんに師事しだした時期ですね」


「そうそう。俺のいた世界では、この世界はゲームになっててさ、俺はなんとなく何が起こるとかわかってたんだ」


 そう言うと、桃花は納得がいったという表情をした。


「道理でおかしなはずです。それまで名も聞いた事のなかったような人間が、急に千鶴さんに師事し、わたくし達に付きまとい始めたのにはそういう理由があったのですか」


「俺の知ってる通りにこの世界が動いていたら、桃花と神楽は当主の座と、一人の男を巡って殺し合いをしてたよ」


「そうですか。まあ、今も似たようなものです」


「いやいや、こんなもんじゃないよ。俺はこの世界に来てからそんな事が起こらないようにやってきたつもりなんだけど、どうもここにきて俺は自分の記憶に自信が持てなくなってきたんだ」


「どういう事です?」


「もう一人の俺がループしてるみたいな事を言ってるんだ。天城もなんかそんなような事を言ってるし、俺は本当に別の世界から転生したのか疑問なんだ。ひょっとしたら、俺という人間が持ってる記憶は、もう一人の俺に植え付けられたものなんじゃないかって……」


 話していて、気分が滅入ってきた。最近はこんな事ばかり考えているような気がする。それもこれも全てもう一人の恭弥がおかしな事を言うからだ。


 恭弥はもうこの話しを打ち切って、寝ようと桃花に持ちかけようとしたが、彼女が発した言葉でその言葉はどこかへいった。


「我思う故に我あり」


 その言葉は、つい最近も天城の口から耳にしていた。


「そんなに自分を定義する事って大事かな」


「今の貴方は、自分自身を見失っています。そんな事では足元をすくわれてしまいますよ」


「わかっちゃいるけど、どうしてもな。メンタルの問題だから、なかなか解決しないんだ」


「よいではないですか、貴方が何者かなど。恭弥さんは確かにここにいるのです。それ以外に、何を求めるのです」


 あっけらかんと言ったその言葉には、慰めの気持ちなど一ミリも含まれていない。百パーセント、本心からの言葉である事がすぐにわかった。


「……ほんと、こういう時女って強いよな」


「女性どうこうではなく貴方が情けないだけです」


「どうせ俺は情けないよ。……でも、ありがとな。ちょっと楽になった」


「それは結構。明日は霊札を奪うのですから、もう寝ましょう」


 コップに残っていたお茶を飲み干し、就寝の挨拶をした二人はそれぞれの寝床へと戻った。

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