第89話
「死ぬな!」
安物の量産品である黒い霊装をまとった男が血まみれの少女を抱き起こしていた。
斜めの視点からでは、ちょうど男の顔は伺いしれなかった。顔を見ようにも、どうしてか身体が動かなかった。だが、男の風貌にはどこか見覚えがあった。
「死なないでくれ!」
――桃花!
(桃花? バカな。じゃあ、あれは誰だ?)
ここにきて、ようやく視点だけは動かせるようになった。相変わらず身体は動かなかったが、それでも先程と比べて得られる情報の量は段違いだった。
見覚えのない森の中だった。木々はなぎ倒され、地面に無数のクレーターがあった。激しい戦闘があったのだろう。だが、肝心の妖の姿が見えなかった。
「クソ! また《、、》なのか! どうしてだ……せっかくここまで来れたのに。やっぱり僕じゃダメなのか……」
(また? どういう事だ。前にもこんな事があったのか)
問いかけようにも言葉が出なかった。それどころが視界が徐々に白んでいく。これは夢で、意識が覚醒しようとしているのだ。
「……桃花!」
ガバリと起き上がる。周囲を見渡す。ここは自室で、自身は狭間恭弥だ。どうしてか自分自身が「狭間恭弥」である事を確認せずにはいられなかった。
「クソ……! なんつー夢だ」
寝汗で寝間着がぐっしょりだった。ここ最近ずっと夢見は悪かったが、今日のはとびきり最悪だった。よりにもよって桃花が死ぬ夢だなんて縁起でもない。
「それにあの男……あれは一体誰だ」
(俺の視点で夢が進行していたという事はあの男は俺以外の誰かだ。なのに、あの強烈な現実感はなんだ。まるで実際に過去に起きた出来事かのような、そんな錯覚を覚えるほどだったぞ……)
コンコンというノックの音がしたかと思うと、文月「朝食の用意が出来ました」と言った。
「……気にしてもしょうがないか。所詮は夢だ。今行く!」
朝食を終えた恭弥は文月と桃花、神楽を伴って学園へと向かった。
赤い月以降、薫は思うところがあるのか朝家の前まで来て一緒に学園に行くという事はなくなっていた。一応学園で声をかければ以前と変わらない態度で応対してくれるが、それでも何かがあったのはなんとなく察せられる。とはいえ、恭弥には藪をつつく気はなかった。特段今の状況に不満がある訳でもないし、蛇が出られてはたまらない。
「恭弥さん昨日なんでライン返してくれなかったんですか? 私ずっと返事来るの待ってたんですよ?」
明らかに距離の詰め方に遠慮のなくなった神楽が言った。神楽は元々恭弥との距離が近かったが、あれ以降更に近くなった。歩いているだけで手が触れるほどの距離だ。
「寝てたんだよ。お前のせいで最近寝不足なんだ、勘弁してくれ」
「えー、やっぱり私恭弥さんの家に引っ越しちゃおうかな……」
「絶対に! やめろ!」
「そんなに全力で拒否らなくてもいいじゃないですかー。傷ついちゃいます」
「お前がそんなんで傷つくたまか。お前が我が家に来たらいよいよ俺の平穏は消え去っちまう。マジでやめてくれ」
「そうですよ。貴方のせいでどれだけわたくし達が苦労したと思っているのですか。少しは姉を慮りなさい」
「それを言われると弱いですが……だって、寂しいんですもん」
「まったく、貴方という人は……」
「まったくだ。そういや文月」
「はい」
「我が家謹製のお守りがそろそろ出来上がるんだけど、どんな形がいい? ピアスでもいいしネックレスでもいいし、常日頃身に着けていられる形ならなんでもいいぞ」
「そうですか……では、ピアスでお願い出来ますか? それでしたらあまり目立つ事もないでしょうし」
「了解。時間かけた分超強力だぞ。並大抵の妖の攻撃なら防げるし、おまけに文月の身に危機が迫ったら自動的に連絡がいく機能付きだ」
「私などのために、ありがとうございます」
文月は公衆の面前であるにもかかわらず、深々と礼をした。若干TPOを弁えていないようにも思えるが、礼儀正しい彼女らしかった。文月なりの個性といったところだろうか。
そうして雑談しながら学園に到着した一同はそれぞれの教室へ向かった。相変わらず恭弥の席は薫に群がるクラスメイト達が埋め尽くされており、そそくさと荷物を置いた恭弥は屋上へと向かった。
ベンチに座る気分でもなかったので、地面に座り込んで脱落防止のフェンスに寄りかかった。そして、懐から煙草を取り出すと火をつけた。
「天城」
恭弥が呼びかけると、地面に黒いシミが生まれた。天城はそこからヌッと顔を出すと眠そうに目を擦りながら半眼で恭弥を見やった。
「なんじゃ。人が気持ちよく眠っておるところを。くだらない要件だったら殺すぞ」
「なんだかお前の悪態がすげえ懐かしく感じるよ。ここ最近慌ただしかったからな」
「ふんっ。で、なんの用じゃ」
「今朝の夢なんだけど、どうしてか俺にはお前が関係しているような気がしてならないんだ。忘れようとしても頭にこびりついて離れない。何か知ってるんじゃないか」
「知っていたところで、我が素直に話すとでも思っておるのか。だとすればお前の頭はぱあじゃ。言うとくが、お前とは共生関係にあるだけなんじゃぞ」
恭弥は天城の悪態に何か言うでもなく煙草を吹かした。
「色々考えたんだけど、桃花を抱いていたあの男、あれは俺なんじゃないか?」
「……お前にしては勘が鋭いではないか。そうじゃよ、あれはお前じゃ」
「だとすれば、あれは正夢って事か? それとも、未来に起こりうる出来事なのか?」
「どうじゃろうな。お前の行動次第ではないのかえ」
「お前にしては随分はっきりしない物言いじゃないか。突かれて困るような話題なのか?」
「さて、な。我の口からはこれ以上何も言う事はありはせん。話しは終いじゃ」
それだけ言うと天城は黒いシミの中に消えていった。言った通りこれ以上話すつもりがないのだろうどれだけ呼びかけても出てくる事はなかった。
「……不吉極まりないな」
空を見上げて煙を輪っか状にして吐き出す遊びをしていると、ホームルームの途中だろうに屋上に人がやってきた。
「こんなところでコソコソと煙草を吸ってるなんて、いつから恭弥君は不良になったのかな?」
「薫か。お前こそ、ホームルーム抜けて来たんだろ? 不良だよ」
「私は普段優等生で通っているので一回くらいならセーフだよ」
「さいですか……んで? 俺になんの用だ?」
「んと、お父さんに止められてるんだけど、やっぱり助けてくれた以上ちゃんとお礼はしたいなと思って」
「俺は薫を助けた記憶はないんだが……」
「あの吸血鬼騒ぎの時だよ」
「ああ、ありゃ椎名が助けたって事になってたろ。俺はなんもしてないよ」
本当は神楽が薫を操っていたのだが、余計な事を伝えて火種にする必要はない。
「でも、現場には恭弥君もいたんでしょ? やっぱり、お礼くらいは言わないと。ありがとうございました」
「別に気にしないでくれ。友人として当然の事をしたまでだよ」
「でも不思議なのはお父さんなんだよね。なんでか恭弥君とは距離を置きなさいって言ってるんだよ。何か思い当たる節ある?」
(そりゃ叩かれれば埃しか出てこないような男に大切な娘を近づけたくないわな。とはいえ、あの人を敵に回すのは好ましくないな。ポイント稼ぎしないとダメだな、こりゃ)
「さっぱりだ。大方可愛い娘を情けないヒモ男に盗られちゃ叶わんとでも思ってるんじゃないか?」
「だったらいいんだけどね。どうもお父さん英一郎さんを使ってコソコソ何かやってるみたいだから気になってさ。何もないならそれでいいんだ」
「英一郎さん使って、って何をやってんだ?」
「さあ? 聞いても教えてくれないし。私もう行くよ。不良少年恭弥君も授業に遅れないでちゃんと教室に戻るんだよ?」
「これ吸い終わったら行くよ。じゃあな」
薫は可愛らしく小さな手をふりふりと揺らすと屋上を去っていった。
「慶一さんは何考えてんだ……?」
恭弥の小さな呟きは、煙草の煙と共に宙へと消えていった。
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