第81話

 それから数日、清明は小春にこんな相談をしていた。


「やっぱり、俺じっとしてる事なんて出来ないよ。狭間さんを探しに行こう」


「でも、ししょーや桃花さんが言ってたみたいに、あたし達が動いても返って邪魔になるんじゃないかな」


「そうは言っても黙ってられるかよ。俺はこんな事が起こらないために退魔師になったんだ。なのに、初っ端から見過ごしてるようじゃこの先もきっと何も出来ない」


 それは小春とて同様だった。両親を目の前で惨殺され、これ以上自分のように悲しむ人間を出したくないという思いは変わらない。それに、今は小陽という守りたい友人も出来た。彼女に胸を張れる自分でありたかった。


「……うん、わかった。あたしも協力するよ」


「よっしゃ! 小春ならそう言ってくれると思ってた」


「でも、どうするの? あたし達に出来る事があるとは思えないけど……」


「とりあえず狭間さんを探そう。直で会って、どういう状況で、何をして欲しいか聞こう」


「いきあたりばったりな……そんな簡単に見つかるかなあ……?」


 果たして清明の主人公力はしっかりと発揮された。世界に愛された主人公である清明は、当てずっぽうに探した山奥で恭弥の姿を見つけた。


 当初驚きと疑いの目を向けた恭弥だったが、二人の背後に誰もいない事を確認すると、清明ならばしょうがないとログハウスに案内した。


「まさかここがバレるとはな……まあ、君達が相手ならしょうがないか」


 恭弥は灰皿からシケモクを取り出して火を付けた。不味そうに肺に煙を送ると、二人に遠慮する事もなく思い切り煙を吐き出した。


 そんな恭弥の様子を見て二人は驚きに支配されていた。少し見ない内に恭弥はすっかりと憔悴しきっていた。頬はコケて、唇もガサガサに乾燥している。その目はドロリと濁って光を映す事もなく、二人を見ているようでその実何も映していないように思えた。


「それで? ここに何しに来た?」

 恭弥は最早根本しか残っていないシケモクを再び吸った。


「いや……その、俺達に何か出来る事はないかなって……」


「お前達に出来る事は何もない。むしろ、俺と神楽の時間の邪魔ですらある。はっきり言って迷惑だ」


 清明は恭弥の言葉を受けて「うっ」と唸った。ここまではっきり迷惑と言われてしまうとどう返していいかわからなかった。


「……そんな言い方ってないと思います。あたし達だって狭間さんの事を思って来たのに」


「誰が来てほしいって言った? お前達が来た事でここの存在がバレるとは思わなかったのか? 誰かにつけられていたらどうするつもりなんだ」


 今度は小春が黙る番だった。ぐうの音も出ない正論に言葉を失った。


 二人の記憶に残っている恭弥はどこか締まらなくて、女の尻に敷かれている情けない男だった。それが今やこんな事になって、あまりの豹変ぶりになんと声をかけていいのかわからなかった。


「何が、何が狭間さんをそんな風にさせたんスか。神楽さんだってまだ元に戻らないと決まった訳じゃないでしょ?」


「お前に俺達の何がわかる。これは俺達だけの問題だ。部外者のお前が口を挟むな」


「だけど――」


 唐突にうめき声が聞こえてきた。声の出処を探ると奥にある部屋から聞こえている事がわかった。


 恭弥はおもむろに立ち上がると、冷蔵庫から生肉の塊を取り出した。そして「見るんじゃないぞ」と、言うと声が聞こえた部屋へと消えていった。


「あの部屋には何がいるんだ……?」


「神楽さんがいるんじゃないかな? 覗いてみる?」


「だな」


 二人は抜き足差し足扉に近寄ると、音を立てないように少しだけ扉を開いた。そこには驚くべき光景が広がっていた。


 室内の至るところに粘着質の糸のような物がへばりついており、その周辺には半透明の卵が無数に並んでいた。卵の中では何かが蠢いていて、生命の産声を上げる間近である事が一目でわかった。


 部屋の中央にはベッドがあり、そこに寝かせられた芋虫、いや、その上半身には見覚えがあった。神楽だ。神楽が麻縄でベッドに縛り付けられていた。その目はすっかりと充血し切って、口縄代わりに巻きつけられたタオルに緑色の汁が染み付いていた。


 恭弥は優しく「お腹が空いたんだな、遅くなってごめん」と声をかけると、愛しそうに頭を撫でた後、口縄代わりのタオルを解いて生肉を口元まで運んだ。


「ゆっくり食べるんだぞ」


 神楽はもぐもぐと肉を食べた。時折口の端についた血を恭弥が手で拭った。


 そうして食事が終わると、恭弥は濡らしたタオルで神楽の身体を拭き始めた。


「ぎょおやざん……」


 かつての耳障りが良く、意思の強さと可愛らしさのあった声は何処が消え去り、すっかりと妖らしく太く逞しいものへと変貌していた。


「ん? どうしたんだ、神楽」


「ごろじでぐだざい」


 ボロボロと涙を溢しながら懇願する神楽に対して、恭弥はあくまで優しく抱きしめてこう言うに留まった。


「ダメじゃないか、そんな事を言っちゃ。神楽はまだ神楽なんだ。生きなくちゃ」


「ぎょおやざ――」


「それじゃ、俺はもう行くよ。また何かあったら呼んでくれ」


 恭弥は振り返った。すると、少しだけ開かれた扉の向こうにいる二人と目が合った。二人が覗いていた事に気付いてしまった。


「見たな!」

 鬼のような形相でそう言う恭弥の迫力に、二人は尻もちをついた。


「見るなと言ったはずだ!」


 ズンズンと近づいて扉を開け放った恭弥は、視線だけで人を殺せそうなほどに鋭い目付きで二人を見下ろした。


「どうして見た!」


「だ、だって……こんな事になってるなんて思わなかったっていうか……」

 清明は恐怖心と罪悪感から目線を下に向けてそう言った。


「これ以上俺達に干渉するな。俺は神楽と最期の刻を過ごすと決めたんだ。わかったらとっといなくなれ!」


 恭弥は文字通り二人を追い出すと、大きなため息をつきながら椅子に座った。そして、灰皿の山からシケモクを取り出すと火を付けて煙を肺に入れた。


「これで……これでいいんだ……これ以外、道はないんだ……」


 自らの行いを正当化し、納得させるために呟いた独り言は、宙に消えていった。


 それから更に数日が経ち、かろうじて存在した神楽の意識は完全に消え、妖と成った。


 諦観のままに恭弥は山を降り、電波の通っている場所まで行くと桃花に連絡を入れた。


「もしもし……桃花か」


『恭弥さん! 今どこで何を?』


「……神楽が完全に妖に成った」


『……そうですか』


「神楽の要望通り、俺の手で終わらせる。一応、桃花には伝えておこうと思ってな」


『という事は、まだ手は下していないのですね?』


「ああ」


『であれば、まだ間に合います。燧の力を開放する事が出来ればあるいは――』


「知ってるよ。でも、もう無理だよ。今の神楽じゃ燧を握る事すら出来ない。やるだけ無駄だ。それに、これ以上神楽を苦しませたくない」


『何故諦めるのです! 諦めが悪いのが貴方の取り柄でしょう!』


「無駄なんだよ。どうやって燧を持ってくる気だ。神楽がいなくなった今、燧は椎名家に封印されてるはずだ。持ってくる手段がない」


『だからと言って――』


「俺はもう疲れたんだよ。ハハ、笑えよ。あれだけ元に戻すなんて息巻いてたのに、結局俺がやれた事は神楽を苦しませる事だけだった。俺の勝手で神楽を生かしてさ。あいつの最後の言葉を教えてやるよ。殺してください、だよ。俺は何度もその言葉を聞いたけど、全部無視したんだ。ただの最低野郎だな、俺」


『恭弥さん! 貴方は今正常な判断が出来ない状況にあるのです。本当に諦めているのであれば、わたくしに連絡など入れずに神楽を手にかけていたはずです。それをしなかったという事はまだ可能性があると思っている証拠です!』


「……だからなんだって言うんだよ。桃花は神楽の事を見てないからそんな事が言えるんだ。あいつはもう完全に妖に成ったんだよ。今あの家には俺達の子供もいるんだぜ? 神楽を殺して俺も後を追う。それでいいんだ」


『恭弥さん!』


「……ああ、どうやら神楽との約束も守れないみたいだ」


 恭弥の眼前には椎名の追手が現れていた。半人前の退魔師未満の相手が三人。以前の恭弥であれば赤子の手をひねるよりも簡単に倒せただろうが、世捨て人のような生活を送って身体が鈍っている上に、戦う気力すら湧かなかった。


 恭弥は彼らが成すがままに殴られ、蹴られ、拘束された。そして、車に担ぎ入れられた。

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