第79話
「狭間を呼び戻せ。お前ならば出来るだろう」
桃花に向かって蓋然と言い放ったのは、現椎名家当主、
彼こそ桃花、神楽の父親である人物である。コケた頬に無精髭を生やした痩せ型の見た目からは、退魔師らしさは微塵も感じられなかった。むしろ、物書きと言われた方が納得だった。しかし、光を失ったドロリと暗い瞳の奥に秘められた覚悟のようなものを見ると、なるほど彼が一流の退魔師である事がわかった。
「父上は神楽がどうなってもよいと、そう仰るおつもりですか」
桃花は父の言葉に答えず、代わりにこう問うた。
「元より退魔師とはそういう生き物。神楽の事は諦めろ」
「……そうですか。貴方はそうやって母上の事も見捨てたのですね」
その言葉を聞いた途端、秋彦の眠たそうに腫れぼったい目が見開かれた。
「桃花!」
「図星を突かれて逆上ですか?」
「貴様……言うに事欠いて
「母上が妖に取り憑かれた時も、貴方はそうやってしょうがないと諦めたのでしょう」
「桃花!」
乾いた音が響いた。秋彦が桃花の頬に平手打ちをしたのだ。
「っつ! 次は暴力ですか。父上にはほとほと呆れ果てました。少しでも貴方に親心を期待したわたくしが愚かでした」
「……このまま神楽が死ねば、椎名の次期当主は桃花になるのだぞ。貴様がそんな事ではどうする!」
「今、はっきりと決めました。わたくしは、わたくしの代で椎名を終わらせます。ふざけた跡目争いなどこれ以上不要です。いつまでも古い慣習にしがみついているようでは何も進みません」
「お前が椎名を継がずとも、私が椎名を潰させん」
「わたくし達がいなくなった椎名などなんの力も持たないただの旧家。潰れるのは目に見えています」
「もうよい、どこへでも去れ!」
「言われずともそうしましょう」
桃花は言うが早いか部屋を出ていった。
それから暫く宙に視線を固定していた秋彦は大きなため息をついた。そして、押入れから古い写真立てを取り出し、酷く懐かしいものを見る目でそれを大切そうに眺めた。
「美智留……俺はお前との約束を守るぞ……」
写真立てに入れられた写真には、若かりし頃の秋彦と美智留が仲睦まじそうに肩を組んでいる姿が映っていた。二人共とびきりの笑顔だった。
秋彦の背中にはどこか忘れがたい哀愁が漂っていた。
一方部屋を出た桃花は宣言通り家出の準備を始めていた。と、いっても、持っていく物など限られている。雷斬と霊装、印鑑通帳、二、三日分の着替え、そして宝物のロケットペンダント。これだけだ。
ロケットペンダントは桃花にとって思い出深い品であり、その中には姉妹がまだ無邪気に笑顔を見せていた頃に撮影したツーショット写真が収められている。唯一の家族らしい記憶の欠片。これを忘れる訳にはいかなかった。
少ない荷物をリュックにまとめた桃花は堂々と正面から家を出た。そして、通りでタクシーを拾い運転手に目的地を告げた。目指すは狭間家だ。当面はあそこに居候させてもらう予定だった。
さして信号に捕まる事もなく、悠々と道を走っていくタクシー。そうして二十分も揺られていると、目的地に着いた。料金を支払いタクシーを降りた桃花はインターホンを鳴らした。すると、すぐに慌てた様子の文月が出てきた。文月は桃花の姿を確認するなり落胆の色を見せた。恭弥が帰ってきたと思ったのだろう。
「申し訳ありません。期待させましたね」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。せっかくお越しいただいたのに失礼を致しました」
「構いません。少々込み入った事情がありまして。上がらせていただけますか」
「かしこまりました」
文月は桃花を居間に案内した。居間では千鶴がちゃぶ台に風水の道具を出して何やら行っていた。
「お久しぶりです、千鶴さん」
「お久しぶりです。また恭弥が迷惑をかけたようですね」
「いえ、むしろ助かりました。わたくしでは踏ん切りがつかなかったので」
「ふむ。事情を教えていただけますか。何分、文月さんが光輝さんから聞いた話を又聞きで聞いた情報しか持ち得ていないので、全体像が把握出来ていないのです」
「わかりました。と、言っても簡単な事です。我が家が妖認定をし、討伐されるはずだった神楽を恭弥さんが拐った。これだけの話です」
「そうですか。捕縛令はやはり椎名が?」
「ええ。あくまで父上は神楽を討伐する気のようです。覆すには神楽を元に戻すより他ありません」
「……酷な話ですが、当たり前の流れですね。むしろ猶予があった方です。身体に変化があった時点で討伐対象となってもおかしくありませんでした」
「そうですね。それはそうと、何をされていたのですか?」
桃花はちゃぶ台の上に並ぶ風水の用具を指して言った。
「これですか? 行方をくらませた恭弥を探していました」
「特定出来たのですか?」
「はい。どうやら山奥にいるようです。しかし見つかるのも時間の問題でしょう。椎名は人海戦術で探しているのでしょう?」
「そのようです。数だけは無駄に多いですからね、もって三日といったところでしょうか」
「そうですか……芳しくないですね。桃花さんはどうされるおつもりですか」
「それなのですが、仮宿が見つかるまで暫くの間家を間借り出来ないでしょうか」
「と、いうと?」
「父と意見の相違があったもので。この通り、荷物をまとめて出てきました」
「それはまた……あの人も悪い人ではないのですが、少し頭が固いですからね。規則で決められている事から曲がる事をよしとしない方です」
「お願い出来るでしょうか」
「私は構いませんよ。文月さんも構いませんか?」
「はい。客間が空いていますのでそちらをお使いいただければと」
「ありがとうございます」
「さて、今後の方針をどうするかですね」
「わたくしが様子を見に行ってみますか?」
「それもいいでしょうが、万が一足が付いてしまえば事態がより悪い方に転がってしまいますからねえ。悩みどころです」
と、そこでインターホンが鳴った。すかさず文月がパタパタと玄関まで向かった。
「誰でしょうか」
暫し待っていると文月が戻ってきた。
「芦屋様と土御門様です。お通ししますか?」
千鶴は暫し悩んだ末にこう言った。
「私は地下に行くのでお二人を通してください。今は少しでも情報がほしいです。桃花さんに遠見の式をつけるので、お二人の応対をしてください」
「わかりました」
方針が決まると千鶴は地下室に、文月は玄関に二人を呼びに行った。残った桃花は荷物を客間に置いて、座布団の上に座って二人が来るのを待った。
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