第77話

 その頃恭弥と神楽の姿は山奥のログハウスにあった。ここは恭弥がセーフハウスとして土地ごと買い取った場所であり、誰も存在を知らない。


「流石にこんだけ隠形の結界張ればバレないだろ」


「恭弥さん……今からでも遅くありません。椎名に謝ってください。私の首を持っていけば許してくれるはずです」


「冗談。今更後には引けない。俺はなんとしてもお前を元に戻す」


 神楽が殺されようとしたあの時、恭弥は気が付くと神楽の前に躍り出ていた。何も考えなどなかった。しかし、傷つけられていく神楽の姿を見過ごす事など到底出来なかった。


 今頃恭弥は指名手配されている事だろう。下手をすれば殺害の命令すら出ているかもしれない。椎名に喧嘩を売るとはそういう事を意味する。


「ごめんな。俺が遅かったばかりに、痛い思いをさせてしまった」


 神楽の身体に突き刺さった様々な得物を引き抜いていく。そのたびに吹き出てた緑色の体液が恭弥の皮膚を焼く。ジュウと音を立てて煙が上がるが、こんなもの神楽が受けた痛みに比べれば大した事はなかった。


「しかしこれどう手当てすればいいんだ。人間と同じでいいんだろうか」


「たぶん放っておけば治ります」


「いや、でも……」


「なんとなくわかるんです。もうこの部分も私の身体の一部ですし」


「そうか。飯はどうする? 普通のご飯で大丈夫なのか?」


「たぶん大丈夫です」


「わかった。待ってろ。たしか保存食があったはずだ」


 ゴソゴソと納戸を漁る恭弥を見ながら神楽は罪悪感に苛まれていた。あの時、最後に声をかけなければ、こんな事にはなっていなかったはずだ。


 妖として討伐され、椎名家の当主は桃花となる。姉妹で争う必要もなくなり、家が荒れる事もなかっただろう。それが、最後に別れの言葉を告げたいというわがままで全て崩壊してしまった。恭弥は隠形の結界を張ったというが、椎名が本気を出せばそう遠くない未来発見されてしまうのは間違いない。そうなれば、二人共殺されてしまうだろう。


 全ては自分が招いた事だ。恭弥には申し訳ないが、やはり自分自身で決着をつける必要がある。少しでも彼の負担にならないように――。


「ほい神楽。レトルトカレー」


「……私レトルト物って初めて食べます」


「最近のレトルトは結構クオリティ高いんだぜ。神楽みたいなお嬢様の舌に合うかどうかは知らんけど、俺は文月が来る前楽したい時は結構食べてたなあ」


「お金持ちだって味覚は普通の人と一緒ですよ。いただきます」


「どうだ?」


「おいしーです。野菜もトロトロに煮込まれててすごいですね」


「だろ? 聞いて驚くな、これなんと百円なんだぜ。技術の進歩ってすごいよな」


「ほんとですか? とても百円の味じゃないですよ」


 悲壮感は見せない。恭弥に悟られてはいけない。笑顔を取り繕うのは慣れている。能面のように冷めた心に、笑顔という泥を塗りたくる。


 ピエロの仮面を被った神楽は一切笑顔を崩す事なく談笑を続けた。恭弥の言葉に相槌を打ち、時折自分からも話題を振る。


(うん。ちゃんと出来てる。これなら大丈夫)


 神楽は洗面所の鏡に映る自分の顔を見た。そこには笑顔の自分がいた。しっかり笑顔を作れている。そこには悲しさの欠片も感じられない。少なくとも自分ではそう思う。


(酷い身体……)


 幸いにして自前の部分である上半身は傷一つ無く、神楽そのものだったが、少し視線を下げるとそこには傷だらけの芋虫がいた。


 緑色の体色に黒い目玉状の模様、自身の意思に反して蠢く無数の触腕。それら全てが自身を人間という生き物から妖へと成り下がった事を証明していた。


(いっちょ前に性器だけは人間の形を残して……どうせなら全部妖になればいいのに)


 この身体になってから排泄欲求はなくなっていた。恐らく摂取した物全てがあの緑色の毒液へと変換されているのだろう。この身体唯一の利点だった。


「どうでもいいか……」

 神楽はもぞもぞと足をくねらせて洗面所を後にした。


 居間に戻ると、恭弥がベッドメイクをしていた。どうやら長い事使っていなかったらしく布団がホコリだらけらしい。せっせとベランダまで運んでいって布団叩きでホコリを払っている。


「何か手伝える事はありますか?」


「大丈夫。神楽はゆっくりしててくれ」


「ありがとうございます」


 暇な時間が出来ると人間余計な事を考えてしまう。あれだけ負担にならないよう死のうと考えていたのに、気が付くと神楽は遺書を書き出していた。


 桃花と恭弥に宛てられたそれには、神楽個人の財産を二人に渡す事、恭弥が自身を拐ったのは妖としての能力で身体を操ったからであるといったような内容が書かれていた。そして最後には、二人への感謝の気持ちが綴られていた。


 神楽はそれを引き出しにそっと仕舞うと何事もなかったかのようにお茶を入れて飲み始めた。さも始めからそうしていたように。


 それから暫くして、二人は布団に入った。


「恭弥さん、寝てますか」


 小声で問いかけたが、返事はない。試しに軽く肩を揺すってみたが起きる気配はない。どうやら本当に眠っているようだった。


「恭弥さん、おやすみなさい。そして、さようなら」


 神楽は音を立てないように布団から這い出ると、納屋にロープを取りに行った。


 妖となった自身の生命力がいかほどかはわからないが、この太く頑丈そうな荒縄のロープで十分も首を吊れば流石に死ねるだろう。


 神楽は首を吊るのに適した木を探して深夜の山奥を彷徨った。


 そうして手頃な木を見つけると、いそいそと首を吊る準備を始めた。


 ロープに輪っかを作り、木の上によじ登る。苦戦すると思われた木登りは、触腕が良い具合に仕事をしてくれたおかげでまったく苦労せずに木に登れた。


 ロープを木にくくりつけ、輪っかを被る。これでようやく死ぬ準備が出来た。


「あーあ、私の人生ってなんだったんでしょう。妖を倒してばっかりで、全然女の子らしい事出来なかったな。次は普通の女の子として生まれたいです」


 ――さよなら、ゴミみたいな人生


 神楽は木から飛び降りた。

 

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