第51話

「と、いう訳でですね。椎名家は関わっていません。悪いのは稲荷です」


 明けた今日、恭弥は再び鬼灯家を訪れていた。昨晩桃花と神楽が話した内容を慶一に説明するためだ。昨日と同じく慶一の私室に通された恭弥は、出されたお茶を時折飲みながらそう結論づけた。


「つまり、あの場に椎名姉妹の姿が見えたのは稲荷の幻術か何かだったという事かね」


「恐らくは罪を椎名になすりつけようという魂胆でしょう。鬼灯と椎名が争って消耗すればその後釜を狙えます。協会内で地位を上げる事に腐心している奴らならあり得るかと」


「確かに、話の筋は通っている。だが、通り過ぎていると思わないかね? 仮に本当に稲荷が犯人だったとして、あまりに杜撰が過ぎる。反対に、この話の筋書きは椎名にとって都合が良すぎるように思えないかね?」


 慶一の発言は、ヒロイン=救うべき存在の図が頭の中に無意識に存在する恭弥にとっては受け入れがたいものだった。


 仮に慶一の言う事が本当ならば、救うべきヒロイン達がヒロインを殺そうとするなどという「夜に哭く」本編と同じ構図がすでに出来上がっている事になる。それではなんのために転生してここまで努力してきたのかわからない。


「どうしてそう思うんですか?」

「稲荷は狡猾だ。パッと見ただけで粗があるような企みは実行しないだろう。私の目には謀に慣れていない者が企んだもののように思える」


 そう言われるとそんな気がしてくるが、しかしやはり恭弥は桃花と神楽を信じたかった。


「桃花と神楽が計画したって言いたいんですか」

「君がその二人を信じたい気持ちは理解しているつもりだ。しかし、信じるが故に盲目になってはいけないよ」

「慶一さんはあくまで椎名がやったと考えるつもりですか」


 桃花と神楽を信じたいが故に詰問するような口調になってしまった。こういうところが肉体年齢に引っ張られていると感じる。狭間恭弥になる前であればその場は流して自分は信じるという事も出来ただろう。わかっていても口をついて出てしまう辺り、反抗期か何かかと自分を恥じた。


 それに対して慶一はあくまで大人の対応を取った。口調を先よりも柔らかいものにし、こう言った。


「そうは言っていないよ。君が言うように、少し前我が家に稲荷家から接触があったのは事実だしね」


「どのような接触があったのかお聞きしても?」

「何、ウチの娘を恭弥君に近づけろという話さ」


「……なんでまた稲荷が? 自慢じゃないですけど、俺稲荷にかなり嫌われてますよ?」


「だからこそだろうさ。鬼灯は比較的稲荷と近い。私達を通して君の動きを制限しようとしたのだろう」


「自分の事ながら、そこまで稲荷が俺に執着する理由がわかりません」


「それは私にもわからない事だ。しかし、理由の一端はそこにあるだろう。そして、そこから見えてくるのは今我々鬼灯と敵対する理由は稲荷には無いという結論だ」


「……だとしたらやっぱり椎名が?」


「そう考えるのもまた浅慮だ。恭弥君、物事は大局的に見なければいけない。椎名は稲荷に間者を送ると言っているのだろう? ならば、我々も稲荷に間者を送り、椎名の報告と我々の報告に相違点があるかどうか、そこを見れば椎名が嘘を言っているかがわかるというものだ」


「間者の次はパイプ役ですか……俺は便利屋じゃないんですよ?」


「そう言ってくれるな。私のような立場にいると、なかなか表立って動く訳にもいかんのだ。君であれば、自由に動く事が出来るし、並大抵の事では死なないだろう」


「そりゃ死なないよう修行はしてますけど……胃に穴が開きそうです」

「開いたら鬼灯家秘伝の薬をあげよう。たちどころに良くなるぞ」


「薬に頼るような歳じゃないですよ。とりあえず、了解しました。逐次連絡は取るようにしますが、あまり期待はしないでください」


「うむ。娘の命は君の双肩に懸かっているから、くれぐれも頼むよ」

「プレッシャーかけないでくださいよ。それじゃ失礼します」


 恭弥が部屋を出たのを確認した慶一は手紙を一筆したためた。宛名は稲荷家当主。内容は何者かが貴家に罪を被せようとしているという警告文だった。


 慶一は、最初から恭弥など当てにしていなかったのだ。むしろ、恭弥に情報を与えるだけ与えて椎名姉妹と接触させる事で、疑惑を確信へと変えたのだ。


(薫を拐ったのはあの姉妹に間違いはない。無事でいてくれるといいが……あの年頃の子供は何をしでかすかわからんからな……)


 慶一はお茶をすすると、女中を呼び出して手紙を出すよう伝えた。


   ○


 鬼灯家での話し合いを終えた恭弥は鬼灯家お抱えの運転手が運転する車に乗って自宅へと戻った。そのまま服を着替えてベッドに横になると、仮眠を取り始めた。予定通りイベントが発生するとすれば今夜「赤い月」の第二、第三フェーズが開始されるからだ。


 恐らく恭弥が配置されるのは市街地での対巨大動物戦だろう。協会本部の護衛は権蔵ら実力者達が担当する事になるはずだ。そして、それらのフェーズが終われば、満を持して夜の女王である彼女が顕れる。相対する可能性が無いとは言えない以上、極力体力を温存しておく必要がある。


 こうして恭弥が決戦に備え体力を温存している頃、椎名家では神楽が唐突にとんでもない考えを実行に移す決意をしていた。


「姉様」

「なんですか」

「私、今日試しに恭弥さん監禁してみようと思うんですけどどう思います?」

「随分と急な考えですね」

「姉様が色々とやっているのを見てたら私も何かしないといけないかなって」


「まあ、よいのではないですか。恭弥さんには危機感を持っていただく必要がありますし、相手が神楽という事であれば、わたくしもとやかく言うつもりはありません」


「ほんとですね? 後で私に盗られたとかナシですよ」

「その程度で捕まる人ではないでしょう」

「……まあ。お試しですし、ダメで元々です」


「では、彼女を使いましょう。試運転も兼ねて持っていきなさい」

「いいんですか?」

「構いません。どの程度使えるか判断しましょう。恭弥さんが相手であれば適当です。壊れてもさして痛手にはなりませんし」


「姉様が優し過ぎて怖いです」

「人の親切に裏を見るなど。少し心が汚れ過ぎているようですね」


「だって姉様いつも冷たいじゃないですか。最近なんか優しいですけど」

「気のせいです。わたくしは変わりませんよ」

「そうですかね」


 神楽が拉致監禁の計画をしている裏で、文月もまた自身の計画を実行に移そうと画策していた。その計画とは、


「ふんふんふーん」


 とんとんと小気味よく包丁を鳴らしながら夕飯の支度をしている文月の目の前には、小瓶に入った茶色い粉末があった。以前光輝が狭間家を訪れた際に約束していた物だ。


 この粉末にはバイアグラの数倍の精力増強作用があった。文月は今夜、恭弥に出す料理にのみこの粉末を混ぜて食べさせようと考えていた。そして、頃合いを見計らって夜這いしようと考えていたのだ。


 普段精神修行を積んでいる恭弥といえど、天上院家秘伝のこの薬があれば性欲を我慢する事など出来ないだろう。


 天上院はここ数世代に渡って優秀な人材を産む事が出来ていない。しかし、どういう訳か生まれてくる子は眉目秀麗な男女が多かった。そこに目をつけた老人達は、強い異能を持つ相手にこの薬を使い、合法的に優秀な血を取り入れようと考えたのだ。まさに、天上院家の血と涙の結晶、執念がこもった薬だった。


 文月はこれを恭弥に使用し、傍使いとして仕込まれた房中術を駆使して骨抜きにしようと考えたのだ。あわよくば誰よりも先に恭弥の子を孕もうとすら考えていた。


 そんな事など露も知らない恭弥はのんきにあくびをしながら仮眠を終えて居間に下りてきた。


「おーいい匂いするなあ。後どのくらいで晩飯出来る?」

「もうすぐで出来上がります。どうぞお座りになってお待ち下さい」

「あいよー」


 やはり恭弥はのんきにお気に入りの座椅子に腰かけ、リモコンを手に取ると千鶴とチャンネル権争いを始めた。画面では猫特集とお笑い番組が交互に入れ替わっている。


「あんた居候なんだからテレビくらい譲れ!」

「お断りです! 今日は可愛い猫ちゃんの特集なんです! これは譲れません!」


 ポチポチとテレビの前に座り、本体のボタンを押して抵抗する千鶴。微笑ましい日常の一ページは、文月にとって願ってもないチャンスだった。二人共テレビに集中しているため、文月が台所で何をやっているか一切注視していない。ここぞとばかりに文月は恭弥に出すシーザーサラダのドレッシングに薬を混ぜる。


 元々無味無臭に近いこの薬を風味の強いシーザーサラダのドレッシングに混ぜてしまえば確実に気付かれる事はない。後は瓶を自室に仕舞えば完全犯罪の完成だ。


「よし……」


 文月は常と変わらない口調、表情で「出来ました」と言っておかずをちゃぶ台に並べていく。万が一にも薬入りのシーザーサラダが千鶴が食べないよう、恭弥の分は最後に持っていく。


「いただきます」


 ジッと恭弥を観察する。恭弥は食事の時最初にサラダに手を付ける。今日もそれは変わらず、恭弥はシーザーサラダに箸を伸ばし口へと放り込んだ。それを見た文月は心の中でガッツポーズをした。


「どうしたのですか、恭弥の事をジッと見て」

「あ、いえ。今日は少々味付けを変えてみたのでどうかなと思いまして」

「あ、そうなのか? 全然わからなかった」

「そうですねえ。私も違いがわかりません」


 当然だ。味付けなど変えていない。咄嗟に口から出たでまかせだ。


「そうですか。では次はもう少し変えてみます。ところで、恭弥様は今日お務めの予定はございますか?」


「たぶんある。それもデカイのが」

「お帰りは遅くなりそうですか?」

「下手したら明け方だろうな」


 文月は内心とても落胆した。せっかくの計画が台無しだ。


「後で話しますけど千鶴さんの出番です。今回は分け身を複数体出してもらいます」


「やっとですね。私がただの居候ではないというところをお見せしましょう」


 こうして、各々の計画が進行する中ソレは起こった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る