第50話

「単刀直入に言うぞ。お前ら薫の事拐っただろ」


「何の話でしょうか」

 コーヒーカップに手をつけて、常のすまし顔で中身を冷ましながら桃花は言った。


「そうですよ。私達は何もしてませんよ」

「とぼけるな。ネタは上がってるんだ。昼に鬼灯家に行って慶一さんに聞いたんだ」


「そう言われても、やってないですよ。何かの見間違いじゃないんですか?」

「だったとしたら俺も嬉しいよ。正直俺もお前達の事は信じたいと思ってる。だけど、鬼灯家はお前らがやったと信じ込んでいるんだ」


「……厄介ですね。それを口実に戦争でも仕掛けられてはわたくし達としても困ります」


「実際そういう話が出ている。俺としては絶対にそれは避けたいと思っている。だから、正直に話してくれ」


「そんな事言われても、私達は何もやってないですよ? 言いがかりもいいところです」


「本当にやっていないんだな? 今ならまだ間に合うんだ。慶一さんともそういう約束を交わしてきた」


「何を言われたところでわたくし達は薫さんの件に関与していません」


「そう、か……いや、疑ってすまなかったな。いくらなんでもお前達がそんな事する訳ないよな。慶一さんにもそう話しておくよ」


 ホッとした。鬼灯家は椎名姉妹がやったと確信しているようだったが、恭弥としてはこの二人がやったとは思いたくなかった。だからこそこうして、二人の口からはっきりとやっていないと宣言されると、再び二人を信じる気持ちが湧き上がってくる。


「仮に、わたくし達が薫さんを拐ったのだとして、恭弥さんはどうされるおつもりだったのですか」


「どう、って……そりゃ慶一さんのところに返すさ。その上で、なんとか椎名と鬼灯が対立しないようにするつもりだったよ。それが何か?」


「そうですか。いえ、少々気になっただけです。わたくし達としても後味が悪いので調べたのですが、何やら稲荷家が関与している様子ですよ」


 すっかりと二人を信じ切った恭弥は、因縁ともいえる名前が上がった事に驚いた。それと同時に彼らならやりかねないとどこか納得すらした。


「また稲荷か……ほんとクソッタレだな。連中嫌がらせするためだけに存在してんじゃねえのか? 相手が稲荷なら遠慮する必要はないな」


「しかし、あの稲荷です。薫さんも無事とは考え難いです」

「操られちゃったりしてるかもしれないですねー」


「千鶴さんの件で懲りたとばかり思っていたのに……マジで厄介な連中だな。だけど、薫を誘拐してどうするつもりなんだろう。鬼灯と稲荷はそこまで仲悪くなかったよな?」


「あくまでビジネス上の付き合いのようですが。表立って争った事があるとは聞いた事がありませんね」

「鬼灯を敵に回してまでしたい事ってなんだ?」


(あいつの復活はまだまだ先なはずだ。今は調整中のはずだし、起こしたところで稲荷側のメリットも無いはずだ。何か見落としている点はないか?)


 何かが引っかかる。だが今は、二人が手を下していないとわかった安心感と、稲荷憎しという感情で上手く考えがまとまらなかった。


「単純に嫌がらせしたいだけじゃないですか? なんでか知らないですけど、あそこ、相当恭弥さんの事嫌ってますからね」


 なんでもないような風に言う神楽だったが、御家の格を考えるとため息しか出なかった。


「だったとして、随分と回りくどい事をしてくるじゃないか。本人にやりゃいいのにわざわざ友人拐ってやるか? リスク高過ぎだろ」


「そもそも千鶴さんを罠にハメた理由の一つが穏健派が邪魔だったからですよね? 鬼灯家って協会内でもかなり穏健派だからそれもあるんじゃないですか?」


「確かに、それならある程度納得出来るな。おまけに薫を操り人形に出来りゃ戦力的な底上げにもなる。いかんせんあそこは万年戦力不足だからな」

「私達に罪を被せれば、椎名と鬼灯が争って共倒れも狙えますしね」


「だんだん見えてきたな。薫を拐ったのは稲荷。目的は穏健派の排除と協会内で力のある二つの家の排除。ついでに戦力増強っていったところか?」


「となれば、スピードが命ですね。薫さんが無事でいられる時間はそう長くないでしょう」


「だな。あーちくしょう。敵がわかったところでどうアプローチすればいいんだ……」


「わたくし達の家から間者を出しましょう。その結果を見て指針を決めればよいかと」


「手間をかけて悪いな。でも珍しいな、桃花が他人のために何かするなんて」

「いえ、貴方の悪い癖がうつったようです」

「じゃあ私達三人で稲荷をこてんぱんにしてやりましょうか」


「だな。でも良かったよ。お前らが犯人じゃなくて。やっぱり、信じたかったからな」


「わたくしはそのような陰湿な手を取らずとも、正々堂々勝てる自信があります」

「ちんまいのは恭弥さんの好みじゃないでしょうしね」


「そこはノーコメントで……それはそうと、お前らこの間のお務めの時俺の事ずっと見てただろ」

「この間、とは?」


 桃花はあくまでもしらを切るつもりらしい。神楽も素知らぬ顔で抹茶ラテをすすっている。だがそうはさせない。


「がしゃ髑髏と戦った時。千鶴さんの分け身攻撃したのお前らだろ」

「バレてしまいましたか」

「やっぱり千鶴さんは騙せませんでしたね」


「いや認めるんかい。少しは誤魔化すとかしろよ」

「特段隠し立てするような事でもありませんので」

「なんだってまたそんな事したんだよ」

「言ったはずですよ。いずれ本気を出さざる得ない場を作りますと」


 思い出すのは学園での一幕。まさか本気でやってくるとは夢にも思わなかった。椎名桃花という女の恐ろしい一面を見た気がした。


「それがあの時って訳ね……迷惑極まりないな」

「貴方には強くなっていただかなければいけないので」

「俺は椎名に婿入りなんかしないからな。あんな面倒な老人ばっかの家にいたら胃に穴が開いちまう」


 何が悲しくあんな陰謀渦巻く椎名家に身を置かなければならないというのか。自分の娘達が殺し合うのを平然と黙認するような人間の、義理とはいえ息子になどなりたくない。


「大丈夫ですよ。恭弥さんなら上手い事立ち回れますって」

「いーや断る。俺は御家騒動なんか御免だね」


「またまたそんな事言って。そうだ、もう話す事も話した事ですし、映画でも見ませんか?」

「アホか。薫が大変な目に遭ってるのに映画なんて見てられるかっての」

 神楽は口を尖らせてぶーぶー抗議した。


「いいじゃないですかー。せっかくすぐ近くに映画館あるのに。デートのお誘いだと思って来た私達の身にもなってくださいよ」


「薫の無事を確認したらな」

「約束ですよ?」

「わかったよ。その時まで見たい映画決めといてくれ。俺はもう行くけど、支払いは俺が持つから好きなだけ飲み食いしてってくれ」


「もう帰っちゃうんですか?」

「家に残してきた二人が心配でね。なるべく目を離したくないんだ」


 千鶴のあの様子ではただ同じ空間にいるだけで文月のイライラポイントを貯めてしまうように思えてならない。我が家の平穏のためにも一刻も早く帰るべきだろう。


「そうですか。では、わたくし達はもう少しここに残ります。お気をつけて」

「ばいばい、です」

「おう、ばいばい」


 恭弥が店を出たのを確認してから神楽は楽しそうに口を開いた。


「私達女優になれるんじゃないですかね」

「わたくしは貴方がボロを出さないか不安でした」


「出す訳ないじゃないですか。恭弥さんに勘付かれちゃったら全部御破算ですもん」


「そうですね。恭弥さんの方から接触してきたのは僥倖でした。おかげで矛先を稲荷に向ける手間が省けました。後は狐の面でも被せて折を見て登場させればよいでしょう」


「どこで登場させましょうか」

「次に件の妖が動いた時がよいでしょう。恭弥さんと戦わせる形にして、可能であれば恭弥さんに殺してもらいましょう」


「そして鬼灯に恨まれた恭弥さんを私達が保護すると。何度考えてもあくどいですね」


「なんとでも言いなさい。彼女を舞台から引きずり下ろし、尚且非を稲荷になすりつけるにはこの方法以外にありません」


「そうですね。けど、あの場で拐ったのが私達だって言ったらどうなってたのか気になるところでもありますけどね」


「彼の言った通りになっていたでしょう。彼が鬼灯に頭を下げ、事もなし。彼の築いてきた人脈ならばそれが可能です。それでは困るのです」


「お父様にはいつ紹介しましょうか」

「気が早いですよ。それは恭弥さんがわたくし達姉妹のどちらかを選んでからの話です」

「んーその時が待ち遠しいですねえ」


 そう言って抹茶ラテを飲む神楽は実に愉快そうだった。それを見ながら、桃花は唯一の懸念点である天城の存在に思いを馳せた。


(万が一にでも天城さんが心滅の香の効果を消せるのであれば、全てが御破算。なんらかの手を打つ必要があるでしょう)


「神楽。記憶を混濁させる薬に覚えはありますか」

「んー何日分かの記憶を抹消する類の物なら知ってます。必要なんですか?」


「万が一に備えてそれも彼女に使用しましょう。わたくし達の行動がバレてはなりません」


「わかりました。幸い手元にあるので明日にでも使いましょう」

「そうですか。貴方が薬学に詳しいのは嬉しい誤算でした」

「それはですね。上手い事使って恭弥さんを襲おうかと」

「前言を撤回します。今すぐその知識を捨ててきなさい」


「いやですよ。姉様だってちょっとは考えた事あるでしょ。きっと恭弥さんは一回関係結んじゃったらなあなあで付き合えるんじゃないかって」


「どうでしょうね。存外、彼は自分というものを持っているかもしれませんよ」

「そうですかね」


 そうして姉妹は穏やかに物騒な話をしながら夜の時間を過ごした。

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