第40話

 それから数日、椎名の企みが水面下で進行している中、いよいよ「夜に哭く0」のフィナーレを飾る「赤い月」が開始されようとしていた。テレビでは人が立て続けに謎の失踪を遂げている事と、カラカラに干からびた死体が大量に発生しているというニュースが連日連夜流れている。


 見る人が見れば吸血鬼の仕業である事などすぐにわかるが、妖の存在を直に見た事のない人間達にとっては、それは猟奇犯罪に他ならず、街は自粛ムード一色だった。

一部週刊誌では「吸血鬼の仕業か?」なんていう見出しで面白おかしく人の死を取り上げているが、得てして真実はその手のカストリ雑誌なんかに描かれているものだ。


 とはいえ、今回の妖はただの吸血鬼ではない。吸血鬼の中の吸血鬼、真祖のその一柱だ。


 人よりも遥かに神に近い力を持つ彼女は、自身を襲った絶望から、行き場のない感情を鎮めるための八つ当たりでこんな事を始めている。今回の事件も、「夜に哭く」の事件に多々見られるやっている事は単純だが、関わった人達が化け物じみているから被害がとんでもない事になったシリーズの一つだった。


 その原因というのも、吸血鬼でありながら人を好きになってしまった彼女は、相手の男性とある約束をする。


「君が次に眠りから覚めた時、僕は君の眷属になっているだろう。その時まで待っていてほしい」


「ああ、その時が待ち遠しいわ」


「なに、きっとすぐさ。その時までおやすみ。僕の愛しい人」


「きっとよ? 私は貴方の事を待っているわ」


 なんていうロミオとジュリエットも真っ青な劇的なやり取りが何百年も昔に実際に交わされたらしい。現代の感覚からするとなんで起きていてその時を待たなかったんだという至極全うな疑問が湧き出るが、昔は愛に障害は付き物だったらしく、吸血鬼の真祖という立場にある彼女に降りかかる障害など当時はあってないような物だったので、仕方なく自分達で障害を作って乗り越えようとしたらしい。


 しかしながら、吸血鬼の成り損ないである相手の男性は彼女が目覚める前に退魔師によって討伐されてしまった。マッチポンプに失敗して死んでしまうなどアホ丸出しだが、過程はどうあれ結果的に目覚めた彼女を待ち受けていたのは最愛の彼が死んだという事実。それを受け入れられず、絶望した彼女は現代人を手当り次第襲って殺しているという訳だった。まさに八つ当たりである。


 ふざけた理由だが、原因である妖が妖だ。その被害は尋常ではない。


「よし、今回のポイントは三つだな。主人公の家族を彼女に殺してもらう事、光輝さんを生かす事、そしてこれは出来ればだけどあの子が業界に入らないようにする事」


 恭弥は自室でノートに三つのポイントを書いていく。この三つが「赤い月」で重要となるファクターだ。


「あの子って誰じゃ」

 ノートを覗き見ながら天城が言った。


「ヒロインの一人。正史だと今回の事件の犠牲者なんだ。そして、それが切っ掛けで業界に足を踏み入れるようになる。主人公君が男側の主人公だとすれば、彼女はヒロイン側の主人公ってもっぱら言われてたな」


「ほーん。ヒロインなら喰えばよかろう」


「いや、彼女は普通に可哀想なんだよ。何事もなく一般人としての人生を歩めるなら歩んでほしいと俺は思ってる。無理に業界に引きずり込む必要はない」


「ほんにわからんのう。お前は一体全体何がやりたいんじゃ。やれこの間は誰とも付き合わんと言っていたのが淫乱めいどにそそのかされて今度は全員の好意を受け入れる。そうかと思うたら今度はこのヒロインには一般人として暮らしてほしいじゃ。何がしたいのかまーったくわからん」


「正直な話、俺も自分が何をやりたいのかわからんくなってる部分があるのは認める。元々は皆生存してくれればそれでいいやと思ってたんだけど、いざこの世界の人間になって正史に介入したら、あいつら歩くたんびに死亡フラグ建てやがるんだもん。あっちを立てればこっちが立たず。面倒くさくてしょうがない。そもそも皆して気が強いもんだから同じ物欲しくなったらすぐ相手を殺して奪う事考えやがる。脳みそどうかしてんじゃねえか?」


「おーおー愚痴が溢れるのう」


「そりゃそうだ。お前が俺に取り憑く前から色々あったんだよ。そのたんびに俺は血を流してきたんだ。神楽をボケナス野郎から奪い返す時も死にかけたし。桃花の時もぶっちゃけマジで死んだと思ったよ。その結果得られたのが今の意味わからん三角関係だぞ? 愚痴を溢したくもなるってんだ」


「今はヒロイン達の欲しい物がお前という訳じゃ、こりゃいつか血を見るな」


「そうならないように頑張ってるんだよ。薫が何考えてるのかさっぱりわかんねえし、最近じゃ俺が何かするたびに俺自身に死亡フラグが建ってる気がしてならない。俺が何やったってんだよ……」


「そういえばお腹痛い時も我が何悪い事したんじゃって思うの」


「お前俺の事バカにしてる?」


「しとらんよ。ただ、愚痴を聞く事ほど退屈なものはないしの。話題転換じゃ」


 恭弥はため息をつくと背伸びをした。


「あーあ、アホくさ。妖相手に何マジで愚痴ってんだろ、俺」


「我は妖ではないぞ」


「じゃあなんだよ」


「鬼じゃ」


「ああそうでしたね」


 いつものやり取りを終えるとノックの音が聞こえた。


「恭弥様、朝食の準備が整いました」


「あいよー、今行く!」


 ペタペタと階段を下りて居間に行くと、ちゃぶ台の上に文月特製の朝食がズラリと並んでいた。今日の献立は焼き魚と納豆、たくあん、煮物、ソーセージ盛り合わせ、和風ソース仕立てのハンバーグ、ちょっとオシャレなサラダであるカプレーゼだった。


 相変わらず豪勢なメニューに我が家のエンゲル係数が心配になったが、以前文月に一食辺りの金額を聞いてその安さに驚いたのを同時に思い出した。これだけ食材を使って何故そんなに安く済むのか聞いたが「秘密です」と言われてしまったため真相は闇の中である。


 なにはともあれ、文月の味付けに間違いはなく、今日も今日とて朝からガッツリと食事を取った。ちなみに千鶴はダイエットをしているらしく普段より白米が少なめだった。


「さて、そろそろいい時間だし学園行くかあ」

 文月が食器を洗い終えたタイミングを見計らって言う。


「はい。かしこまりました。着替えてカバンを取ってくるので少々お待ち下さい」


 パタパタと急ぎ足で部屋にカバンを取りに行く文月に「急がなくていいぞ」と声をかけて待つ。彼女は家の事をする時は絶対にメイド服を着ると決めているらしく、毎朝メイド服に着替えてから家事を始めていた。


「そういえば恭弥、言うかどうか迷ったのですが、良いタイミングなので教えておきます」


「なんですか、そんな改まって」


「この間のがしゃ髑髏と戦っていた際、私の分け身を襲った攻撃の事です」


「ああ、結局がしゃ髑髏以外に現れなくて協会からも音沙汰なかったやつですよね。それがどうかしたんですか?」


「そんなはずはないと何度も考えたのですが、やはり何度考えてもあの攻撃は雷斬と燧による攻撃です」


「それってつまり……」


「はい。桃花さんと神楽さんです」


 梯子を外されるとはこの事を言うのだろう。考えてみればおかしな点はあった。依頼内容と異なる二体の妖との遭遇。火と雷という属性系の攻撃に加えてがしゃ髑髏を討伐した直後、タイミングよく車に乗って現れた桃花と神楽の存在。


 疑おうと思えばいくらでも疑える材料は揃っている。これが、これこそが、この疑念と疑惑こそが「夜に哭く」の洗礼だ。だけど、と思う。それが己の身を襲うというのなら、降りかかる火の粉を払い、毒をも飲み干すだけの度量を持って受け入れてやろうじゃないかと。つまり、


「上等ですよ。あいつらがなんか企んでるってんなら、俺は喜んでその企みに身を投じます。そして、正面からぶっ壊す。それがあいつらにとって、一番良い事だと思うから」


「……我が弟子ながら、とんでもない大物に育ちそうですね、恭弥は。いいでしょう、忘れないでください。私は常にあなたの味方です。頼りたくなったらいつでも頼ってください。私でよければ手を貸しましょう」


「じゃあ早速そのたわわなお胸に顔を埋めさせてもら――ぶほ!」


 ルパンダイブを敢行した恭弥の顔面が見えない壁にぶつかった。ズルズルと情けなく床に落ちていく。千鶴が結界を張ったせいだ。


「甘いですよ。そういう事は時と場合を考えなさい。ちゃんとしたムードがあれば私としてもやぶさかではないのですから」


「……いてて、ちょっとは手加減してくださいよ千鶴さん」


「調子に乗るからいけないのです。恭弥の悪い癖ですよ」


「へーへー気を付けますよっと」


「なんですかその態度は。いいですか、退魔師たる者常日頃から――」


「お待たせしました」


 くどくどと千鶴の説教が始まったタイミングでちょうどよく文月が学生服に着替えて来てくれた。これ幸いと恭弥は文月の手を取って家を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る