第8話 神の降臨

「あ、これ可愛い!」


「ほんとだ! 凄くかわいいねこれ。でもこれは咲ちゃんよりも智乃ちゃんの方が似合うと思うよ、きっと。智乃ちゃんは大人しいイメージだから、こういう服は絶対似合うと思う。うん。やっぱり! 魔法使いみたいだよ! かわいいよー!」

「……そんなことない」

「そう謙遜しなくても平気だって! あ、これなんかは咲ちゃんにぴったりな気がする。……やっぱり! 二人ともどんな服でも似合うなー。」

 ……遠くにいた暁たちにも聞こえるくらい大きな声で喋る少女はテンションが上がりに上がった暁の幼馴染だった。


 現在、暁たちはデパートに来ていた。今日は瑞紗とデパートに行く約束をしていたからだ。しかし今、肝心の瑞紗はアパレルショップに熱中している。他三人と。

 暁はというと店の前の長椅子に腰掛けている。

 隣には、しわしわになったあかねが並んで座っている。実際にしわしわな訳ではないが、茜は人混みが大の苦手なのである。多少多い程度ではこんなことにはならないのだが新装オープンのデパートともなると、大勢の人が押し寄せる。

 よって、このことを知らなかった茜にとってここは地獄のような場所だった。


 茜がもしテンション明るめの女の子としてのスイッチが入っていれば、何の問題もなかっただろう。しかし、現在は太陽と人間を嫌うモードである。なんだそれと言いたい気持ちもあるがほんとに苦しそうなのでそっとしておく。

 ところで、何故デパートにいるのか、と疑問に思っただろう。

 それは、数十分前のこと。



「ほんとに住むの!?」

 暁は自室で先程の少女の一人──入鹿乃 咲と二人きりで対座していた。

「だから、何度言わせたらわかるのよ。住むって言ったでしょ? 許可ももらったし」

「でもさ、住むとなったら、住民票とかどうするのさ…………あ」

 しまった。少女相手にそんなこと聞いても、困惑するだけだ。


 しかし、どういう訳か咲は平然としていた。まるでしっかりと言葉の意味を理解しているかのようだった。

 若しかすると、何言ってるんだろうと疑問に思っただけなのかもしれない。

「ごめん、急に難しいこと聞いて」

「──大丈夫だと思うわ」

「え?」

「多分、問題ないわよ」

「えっと、問題ないというのはどういう?」

 咲は嘆息し半開きの目を向けた。

「はぁ、問題ないって言ったら問題ないのよ」

「そういうものなの……?」

「そういうものなの」

 そうか。そういうものなんだ。だったら、何も言う必要はない。暁はもう深く考えずに時間に身を委ねていた。

 これまで疑問に思っていたことが全て軽くなり、肩の荷が下りたように感じた。


 その時、暁の部屋がドンと勢いよく開いた。

 開けたのは茜だった。基本の茜は常にぼーっとしたそうな性格で頭脳明晰、スポーツ万能という言葉から一番遠いところにいる。ただ、容姿端麗という言葉はどの茜にも適切な言葉だと言える。

 暁の自室に茜や瑞紗、智乃が居ないのは咲が暁の二人で話したいことがあると言ったからだ。もしこれが逆だったら、暁は警察に連れていかれただろう。もしそうなら、想像しただけで怖気づいてしまいそうになる。


「おにーちゃん。これから、デパートに買い物に行くから早く準備してー」

「デパート?」

 どうして今からなんだという疑問が残ったが、茜はまだあるという素振りを見えたので黙っている。

「うゆ。みーがちーと話してた時、色々と問題があるからって。服とか今着てるやつしかないし」

 なるほど。納得がいった暁はすぐに了承した。

「わかった。じゃあ、下で待ってて」


「……それは別にいいけど。咲ちゃんに何かしたら通報じゃ済まさないから」

「分かってるって! そんなことしないからもうやめてその目!!」

 完全にトラウマになりそうだった。自分のメンタルに泣きたくなる。

 しかし、何度も向けられると段々見慣れそうになる自分が怖い。そろそろ疑うのやめてくれないか、そんなに兄が気に入らないのかと信頼されていないことに心が苦しい。

 兄として、少しは信頼して欲しいという切な願いはきっと神様でも叶えるのは難しいような気がした。暁自身、信頼度に欠けていることは気付いて、知っていたんだ。それでも直せなかった。直せないという時点で信頼感などこれっぽっちもなかったんだろう。


 これは癖なのか、つい自虐的な発送ばかり浮かんでしまう。背中の机の上に置いてある破れた冊子を書いていた時は、もっと自愛的だった。

 いつまでもずっと書いていられた。書き終えた時、相手に気持ちを伝えるのが、凄くドキドキしてその所為で毎日眠れない夜が続いた。でも、そんな夜が心地よかった。

 もしかしたら、もう嫌われているかもしれない。そんな不安がないといえば嘘になる。だが、それも機微たるものだった。自分が瑞紗を好きだという気持ちを直接言えなくても文字でなら、小説でなら伝えることが出来る。


 だから、きっと本気で伝えれば瑞紗ならわかってくれると思っていた。

 書き上げた時、今までにない満足感があった。

 小説を書くなんて初めてのことだったから、まずはネットでプロット作成のコツを調べ回った。プロットがある程度完成したら、キャラ設定を細かく考えた。一度書き終えたら何度も何度も読み返した。間違いがないか何度も確認した。

 たとえ、テスト期間であっても、試験があったとしても毎日欠かすことなく小説に時間を費やし、そうしてようやく完成した。

 これを渡せば叶う。そう願った。実際にそうなるだろうと思っていた。だが、渡すことが出来なかった。結局渡す勇気と覚悟がなかったんだ。



 いつの間にか、そこにはもう茜は居なかった。

 咲は机の上にあった冊子を落とさないように器用に支えて暁の前まで来た。右手にはマスキングテープが握られている。

 何をするんだろうとそのまま眺めていると、少量のマスキングテープを切り紙切れを繋ぎ合わせていった。

「なにを、してるの?」

「見てわかるでしょ。直してるのよ」

 咲は当たり前のように呟いた。


 咲は小さな手を器用に扱い、さっきまで紙切れだった物がどんどん一つの冊子へと成り変っていった。

 そして、修正された冊子を暁の目に突きつけた。

「これ、大切なものなんでしょ。なら、もっと大事にしなさいよね。あんなことすればこうなるのも当然よ」

 それは破れる前よりも綺麗な仕上がりに見えた。いや、きっと本当にそうなのだろう。マスキングテープのお陰で目立つような破れはない。破れた時、文字の部分も一緒に破れていたのだが、そこも綺麗に修正させており一段とお洒落な冊子へと変化した。

「あ、ありがとう……」

 冊子を受け取り感謝を送る。素直に嬉しかった。こんなに綺麗に直してくれるとは思わなかったのもあるが、ここまで気にかけてくれるとは思ってもいなかったからだ。

「はぁ、あなた男でしょ! そんなおどおどしてたら実るものも実らないわよ」

「…………」

 暁は静かに咲の目を見ていた。その目は助言を求めるような真剣な目だ。

 その目を見て咲はそっと頷く。

「あたしは男だから勇ましく生きる。女だから可愛らしく生きる。そんな生き方は御免よ。自分が生きたいように生きたい。それは誰もが同じことでしょ? でも、今のあなたは自分が生きたいと思う姿じゃない。そんな偽物のまま人生を送るのは時間の無駄使いよ」

 咲の声は驚くほどに優しかった。まるで母親から擁されているような抱擁感があった。

 咲の身長は暁と比べるとかなり低い。それでも、暁には居心地良く感じた。

 それが嬉しくて切なくて、泣きそうになった。いや、もしかしたら泣いていたのかもしれない。だからだろう。咲が暁を抱きしめてくれたのは。

 その小さな体は思っていたよりも一回り小さく感じた。まだ、幼いからだろう暖かな体温以外にも咲の胸いっぱいから体内に流れてくるようだった。それは、紛れもなく心だった。咲はきっと暁に勇気を上げたかったんだろう。


 彼女の真意に気づいた暁は、ずっとこの体勢では不味いと考えそっと顔を上げた。

「ありがとう咲。お陰で勇気が出たよ」

「ふん。当然ね。あたしの心を分けてあげたんだから」

 咲は少し照れくさそうにそう言った。


 その日は、暁にとって天使、いや神が舞い降りたと言ってもいいような、心に残る日となった。


「何ぼーっとしてるのよ。さっさと行くわよ」

 咲はドアを開けて暁を呼んだ。

「どこに?」

「決まってるでしょ。デパートよ」

 なんで? そう思う暁だったが、咲のあとに続いて階段を部屋を出た。

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