第43話:情報屋の意地

 良い子の就寝時間を午後八時や九時とするなら、悪い子は何時か。ともかくその代表のような男は、午前零時半でも『どうした』と張りのある落ち着いた声で応答した。


「船場さん、青二の親は。浅井夫婦はどこに居るんです」

『藪から棒だな。あの二人は、ホテルに泊まらせてる』

「どこのホテルですか。今も居るんですか」


 詰問にならぬよう抑えたつもりだが、矢継ぎ早にはなってしまった。船場は怪訝に「うん?」と、声を低くした。


『いつになく焦ってるじゃないか。いったいあの夫婦が何だ』

「日本に居る間の最後の食事ってことで、青二が会いに行きました。でもこの時間になって、まだ帰ってこない」

『なにい?』


 船場にも寝耳に水の話だったらしい。一つ唸り、「おい」と誰かを呼んだ。声が遠ざかったのは、マイク部分を手で押さえたのだろう。

 そのまま二言三言、電話の向こうで会話があった。内容は分からないが、部下に何か指示を与えたように思う。


『ああ、すまん。親子水入らずというわけだ、お前が心配することではないだろう』

「――本気で言ってるんですか。俺はあなたに言われたから、専門外の子守りも仕事としてやってたんですがね」


 ジョークだと分かっている。半笑いの声は、気分を損ねたことへの自虐的な皮肉だ。

 しかしこちらが応用を利かせているのに、命令無視の人間を庇われては。冗談だからこそ、看過できない。


『無論、本気ではない。あの二人は明日の便で、マニラに立つ予定だ。準備くらい好きにするさと自由を許したんだがな』

「その自由には、我が子を誘拐するのも入ってるので?」

『当たり前のことを聞くな』


 どうやら船場も、浅井夫妻の行動を把握していない。この会話が演技でなければだが。


「そもそも奴ら、向こうに着いたら行方をくらますつもりですよ。言っちゃ悪いが、利用されてるんじゃないですか」


 船場の影響力は、フィリピンでどれほどあるのか。どう考えても、はかな市に居るよりも弱まるはずだ。


 ――この街でだって、一人の人間が本気で逃げれば捕まえられるかどうか。

 経済的にかなり成長したと言え、フィリピンにはまだまだ暗黒の部分も多い。そういう場所に逃げ込まれれば、船場とて手出しは出来まい。


『だろうな。渡航の目的を素材の発掘と、本気で信じているようだし』

「素材の?」

『アンティーク素材と人的な素材だ』

「なるほど、榧材とアイドルですか」


 口が滑った。あんたの采配ミスで面倒が起きている、と考えていたせいだ。

 さすがに怒るかと思いきや、船場は「ふははっ」と愉快そうに笑った。


『噛みつくじゃないか。それほど気に入ったとはな。出来れば子育ては、授乳とおむつの交換から始めたほうがいいように思うが』

「そんなんじゃありませんよ」


『まあいい。あの二人には、まだ聞かねばならんことがある。しでかしたことは稼ぎで返せと温情で釣ったんだが、効きすぎたらしい』

「そのようですよ。妻のほうは海外の仕事を任せてもらったって、本気で喜んでた」


 失態に見合うだけの仕事をすればご破算にするだけでなく、そのまま雇い続けてやる。

 鞭の後に飴を用意することで、逃亡を防ぐ手法と船場は言った。


『嘘は言っていない。ご破算にする用意がないわけでもない。ただしその為には、何もかも話してもらわねばならん』

「よほどのことをやらかしたんですね」

『まあな。面白い話になれば、お前にも聞かせてやる』


 電話の向こうで、船場を呼ぶ声が僅かに聞こえた。するとまた音が不鮮明になるが、すぐに戻った。


『待たせた。まだ見つかっていないが、探す当てはある。私も行ってみる』

「俺も連れてってください」


 どんなときも自信に満ちた声。金持ちの余裕なのか、他人ごとだからか。

 この声で、一度の失敗は一度の成功で償えなどと言われれば、それは誰も信じようと思う。


『断る。勘違いをするな、お前は私の使う多くの情報屋の一人に過ぎん。その情報屋が何も知らん時点で、加わる価値はない。見つかったら連絡はしてやる。おとなしく待っていろ』


 また言われた。情報屋は形無だけでなく、代わりはいくらでも居ると。

 情報屋という肩書きに自尊心など持ち合わせない。しかし、だから無関係とは横暴だ。そんなつまらない男のところへ、青二を連れてきたのはどこの誰か。


「俺はスパイマスターになろうなんて思っちゃない。でも今まであんたに渡した情報は、どれも間違いのないものだ。それを今さら、関係ないって? そんなやっつけ仕事で良かったんなら、今までの情報料を二倍払ってもらいましょうか」


 既にもらった情報料も、本当はどうでもいい。関わったことには、最後まで噛ませろと言いたかった。

 だが船場は、「やかましい」と冷たく答えた。


『どうして青二を預けたか。それも分からんお前に何が出来る。連絡を待て』


 問答無用とばかり、通話は切られた。青二を預けた理由など、手が空いていたからではないか。

 強気に出てはみたものの、押し切られれば引き下がるしかない。所詮は使われる身だ。


 ――でもな、俺は情報屋なんだよ。

 船場もまだ行方が分からないと言った。ならば高みの見物など出来ない。しかしどこからどうやって調べれば、あの夫婦に手が届くのか。


「考えろ、考えろ――」


 悩むこと数分。ひらめくよりも先に、ガラホへの着信があった。

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