第2話

 アカネが目覚めるとすでに仲間たち−−正確には元がつくが−−の姿はモーテルには無かった。

 二年間貸し切っていた筈なのだが、どの部屋もまるで誰もいなかったかのように何も残っていなかった。


(流石は米海兵隊が誇る特殊部隊だな。立つ鳥跡を濁さずってか?)


 アカネはそんな記憶の薄れつつある母国の言葉を思い出していた。

 既に日は真上に来ており正午近い時間帯だろう。自室のテーブルの上にある水差しから直接水を飲み、タバコに火をつけ椅子に腰掛ける。


 テーブルの上には昨日カークスから手渡された書類が広げられていた。

 昨夜のうちにある程度目を通したが、元々文字を見ていると眠くなる性分であったため途中で放棄して寝てしまったのだ。


(さてと。これからどーするかね。流石にトンズラするのはカークスにも悪いしなぁ。でもなー。日本に帰るのはめんどくせねぇな。)


 アカネはガシガシと頭を掻きむしり、中々踏ん切りの付かない自分に苛立っていた。

 今までの自分ならカークス達の事など気にせず、これからも傭兵として適当に生きられただろうが、二年間のうちにアカネもカークス達に恩義を感じる程度には情を抱いていた。


 天井を見ながらアカネが唸っていると自分の部屋の扉がノックされた。


「アカネ起きてるか?入るぞ。」


 そう言って入ってきたのは、このモーテルのオーナーであるケイスだった。


「あー。ケイスなんだ?」


 アカネは椅子にもたれ掛かり、首だけ後ろに倒してケイスの方を見る。

 天地の逆転した視界の中でケイスの腕には清掃用具が握られており、気怠げな顔をしていた。


「おら。起きたんならとっとと出てけ。お前の契約は今日で終わり。この時間まで残してやったのは2年も前払いで部屋代が払われたからだ。」


 俺の優しさだと思え。と最後に付け加え、アカネに文句の一つも言わせぬまま部屋を掃除していく。


「ほらほらどいたどいた。いつまでもここに居座られちゃ商売上がったりだ。たいした荷物もねぇんだから出ろ出ろ。」


「ちょ、お前、待て。」


 アカネの返答なんぞに聞く耳を持たずケイスはアカネに書類とジャケットを押し付け部屋から追い出し扉を閉めた。


 アカネは何とも言えぬ感情が湧き起こり、どこに発散することも出来ず、仕方なしにその感情を飲み込むと

 重い足取りで併設された一階のバーに向かった。






「はーやっと終わったぜ。」


 そう言いながらケイスは肩をトントンと叩きながら階段を降りてきた。


「おい、流石にこの仕打ちはひどいぞ。この宿は客を足蹴にして追い出すのか?」


 そう言いながらアカネは勝手に酒をグラスに注いで飲んでいた。


「馬鹿か。昼までタダで待ってやったんだぞ。高級ホテルだってチェックアウトは昼までだ。」


 ケイスはアカネがもう一杯注ごうとしているので、ボトルを奪い取りキャップを閉め棚に戻す。

 アカネは残念そうな顔をするがケイスからすれば売り物を勝手に飲まれちゃたまらない。


「何か食い物くれよ。」


 アカネのの不遜な物言いにケイスは若干イラっとするがいつもの事だったなと呆れて溜息をつく。


「サンドウィッチでも作ってやるからそれ食ったらまじで出て行けよ。」


 そう言いながら冷蔵庫から食材を取り出し手際よく料理を始める。

 アカネはサンキューと一言だけ言うとタバコを口に加え、ジッポで火をつける。


「お前もこの2年でとんだヘビースモーカーになったもんだな。」


 ケイスは料理をしながら、目線だけチラリとアカネに向けフンと笑った。


「笑うんじゃねぇよ。」


「最初はあんなにタバコも酒もやらねーって言ってたのになぁ。」


「落ちるのは一瞬。この世界と一緒さ。」


 そう言ってアカネは指に挟んだタバコを見つめながらグラスに少しだけ残ったラム酒をチビリと飲む。


 しばらくの間沈黙が続き、夜の喧騒が嘘のように静まり返ったバーの店内ではフライパンで卵をかき混ぜるスクランブルエッグを作る音だけが響く。


 出来上がったサンドウィッチを皿に乗せアカネに差し出し、カークスは沈黙を破った。


「んで、何迷ってんだよ。」


 アカネはサンドウィッチにかぶりつきながら一瞬目線だけカークスにやるとフンと鼻を鳴らす。


「迷ってなんかねーよ。」


 そう一言だけ言うとまた、サンドウィッチにかぶりついた。


「はー。もーちょっと可愛げがあった方がモテるぞ。迷ってなかったら何だってんだ?ウジウジしてんじゃねぇよ。」


「迷ってねーって言ってんだろ!」


 アカネは苛立ちから語彙が強くなる。しかし、ケイスも無法地帯のようなところで伊達に酒場をやってはいない。

 怯むことなく続ける。


「当ててやろうか。日本に帰りゃお前のお家があるもんなぁ。しがらみで雁字搦めにされてた過去を思い出すのが嫌なんだろ。そこから抜け出したはずが、また舞い戻るなんて恥ずかしくてできないよなぁ。」


 アカネは自分の心を読まれたかのような物言いにたじろぐ。言い返したいが言い返せない。端的に自分の今の不安要素を当てられ歯噛みする。


「まぁ、ここの人間なんて多かれ少なかれそんな事情のやつばっかりだ。ぬるま湯に使って傷を舐め合って、塞ぎ切らないままの傷に蓋をする。それでも良いさ。」


 そう言ってケイスは肩を竦めた。


「……だよ。」


「ん?」


「ンなことはわかってんだよ。」


 そう言ってアカネは大きく息を吐き出し残ったサンドウィッチを、口に押し込み立ち上がった。


 アカネの心はすでに決まっていた。それでも一抹の不安感から踏ん切りがつかなかった。それをケイスは感じ取り煽るような物言いで背中を押したのだ。


「よし、じゃあ行くわ。」


 アカネの顔は先ほどまでのウジウジした顔ではなく、晴れやかな笑顔だった。


「オーケー。その顔なら大丈夫さ。行ってこい。」


 そう言ってケイスは破顔しニッコリと笑った。

 アカネはジャケットを羽織り鞄に書類を押し込むとバーの出口に向かう。


「アカネ。餞別だ。」


 そう言ってケイスに呼び止められ振り返ると何かが飛んできたのでキャッチする。

 何がとんできたのかと確認すると、それはアカネの好きな銘柄のラム酒のボトルだった。


「日本まで暇だろうから酒でも飲んどきな。」


 そう言われて、少し黙った後小声でサンキューと呟き、店を後にした。照れ臭いのか頬を掻きながらボソボソと言っただけだったがケイスには不思議とハッキリ聞こえた。

 それが選別に対するモノだけでなく、先刻の激励や、これまでの物事に対する感謝である事はケイスには分かっている。アカネの性格が分かっているからこそ別れが照れ臭いのだと。


「全く。こんなんでやっていけんのかね。」


 ケイスは一人残った店内でそう呟きながら綺麗に完食されたサンドウィッチの皿を片付け始めた。

 ケイスもまた、カークス達と同じように何とも憎めない不安定なアカネという青年に親しみを感じていた。

 元々世話焼きという性格も相待ってアカネのこれからに気を揉んでいたのだ。


 ケイスは端末を取り出し、一人の男に連絡する。


『アカネは無事に日本に向かった。面倒な事押し付けやがって。この借りは高くつくぞ。』


『ガハハ。最後まで世話んなったな。』


『笑ってんじゃねぇよ。お前らがフォローして行かねえから俺がやる羽目になったんだろーが。』


『いや、それは違うな。俺たちとお前が言うのじゃアカネの態度がだいぶ変わる。お前に後押しされたんじゃ絶対逃げられねぇさ。』


『そんなもんかね。』


『そんなもんさ。ガハハ。』


『まぁ。なんだ。お前らも元気でやれよ。』


『おう。また顔でも出すわ。振り込みは複数の銀行を経由して送るから少し時間がかかるが我慢してくれ。じゃあな。お前も元気でな。』


 そう言って電話は途切れた。


 一人になったバーでケイスは煩い奴らが軒並み居なくなり、静かなバーが戻ってきたという安心感と人の気配のない物悲しさが混在していた。

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