二人で見上げた夜空に

中内イヌ



 アラームが鳴り出す。今朝は一段と耳障りだ。


「うーん……」


 布団の中で唸り、右手を伸ばすと枕元のスマホを探る。スヌーズ機能に甘え、あと五分だけ眠ることにした。そんなことをしても、五分後にスッキリ目覚められるわけではないのに……。


 元々、朝は苦手な方だけど、いつも以上に起床が苦痛な理由は、自分が一番わかっている。


 昨日、学校からの帰り道で、隣のクラスの男子から呼び止められた。なんだろうと振り返った私に、彼は言った。


「好きです! つき合ってください!」


 とてもストレートな告白。清々しいけど、工夫は感じられないなぁ。と、これがドラマの一場面だったり、他人事であるなら、そんな風に分析できただろう。


 でも、言われたのは私自身だ。もちろん人生初。


「ああ、もう!」


 その時の状況を思い浮かべると、再びアラームが鳴る前に布団から飛び出す。モヤモヤと考え込んだせいで、昨日の夜の寝つきは最悪だった。


「返事は、また今度でいいから……」


 告白の後、彼はそう言うと私に背を向けて駆け出していった。その背中を思い出しながら、私は口を尖らせて呟く。


「また今度って、いつだよ?」


 ベッドの上で膝を抱え、そこに顔を埋める。そうしてまた、自分に問いかけるように言う。


「返事って、どうすればいいの?」


 わからない。私なんかに、わかるわけがない。憂鬱な気分は当分の間、頭の中から消えてくれそうになかった。


「やっと起きた。早くしなさいよ」


 部屋から出ると、階段の下でお母さんが言った。一階の居間に行くと、おじいちゃんとおばあちゃんはもう朝食を終え、朝のワイドショーを観ながらお茶を飲んでいた。そんな光景を眺めながら、今朝も長閑だと私は思うのである。


 私が住むこの家は、お母さんの実家だ。一応、私は東京生まれなのだけど、小学校に上がる前には田舎に連れて来られていたので、もうこっちの生活の方がすっかり馴染んでいる。


 田園に囲まれた環境の中で、のんびりと育ってきたと自負できるくらい。現在中学三年だけど、まだまだ子供だという意識の方が勝っていた。都会の子より、きっといろんな面で遅れているのだろう。それも自覚してる。


 田舎の空気は何事にも、基本のんびりなのだ。


 そんな私の人生に、振って湧いたような、告白されるという出来事。その時を迎えて自分がどう対処していいのか、まるでわからなかった。


 焼き鮭と納豆とみそ汁の朝ごはんも、今朝はなんとなく違った味に思えてしまう。家から学校へ向かう畦道の景色が、昨日よりどんよりとしているのは、今日の天気が曇りだからというだけではないはずだ(きっと)。


 こんな風に天気にまでいちゃもんをつける、今の私の心理を端的に表してみよう。はっきり言って、重荷なのだ。ああ、昨日まで平和だった私の人生を返してほしい。あの告白から、異次元にでも迷い込んだような感覚だ。


 悩んだ時は一人で抱え込まず、人に話すといいって、よく耳にする。私は早速、恋愛方面で頼りになりそうな杏奈あんなに相談してみたのだけど……。


「ええっ、相手は?」「わっ、ホント! 大人しそうな感じなのに」「で、つき合うの?」


 杏奈は色めき立つばかりで、私の悩みを真面に聞いてくれそうもなかった。それどころかニヤニヤとほくそ笑み、恥ずかしがる私を面白がっているように思え、適当に相談を切り上げた。結局、私は心にモヤモヤを残したまま、日々の生活を過ごすことに。


 そして一週間が経過し、明日から夏休みというタイミングだった。


「あの、ちょっと待って」


「!」


 声をかけられたのは学校から離れ人気の少ない、田んぼの畦道に入るところ。この前、告白されたのと同じ場所だった。


 だから、振り返るまでもなく、誰が呼び止めたのかは明白。当然、要件もわかっていた。この数日、幾分静まっていたモヤモヤが、また大きくなっていく。今日を逃げ切りさえすれば、明日から夏休みだったのに……。


 私はため息を零し、後ろを振り向いた。


「なんですか?」


「え? いや……」


 私がキッと睨んだので、相手の方は驚いたようだ。でも、気を許しては駄目。目の前にいるのは、私の平和な日常を乱した張本人なのだ。


 彼、二組の鈴木くんは、少し髪を掻いた後で口を開く。


「よかったら……告白の返事、聞かせてもらえないかな」


「……」


「あの……?」


 こちらが黙ったまま怖い顔をしていたものだから、鈴木くんは明らかに困っている。私はすっと胸に息を吸い込むと、言った。


「私たち、それまで話したこともないですよね。一度も」


「あ、うん……」


「なのに、告白なんて変だと思うんです」


「そ、そうかもしれないけど……でも」


「私のどこが、そのぉ……好き、なんですか?」


 探るように聞くと。


「そ、それは……」


 鈴木くんは俯いたまま、ひたすら困惑している様子だった。


 そんな彼を追い詰めるように、言う。


「答えられないってことは、告白アレは無効ってことでいいですか?」


「え?」


「いいですよね、それで!」


 私は念を押すように言い放つと、踵を返し畦道を全力で走り出した。そのまま家に駆け込み、自分の部屋のドアを閉ざすと、息を切らしながらその場にへたり込む。


 鈴木くんからの告白を有耶無耶にして、私の平穏は取り戻されるはずだった。なのに今の気分はモヤモヤよりも、もっと重いなにかに覆われようとしている。


 はじめて好きだと言ってくれた人に、私の取った態度は……。


「な、なんで……?」


 突然、頬を伝った涙に、今の私は戸惑うことしかできない。心に広がっていたのは、たぶん罪悪感だ。


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