シロツメクサ
文綴りのどぜう
シロツメクサ
「今日から、新しくウチのクラスに転校生が来るぞ〜、お前ら静かにしろ〜」
ぶっきらぼうに担任が告げると、教室は少しざわついた。
「じゃあ、入ってきなさい」
一瞬肩が跳ねた。ぼくはおずおずと、引き戸に手をかけた。
「あ、秋野市来です。よろしくお願いします。」
正直先頭の席の子の顔すらまともに見ていない。転校は生まれて初めてだった。
父の仕事はいわゆる転勤族とは無縁の、中間管理職。母はぼくが幼稚園の頃、はしゃいで道路に飛び出たぼくを庇ってからずっと家で内職をしている。もう階段を上がったり、重いものを持つような仕事には絶対に就けないので、父が探した仕事だ。ぼくが産まれる前の母はどうやら、教師をしていたらしい。小さな頃から母は、ぼくに色々なことを教えてくれた。勉強もそうだが、ぼくのせいで障がいを負ったにも関わらず、外で遊ぶことの大切さ、虫や木々や鳥や自然を愛でること、、、他にもいっぱい教わった。母はいつもぼくを見る度に微笑んでくれた。その笑顔が大好きで、ぼくは母を喜ばせる為にたくさん外で遊び、たくさん勉強した。だから前の学校では友達も多かったし、自分で言うのもはばかられるが、成績も良かった。父は体の悪くなった母を思いやり、仕事から早めに帰ったり、家族で食卓を囲むことをとても大事にした。ぼくはこんな家に産まれて、本当によかったと思う。
そんな両親だから、引越しが決まった時は色々とぼくのことを心配してくれた。
「学校、変わっちゃうけど大丈夫?」
「なんかあったら言うんだぞ」
不安はもちろんあったし、お別れ会で友達が持ちきれぬ程くれた贈り物のせいでさんざん泣かされた後だったので、「うん。多分大丈夫」
と気の抜けた返事くらいしかできなかった。
「ねぇ、あなたっていつも花を見てるわよね」
不意に話しかけられ、一瞬肩が跳ねた。
「え、?あ、あぁ。花、綺麗だよね」
、、、なんだこの返事の仕方は。自分でも右の口角だけが吊られているのがわかった。
「ふふ。ごめんなさい急に話しかけちゃって。びっくりした?」
「この花、なんて言うの?」
「シロツメクサ。クローバーだよ、ほら」
「ほんとだ。クローバー、っていう名前の花だと思ってた。シロ、、、なんだっけ」
「シロツメクサ、だよ」
「ん、覚えた!シロ、ツ、メクサ!」
紀州優春(まはる)は同じクラスのお嬢様育ち。父親は超大手IT会社を一代で築いた敏腕の経営者で、母親は有名劇団のトップスター出身という、華々しく、少し眩しいくらいの家柄の子だ。しかしそんな両親を持つのに、性格は控えめに言って完璧。若干天然ではあるものの好奇心が強く、自然と人を惹き付けるのに敵を作らない、そんなタイプだ。彼女の周りにはいつもたくさんの子が集まり、クラスは和気あいあいとしていた。クラスの男子の中では、いつ誰が告白するのか、仁義なき戦いが繰り広げられているらしかった。ぼくはその戦線から遥か離れた外野にいたが。
「先生〜!秋野くんの席はどこですか〜?」
まだ顔が上げられないぼくを見ながら、いの一番に声を上げたのも、今思えば彼女だった。
「ん、秋野はここだ、大丈夫だと思うが、お前ら仲良くしてやれよ〜?」
「じゃあ秋野、そこの席に座りなさい」
担任の少し大きい手が、ぼくの肩を軽くたたいた。
ぼくはあまりクラスの顔を見ないように、指示された席へと進んだ。隣にいたのは、笑顔が控えめな、でも瞳の大きい少女だった。
「私は紀州優春、ま は るって読むの。よろしくね。」
「う、うん。よろしく」
思わずこちらの表情も綻ぶような笑顔を見てなんとかこれからやっていけそうだと思った。
新しい環境は、人に不安を与えがちだ。実際、学校から帰ったぼくの顔が思ったより浮かなかったので、父や母は心配そうだった。単に慣れない電車通学で疲れただけだったのだが。
あっという間に、1年が過ぎた。
ぼくのクラスは、優春さんを中心にうまくまとまっていて、担任が気だるげでテキトーな朝礼をする以外は前のクラスとほぼ一緒で、みんな優しくしてくれた。サッカーもいっぱいしたし、ぼくの宿題を写す悪いやつもいて、少し小突いたり。いつも笑っていられた。成績はぼくの転校前は優春さんがずっと1番だったようだが、ぼくに順位を抜かされて、前より勉強を頑張っている。と、噂で聞いた。
そんなある日。
「ねぇ、少し時間、ある?」
ホームルーム後、その日の日直はぼくと優春さんの2人だった。隣合った席の男女2人が日直になるルールだった。
「ん、まだ電車全然来ないからいいよ。なに?」
「ちょっと勉強、教えてくれない?今度の4月末テスト、頑張りたいの」
「え、優春さん、すごく頭いいじゃん」
「でもあなたより点数低いもん」
「ぼくに教わらないで、先生に聞いた方が良いよ。ぼく、教えるの下手だし」
「いいの。ね、お願い」
「わ、わかったよ」
ぼくの母はすごく教え上手で、ぼくの質問になんでも答えてくれたし、納得のいくまで噛み砕いて説明してくれた。一方ぼくは、お世辞にもアウトプットが得意とは言えず、自分の中で消化するタイプだった。だからしっかりと人に教えられるか不安だったし、まして優春さんも成績が良いので、わかりきったことを並べて嫌われでもしたら嫌だと思った。
「えいっ」
「いたっ。なんだよぉ」
消しくずがほっぺに当たった。
「ふふっ。消しかすが飛んでっちゃった」
「えいって言ってたじゃん、、、」
「ふふふ」
「ちゃんと説明聞いてくれぇ」
少し橙色の光が差し込んで来た教室で、2人きりで勉強かぁ。ずいぶん漫画みたいだなぁ。そんなことを考えながら、時々イタズラをされつつ勉強をした。恋、なんて前の学校でもしなかったし、そもそも他の男子たちのように「好きな子話」なんてしないので、そっち方面は滅法疎かった。でも今、目の前で綺麗な髪が揺れたりしているのを見ると、不思議とそわそわした。恋、なのかなぁ。
「、、、くん。ねぇ、秋野くん」
「ん、あ、あぁ!ごめん」
「ずっとアンパンマンみたいな顔でぼーっとしてたよ」
「どんな顔だよ、、、あんなにぶくっとしてた?」
「こどものヒーローにぶくっととか言わないの〜笑」
「ごめんごめん笑」
「私の話、聞いてた?」
「ごめん聞いてなかった」
「でしょ〜。ほら、ここ、ここがわかんないの」
「どれどれ」
不意に、ページを指さす彼女の細い指が、ぼくの手にあたった。
「あ、ごめん」
「、、、」
「優春さん?」
「ご、ごめん、、、」
「?大丈夫だよ、痛くないよ」
「、、、ふふ、」
「あ、もしかして痛かった?」
「大丈夫。ここ、教えて」
「あ、うん。ここはね、、、」
気づけば電車の時間が近づいてきていて、勉強を切り上げることにした。
「じゃあ、またね」
「、、、またね。バイバイ」
ぼくは駅に向かって、自転車を走らせた。風がおこり、路でクローバーの花が揺れたのが目に留まった。少し前まで遠かった春が、ぐんと近づいたのを感じた。
「手紙、気づいてくれるかな。手、、、握って欲しかったな」
4月末、前の学校ではなかった春の学期末テストがあった。先生たちは「春の祭り」と呼んでいるらしい。新学期早々、採点の嵐に追われて職員室が喧騒で満たされるからだそうだ。一方クラスの生徒たちは
「春の祭りはパンだけで十分」
とはやし立てているので、少し可笑しかった。
順位は廊下の掲示板に貼られていて、合格発表のような光景だった。一番上には、
紀州 優春
その下に、
秋野 市来
の文字があった。転校以来、初めて抜かされた。彼女の勉強を手伝ったこともあって、悔しいような、誇らしいような、複雑な気持ちだった。
掲示板の前で湧く友達を後目に、ぼくは校庭へと向かった。もう外は陽気に包まれ、モンシロチョウが桜の花びらに混じってふわふわと踊っていた。陸上部のトラックの端に、シロツメクサが咲いていた。ぼくは次のテストのことを考えながら、四葉のクローバー探しをしていた。
「ねぇ、あなたっていつも花を見てるわよね」
不意に話しかけられ、一瞬肩が跳ねた。
「え、?あ、あぁ。花、綺麗だよね」
「ふふ。ごめんなさい急に話しかけちゃって。びっくりした?」
「うん、ちょっとね。」
「ふふ。この花、なんて言うの?」
「シロツメクサ。クローバーだよ、ほら」
「ほんとだ。クローバー、っていう名前の花だと思ってた。シロ、、、なんだっけ」
「シロツメクサ、だよ」
「ん、覚えた!シロ、ツ、メクサ!」
この笑顔が好きだ。もうぼくは、完全に彼女に恋をしていた。
「テスト、私の勝ちね」
誇らしげに彼女は言った。
「ぼくが教えたからだぞぉ」
「ふふ、どうもありがと。ね、あれ、読んでくれた?」
「ん?なにを?」
「、、、気づかなかったの?」
「???」
なんのことやらさっぱりだった。
「ごめん、なんの話?」
「、、、もう。ばか」
「え、ご、ごめん!教えて!」
「あ!」
急にぼくの足元を指さして、彼女が声を上げた。つられてぼくも下を向いた。ただシロツメクサが、そこに咲いているだけだった。
「なんだ、何もなー」
目の前に、長いまつ毛が靡いた。頬はやわらかく染まっていた。ふわりと、春のにおいがした。
「これからはちゃんと気づいてね。約束よ」
ゆっくりと離れた彼女の顔は、まだ少し紅かった。2人の足元で、ひっそりと、四つ葉が風に戦いだ。
シロツメクサ 文綴りのどぜう @kakidojo
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