第3話 最初の依頼人は、彼氏の浮気に悩む少女

翌日の昼過ぎ、孝幸は人形師の工房に居た。


来るまでに、孝之が考えていたことは、

(とりあえず、助手として人形師の信頼を勝ち得る。復讐方法は――――じっくり考えればいい。俺は犯罪をしたいわけじゃない)

だった。


そして今、孝之は入口の扉に、真っ黒な机を挟んで向かって座っている。隣に座るのは蜜蘭で、孝幸はつまり昨日の球体間接人形の代わりのようだった。


「……さて、助手の仕事は理解してくれたかな?」


何故か、こちらを一切見ずに扉だけを凝視して話終えた蜜蘭が、一息ついた。


孝幸も何となく、蜜蘭に目線を向けないままに答えた。

「依頼人の話を聞く……」

蜜蘭からの業務内容の説明を思い返しながら、孝幸は続けた。

「とりとめのない話をする依頼人も多いので、依頼内容を把握できるまで聞き出す。それを蜜蘭さんにお伝える」


「違いないね」

「で、もう一つ。出来るならば、依頼人との話を録音して置く。その音声データも渡す」

「うん、完璧だね」

「質問……よろしいですかね?」

「何なりと」

何故か木扉を見続ける彼女の横顔に、孝幸はため息混じりに聞く。

「依頼人、一日に何人来るんです? 平均で」

「さぁ、知らないよ。数えたことがない、一度もね」

「……依頼人が来ない時間、僕は何を?」

「ここで待っていてくれ、依頼人を」

「何時から何時まで? 拘束時間は?」

「キミの好きにするといいよ、給与もね」


孝幸は思わず、彼女の横顔を凝視する。


(何を考えてるんだ? つーか、時間も給与も俺次第って……働き方改革し過ぎだろうがよ)


思いながらも試しに、問うた。


「時給一万でも?」

「ん? その程度で良いのかい?」

今度は彼女の流し目に、凝視された。本気か冗談か、全く判別がつかない。

「……とりあえず、その程度で」

「ふむ、キミはペンギンが嫌いそうだね」

「は?」

「特に意味はない、ただそう思っただけさ」

「そうですか……確かに、ペンギンは嫌いですが。わざわざ鳥類の利点を捨てたトコが」

「うん、どうでも良いね。聞かなければ良かったよ」

「……、」

「さてさて。私はそろそろ奥の制作工房に戻ろうと思う」


席を立った蜜蘭は部屋の奥……その壁を押す。と、忍者屋敷の仕掛けのように壁が、くると回り始めた。

(……その仕掛けに何の意味がある――ねぇーのか? いや、それよりも)

内心で困惑しながら、孝幸は口を開く。


「いきなり俺一人で依頼人の応対をやるんですか?」

「む? 不安かね?」

少し考えるそぶりを見せて、蜜蘭は言った。

「いいだろう、最初は私も付き合うよ。丁度、依頼人が来る気配がする」

再び蜜蘭が隣に腰掛けたところだった。


「聞いて下さい」


と、蜜蘭の言葉通りに本当に、一人の女性が扉を開いてやって来た。

「聞いて下さい、あたしのことを」

勧められてもいない椅子に座って、その女性は一息ついた。


(……変なヤツが来たな)


舌打ちを堪えつつ、孝幸はとりあえず机の下でスマホを操作。録音を開始。そうしながら、孝幸は依頼人であるだろう女性を観察。


見た目は普通の、二十代前後の女性。ニットのロングコート、ゆるく大きいマフラーにくるまれた顔立ちは可愛いらしい。

 

が、目線が少し、おかしい。

 

その女性はずっと、蜜蘭と孝幸の真ん中の虚空をずっと、見つめている。

(相手するの……しんどそうだな~)

ため息を堪えた孝幸は一応、仕事をすることにした。


「もちろんです。貴方の気が済むまで、話を伺いますよ」

少しの間を置いて、依頼人の女性はうなずく。虚空を見つめていた瞳がゆっくと、こちらへと向いてくる。

「え、ええ……ごめんなさい、急に話しちゃって……えっと、」

気恥ずかしそうに俯く依頼人の女性。


(~ん? 最初に感じたよか、普通の反応だな……緊張してただけか?)


隣で沈黙を義務のように守る蜜蘭を伺いながら、孝幸は再び口を開く。

「お名前、聞かせて貰えます?」

「|佐伯舞華≪さえきまいか≫です」


二度目の答えの普通さに、孝幸は自分が会話の主導権を取ろうと判断した。


「では、佐伯さん。ここに来た理由を教えて頂けますか?」

「はい、あの、あたし……その」

「いいですよ、言いづらいことは伏せても」

「いえ、違います。どこから話して良いのかなって」

「はは、細かいことは気にせず。そうですね、友達にでも話すように、気軽に適当に」

「はい……あの、私が付き合っている人のことでお願いがあるんです」

「付き合っている方?」

「はい、あたしの彼氏さんです。同じ大学の……」

「ええ、その方が?」

「彼、ちょっと、その……」

「はい、彼に何か?」

「浮気が酷くて困ってるんです」

「……はぁ、それはまた」


相づちを打ちながら、孝幸は深刻そうな表情を作っておく……が。

(何だ……コレ? 普通の恋愛相談じゃねぇーか? 都市伝説的に頼るコトか?)

一応、横目で蜜蘭を伺うが、何も言わずに目を伏せている。

と、舞華が言い続けていた。


「今までで二回あって、私が気づいて問いつめても……もう二度としないって謝ってはくれるんですけど……」

「なるほど、それはそれは」


やや大げさに頷くものの、孝幸は舌打ちを堪えるのに必死だった。

(……面倒臭くなってきたな。普通の恋愛相談なら、ここじゃなくね?)


内心毒づきながらも、再び横目で蜜蘭を伺う。

こちらの目線には、けれど、蜜蘭は全く反応しない。

このまま続けろということか、それとも単に無視しているだけなのか。


(こンのクソ女、今すぐ復讐してやろうか)


もしもの備えにと袖の内側に隠してあるナイフを、孝幸は意識する。

しかし、思いとどまる。舞華が居るのだ。確実に見られる。スマホの位置情報も切ってない。ことを起こせば捕まる、ほぼ確実に。


……などと思考を巡らす間にも、舞華は独り言のように続けていた。


「彼、でもすごく優しくて。笑った顔が可愛いし、格好良いし……」

彼の浮気問題のはずが何故か、彼氏自慢になり始めていた。

(ははっ、来る場所間違えてンな、コイツ。帰って欲しいぜ、ホントに……)

が、蜜蘭には一切動きがない。

(仕方ねぇ……時給一万の仕事をしよう)

鼻から微かに息を抜き、孝幸は言う。

「……ということは、佐伯さん」

さも真面目という顔と声で、孝幸は続ける。

「貴女はその彼に、浮気を止めさせる手立てを求めていると?」


「……いいえ?」


「……は?」

真顔の舞華に、孝幸は眉をひそめて詰め寄る。しばしの間を置いて、

「え? ええ、あ、きっと、あなたの言う通りなのかも……」

舞華がしどろもどろで言った。


「承知した」


蜜蘭が唐突に、言った。


「キミの渇望、なかなかに美しそうだ」


蜜蘭の唇、その両端が持ち上がっていく。その、三日月を横にしたような彼女の唇は何故か孝幸に傷口を連想させた。

「キミ、今日のところはもう帰り給え……そしてまた来たくなったなら、来ると良いよ」

「……え? 日にちとかの約束は……」

首を傾げる舞華に、蜜蘭は言う。

「日時はいつでも構わない。キミはもう一度、ここに現れるべくして現れる。そして私はキミの望む身体を作り終えるべくして、作り終えるだろう」

蜜蘭は説明とも言えない説明に、孝幸は目を閉じる。

(意味分かんねーな、コイツは本当に)

しかし閉口していた孝幸とは違って。

「……はい」

頭を下げてから、舞華は席を立つ……全てを納得したかのように。

「お願いします」

切実そうな声音を残して、舞華は退室していった。


孝之には、何一つ理解できなかった。

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