第7話 助手の復讐理由。家族がおかしくなっている。

人形師への助手バイトを終えて、孝之は帰宅した。


何処にでもある無個性なビルの一室。玄関で靴を脱ぎ、自室に向かう。短い廊下を歩きつつ、横目に見える一つの扉。

(……食事はちゃんとしてるよな)

扉の向こうで寝込んでいるだろう母親にそう願う。母親は今や、家族を避けている。息子の孝幸とさえ、顔を合わせない。

(……ははっ、改めて考えると、おばさんの……引きこもりって)

内心で、孝幸は苦笑ってしまう。当事者になると、もちろん、笑いきれなかった。まぁ、引きこもりの母親と言っても、完全に部屋に引きこもっているのではなく、生活サイクルを徹底的にズラされているだけなのだが。


母親に声をかけようとして止め、孝幸は自室へ入った。自室は飾り気のない六畳ひとま。机と本棚、それにベットがある。もし変わっているところがあるとすれば、部屋の中央で、カーテンで仕切られている。


その向こうは、かつて妹の部屋だった。


「……」

奥歯を噛み締めながら、孝幸は部屋の隅にある机、椅子を引いて座る。スマホを上着から取り出し、メモ機能を使う。


[人形師は実在。沙耶さやは嘘をついていなかった]


目を閉じて思い出すのは妹の沙耶の顔ではなく、声だった。


【兄さん、人形師って知ってる? うっわ、馬鹿にしてる顔ッ! 都市伝説的なもの、絶対信じないもんねーつまんないヤツ】


妹に答えた自分の声音も思い出す。


【俺は信じちゃいないが、楽しんではいるよ……前にも聞いたよ。人形師に身体を作ってもらったヤツが不老不死になって……みたいな?】

【それそれ。で、他の噂では、あの金メダル取ったロシアの人も実は――】

楽しかった記憶……のはずなのに、妹の顔は何故か、思い出せない。

「……」

目を開いて、スマホを操作。


一枚の写真を見つけ、思い出す。

 

初詣の写真だと、孝幸は記憶している。神社の鳥居の前で、晴れ着を着せてもらった妹が幸せそうに笑っていて、その隣で顔をしかめた男……自分が居た。


記憶が連鎖する。


両親が自分たちの写真をとってくれたのだった。記憶のなかで写真嫌いだった自分を、年の割には若々しい両親が、からかいながら半ば無理矢理、妹の隣に立たせたことを思い出す。


(あの時は家族揃って初詣なんてやる、仲の良さはうっとうしかったけど……)

スマホを机に放る。

(……思えば、あの時が一番幸せだったんだろうな)


目蓋を閉じる。鮮明に思い出されるのは、もう居ない父親の子供のような笑顔。それを見守る、母親の微笑。


もう、存在しない光景だ。


(家族も……俺も幸せだったんだ)

 

孝幸自身も、変わった。頑張って入ったはずの大学に行かなくなっていた。仲の良い人間は幾人かいた。だが、今は人と会うのが酷く面倒になっていた。連絡を取らなかったからだろう、もう仲の良い人間など居なくなっていた。


人形師アイツさえ居なければ……」

脳裏を突き刺すように甦る、妹が人形へと成り果てた姿。


人形師の蜜蘭が言った通り、本当に人間じゃなくなったのだ……タチの悪い冗談のように、普通の人間の身体には出来ないことをやったのだ。

その非現実的な、妹の変わり果てた姿に、孝幸は思う。


「人形師さえ居なければ……家族も俺も今でも、幸せだったはずだ……」

押し殺した自分自身の声音に反して、心の底から湧き上がる激情。


(人形師に復讐を……しよう。人に不幸をまき散らす、人形師への復讐だ……まず、そこからだ。俺は、俺達家族はやり直せるはずだ)


スマホを再び手にして、メモを取る。

[人形師への復讐……最良の方法は?]

孝幸にとって、それが問題だった。殺人は論外。母の心を更に追いつめることになる。もちろん、孝幸とて己の人生を台無しにする気などない。かといって、生半可な復讐では気が済まない。


「俺達家族が失ったもの以上のものを奪ってやる」

言うと、涙が出た。誰のために流れた涙なのかは分からなかった。

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